政治家の好きな「改革」(1)
そこで思うのは、これまでいろんな政治家が改革を訴えてきたわけで、民主党が目指した「改革」のように中途半端に終わったものもあれば、実行に移されたものも何割かはあるはずなのですが、その分世の中がよくなったのだろうか?ということです。中には、小泉改革のように、かえって格差が拡大することになったという「改革」もあります。もしかすると、政治家による「改革」が行われるたびにこの国はどんどん悪い方へと向かっているのではないかという気もするのです。
政治家がなぜ「改革」が好きかというと、その方が票を集めやすいとわかっているからでしょう。他の政治家政党との差別化にはもってこいの道具が「改革」です。もちろん自分の理想や信念を実現したいという欲求もあるでしょう。石原慎太郎を見ていると、この欲求によって動いているのかなとも思いますが、大部分の政治家においては、打算と欲求が渾然一体となっているのではないかと思います。
さらに、改革すればものごとは良くなるはずだという思い込みが政治家の中にもありますし、我々有権者の中にもあります。この思い込みが、次から次へと尽きることのない「改革」がぶち上げられることをもたらし、うっかりとそれを信じた有権者がその政治家に投票するのだといえます。
よく考えてみると、どんなものにも長所もあれば短所もあるというのが普通であって、いいことずくめというものなど存在するはずがないということに気づきます。完全無欠の制度やシステムがこれまで登場したことはありません。
実は、そのことを一番良く理解しているのは改革の発案者です。彼らのプレゼンテーションのやり方は、改革案の短所は控えめかつ目立たぬように触れ、長所はその何倍もの情熱を込めてアピールするというのが常です。それでも短所について、少しでも述べるだけまだ良心的な方かもしれません。中には都合の悪いことは隠しておき、いいことしか言わないという人もいるのですから。
どんな改革案も長所と短所があるという宿命からは逃れられないのですから、その改革案を採用するかどうかにおいては、長所と短所を見比べて、その収支の帳尻がどうなのかを計算するというプロセスを欠かすことはできません。けれども、残念なことに、国会審議の様子を見ていると、そのような議論のやりとりがなされることはほとんどありません。
したがって、政府関係者にとって「改革」はやりたい放題というのが実情なのですが、改革=良いもの、という図式が錯覚であるということを有権者が理解しないと、この流れは止まらないように思います。