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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

ねじれ国会の意味(決められない政治)

 民主党の代表選挙と自民党の総裁選挙が近づくなかで、「決められない政治」という言葉をよく耳にします。決められない政治というのは、衆議院と参議院の勢力が逆転していることから生じるねじれ国会が直接の原因なのですが、今年度の赤字国債の特例法案を始めとする重要法案が成立しないことから、決められない政治=悪という図式を作り上げようという意図があるように思えます。

 最初のねじれ国会の発生は、安倍内閣のときでした。小泉改革を踏襲すると思われた安倍元総理はなかなかエネルギッシュにいろいろな改革に取り組む姿勢を見せたわけですが、そのスピードの速さに不安を感じた人たちが参議院選挙で民主党に投票した、というのが発端です。
 その後、安倍内閣の終わりに衆議院選挙が行われ、民主党が大勝することによってねじれ国会はいったん解消しました。ところが、菅総理が突然打ち出した消費税率の増税は避けられないという主張により民主党が大敗し、ねじれ国会が再び発生したわけです。

 このように、有権者の投票行動の結果としてねじれ国会という現象が発生しているのには理由があります。それは何かというと、「何でもかんでも勝手に決められては困る」という国民の意思がねじれ国会を発現させたのだということです。

 ゆえに、現在の決められない政治というのは、実は民意の発露以外の何物でもないということになります。そのような状況の中で、総理大臣が1年毎に替わっていくというのは、(歴代総理にはお気の毒ですが)日本のリーダーとしての資質と能力に欠けていたからにほかなりません。
 すなわち、ねじれ国会や総理大臣が1年で替わることに問題があるのではなく、何ら学習しようとせずに同じことを繰り返している政治家の方に問題があるということです。いわば身から出た錆というべきなのですが、その責任はひとえに政治家の側にあります。
 民主党代表選の有力候補とみなされている野田総理も学習能力のない人であり、国民に対して情理を尽くして説明するということの重要性がまるで理解できない政治家の一人でもあります。したがって、この人が代表として再任された民主党が次の選挙で大敗するだろうという予測には、どなたもご同意をいただけるものと思います。

 何でもかんでも勝手に決められては困る、というのが声にならない国民の声であるのに対し、「決められない政治からの脱却」を訴える人たちがいます。

「決められない政治脱却を…経済・労働界有志提言」(9月6日付読売新聞より)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120906-OYT1T01271.htm

 また、決断することを売り物にしている新党もあるようですが、大切なのは決断するという行為よりもむしろ決断の中身の方であるという小学生もわかる理屈が忘れ去られようとしているようです。

 結果の善し悪しを度外視すれば、決断するのは誰でもできることです。むしろ、もっとも困難でありながら欠かせないのは「反対する人たちを説得すること」の方です。ところが、決断するのはよいことだというイメージを植え付けることにより、反対する人たちを説得する手間を省いてもよいという雰囲気ができつつあるように思います。
 そういうふうにして決まった政策や法案が国民を幸せにするかというと、そうではないということが今の日本社会を見るとよくわかると思うのですが、「改革」や「決断」という威勢のいいキャッチフレーズについフラフラとなってしまうのでしょう。

 いいかげん目を覚まさないと後で後悔しますよ。
by t_am | 2012-09-10 21:55 | その他