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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

民主主義の目的

 最近の野田政権や一部の地方自治体の首長の言動を見ていて、いったいこれが民主主義国家の姿なのだろうかと思っていましたが、考えかたを変えて、民主主義はなぜ生まれてきたのだろうということを考えてみました。

 別に社会思想史のおさらいをするつもりはないので、いきなり結論を書いてしまうと、民主主義とは権力の無制限の行使を制限するために発明された装置であるということです。
 権力を行使する機関として政府(あるいは地方自治体)があります。政府を単純化してイメージすると、それは一種の機械装置のようなものですから、権力の行使をより効率的に行えるようにするために自らをつくりかえようとする性質があります。ちょうど、自動車メーカーがより効率のよいエンジンを追求するのと同じことです。

 ここで余談となりますが、実際の政府は「縦割り行政」という言葉があるように、一つの政府の中にいくつものエンジンが並行して存在しているのであり、それらがてんでばらばらに自分のエネルギー効率を高めることを虎視眈々と狙っていると思ってよいのですが、意外と侮れないものがあります。以上余談終わり。

 政府が、権力の行使をより効率的に行えるようにするためには、自分に都合のよい規則や基準を次から次へとつくることです。そこには国民の幸福の実現という視点はありません。皮肉なことに、その結果国力は低下していき、その被害を真っ先に受けるのが国民になるというわけです。

 それではいくらなんでもあんまりだということで民主主義という制度が登場したと考えてよいと思います。具体的には、国家の主権は国民にあると規定し、国民が自らの代理人として議員を選出し議会に送り込む、というのが民主主義の根幹となります。したがって、議会には政府がやることを監視するという役目がありますし、政府の権力の行使を制限するために法律を作成するという権限を付与されている。このように考えると民主主義を理解しやすくなると思います。

 なぜこんなことを思うようになったかというと、ひとつには野田総理の登場、もう一つは橋下市長の登場という現象があります。

 野田総理は、ご存知のように昨年秋の民主党代表選挙で「財政再建は待ったなし」と「財政再建と経済成長の両立は可能」というスローガンを掲げて代表に当選し、そのまま総理大臣になった人です。これまで自民党や公明党がさんざん指摘してきたように選挙の洗礼を受けずに日本国の最高責任者になった人であり、彼が掲げる政策を国民が選択し支持したという事実はありません。にもかかわらずTPPに参加することを決め、消費税の増税を行おう(一体的に改革するはずの社会保障制度の方は先送りにされました)とし、大飯原発の再稼働も決めてしまいました。
 野田総理とは逆に人気がうなぎ登りの橋下市長はどうかというと、昨年の大阪府市のダブル選挙での得票率はどうかというと、大阪市の有権者総数は2,090,370人です。これに対し橋下候補の得票数は750,813票ですから、有権者対比で35.92%となります。すなわち、全有権者のうち35.917%の人が橋下候補に投票したということを意味しています。このことは、逆に言えば、全有権者のうち約64.083%の人が橋下候補に投票しなかったということでもあります。あれだけ人気のあるようにみえる橋下市長でも35.917%の得票率しか得ることができていないのはちょっと意外な気がします。
 それでも、野田総理が自らの政策の正当性妥当性を情理を尽くして説明しようという姿勢をまるで見せないとは対照的に、橋下市長の場合はtwitterを通じてこまめに説明をしています。そのこと自体は評価すべきだと思うのですが、進め方が乱暴だと思うときがあります。
 具体的には、大阪府市統合本部というのがつくられました。これは大阪都構想の実現に向けて大阪府と大阪市を統合し、二重行政の解消を目指す目的で設置されたもののようですが、それを決めた橋下市長の得票率は、全有権者の35.197%しかないのです。6割強の人が賛成していないのに大阪府市統合本部を設置するというのはどういうことなのか不思議に思います。しかも大阪府市統合本部はどのような権限を持っているのか、それらも含めて法的根拠はどこにあるのかがわかりません。(これは単に私が不勉強であるだけかもしれませんが…)

 放っておくと何をしだかすかわからない政府や地方自治体の行政組織に対し監視する役割として議会が設置されているのに対し、これらの組織に方向性を与えるために、選挙で首長が選ばれることになっています。ところが、首長選挙というのは、当選者が一人しかいないために小選挙区同様オール・オア・ナッシングということになっています。すなわち1万人の有権者がいて、そのうちの8千人が棄権すれば理論的には1,001人の得票があれば当選できるわけです。有権者の過半数があればいいというものでもありませんが、有権者の一部の支持を集めればそれで当選できる可能性があるのが首長選挙です(これは地方議会の選挙も同じです。地方の中小都市では千~二千人程度の票を集めれば市会議員になることができます。)

 このように、選挙制度そのものが怪しさを伴っているわけですから、その結果当選した首長を監視するという議会の役割はますます重要なものとなります。しかし、実際には、ある程度まとまった票を集めることができれば議員になることができるのですから、組織票により議員になることもできれば、首長に当選することも不可能ではないというのが現実です。

 実際のところ、有権者が政治に対する関心を失えば失うほど、組織的な投票によって当選した議員や首長はやりやすくなるわけです。

 以上のことから、ごくありきたりの結論となりますが、民主主義は政府による権力の行使を制限するために発明された制度ですが、有権者が政治に対する関心を失えば失うほどそれに反比例して権力は好き勝手するようになるということがわかるのです。また、誤解を怖れずに付け加えると、リーダーを熱狂的に支持するということは民主主義の自殺につながるということでもあります。

(権力が好き勝手しているという最近の事例)
・福島第一原発事故の終息宣言
・大飯原発の再稼働決定
・TPP参加のための事前交渉開始の表明
・消費税増税の国際公約
・違法ダウンロードの刑事罰化
・障害者総合支援法における応能負担の採用
・除染した土壌の仮保管場所確保を地方に押し付けたこと(国が責任を持つと大見得を切ったのは誰? ねえ、野田さん。)
・社会保険料の負担漸増、
・減税の廃止
・子ども手当の減額
・消費税率の増税
・医療保護入院における家族同意の不要化(精神科医の診断だけで入院させらる)
・パート労働者の厚生年金への加入
・国家戦略会議のフロンティア部会報告書(これについてはいずれ書きます)
・検察官に対する大甘の処罰


付記
 橋下市長は、twitterを通じて自分の意見をこまめに説明しようとしていると申し上げましたが、正確にいうと、これらの発言は中立層にアピールするためのものであって、自分の反対者と議論しようという気持ちはあまりないように見受けられます。したがって、この人の中でも、権力の行使をより効率的にするにはどうしたらよいかという思考法が定着しているのではないかと思われます。
by t_am | 2012-07-09 23:33 | その他