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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

国会事故調の報告書(ダイジェスト版を読んで)

 国会事故調の報告書を読みました。といってもダイジェスト版ですが。原発事故の現場検証ができないという制約の中で、考えられる限り化学的合理的なアプローチにより核心に迫ろうとした姿勢は評価すべきであり、尊重すべき報告書であると思います。
 そんな中で、僕が感じたことを2つ述べさせていただきます。

(事故調の限界その1)
 報告書は、福島第一原発の事故が人災であるとしながらも、「事故原因を個々人の資質、能力の問題に帰結させるのではなく、規制される側とする側の『逆転関係』を形成した真因である『組織的、制度的問題』がこのような「人災」を引き起こした」と結論づけています。これは、「悪いのは誰だ」という魔女狩りに陥ったのでは真の問題解決はできないという考えかたに基づくものであり、説得力のある論理であるといえます。
 しかし、このような「個人の免責」が適用されるのはせいぜい現場の担当者レベルであり、少なくとも制度設計に携わる者や制度の運営に携わる責任者には適用すべきではないと思います。なぜならば、個人に対する免責をどこまでも拡大していくと、結局誰も責任をとらなくてもいいということになり、「組織的、制度的問題」がいつまで経ってもそのままになってしまう(つまり、「やりたい放題」が続く)からです。
 ここはやはり、大きな権限を持つものはそれに見合った責任があるのだから、その責任を果たせないときはペナルティを科せられてもやむを得ないというふうにすべきでしょう。その代わり、責任を果たしている限り、それに見合う報酬(収入や名声、尊敬)が与えられるのは当然ということにすべきです。
 けれども、現実には、事故調が組織の責任者や制度の運営者の不作為・怠慢をどれだけ指摘したとしても、彼らを処罰する法律はありません。庶民に対しては、この前の違法ダウンロード処罰化法案のように、いくらでも拡大解釈が可能な法律がいとも簡単につくられるくせに、官僚や政府高官・東電経営者といった人たちの行動を抑制する法律がつくられる気配はいっこうにありません。地位と権限を恣(ほしいまま)にして、やるべきことをやらない者は処罰されてもしかたないという法案の立案は事故調に与えられた権限の範囲を逸脱するものですが、報告書を受ける立場の国会議員の中に、そのような受け止め方をする人がどれだけいるかは甚だ疑問です。大阪府市の公務員基本条例や教職員基本条例のように、末端の公務員や教員に対しては厳しいことを平気で要求するくせに、エライ人は不問に付すという風潮があるように思えるのです。
 これでは、せっかくの報告書もいずれ忘れられてしまうことになるのではないかと思ってしまいます。

付記
 現職の政府高官で、国会事故調の報告書をどのように思うかを述べたのは、僕の知る限りでは枝野経産相と細野原発相の2人だけです。野田総理のコメントは伝えられていないようです。何か喋ったのかもしれませんが、マスコミに黙殺されるような陳腐な発言だったのでしょうか?


付記
 アメリカでも、イラク戦争を起こした張本人であるブッシュ大統領は処罰されていません。戦争犯罪として規定されている「平和に対する罪」に十分該当すると思うのですが・・・ それどころかホワイトハウスに肖像画が飾られることになったそうです。


(事故調の限界 その2)
 国会事故調が設けられた法律「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」には、事故調を設置する目的として、原発事故の防止と事故に伴う被害の軽減のための提言を行うということが定められています。
 つまり、今後どうすれば原発事故は防げるのか、万一事故が起こっても被害を計げんっせるにはどのようにすればよいのかをまとめるために事故調が設置されたのであり、いい方を変えれば原発の存続を前提にした組織なのです。
 したがって、国会事故調では、「エネルギー政策に関する事項」「使用済み核燃料処理・処分等に関する事項」「個々の原子力発電所の再稼働に関する事項」については取り扱わないこととされました。
 限られた時間と人的資源の中で、これらの問題を除外したのは妥当な判断であると思いますが、それだけに、今回の国会事故調の報告書が今後も原発の稼働を続けていくための錦の御旗にされかねないという心配もあると思います。どういうことかというと、「国会事故調の報告書にある提言を忠実に実行させていただいておりますので、我が国のエネルギー政策の中で、今後も原発を重要なものとして位置づけすることに何ら問題はないものと判断しております」と発言する総理大臣が出かねないということです。

 事故調のメンバーの皆さんは、「今後も原発を維持するのならば、最低限これくらいのことはやれよ」というつもりでいるのかもしれませんが、「最低限これくらいのこともできないであれば原発なんかやめてしまえ」と述べているわけではありません。そこのところを利用しようという動きがきっと出てくると思うのです。

 堤未果さんが指摘されているように、ぼんやりしていると「1%と99%の戦争」がいずれ日本でも起こるようになるのかもしれません。
by t_am | 2012-07-06 23:26 | その他