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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

野田総理を見ていてわかる「政治家の資質」

 6月8日首相官邸において野田総理による大飯原発の「再起動」に関する記者会見が行われました。

(野田総理の会見)
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/0608.html


 これを読むかぎりでは、野田総理という人は人を説得するのが本当に下手な人だなと思いました。

「何だかんだ言っても、どーせ動かすんだろ。」

 口に出すことはなくとも、これが国民の大多数の気持ちでしょう。だからこそ、反対運動も盛り上がってきたわけです。

 このような局面では、どうやったら国民に納得してもらえるか、それを示すことができるかどうかで政治家としての資質が問われるといってよいと思います。そして、その点では野田総理は見事に失敗したといえます。

 野田総理は、大飯原発3号機4号機は「実質的には安全は確保されている」と言っておきながら、「政府の安全基準の判断は暫定的なものあり」、「最新の知見に基づく30項目の対策を」「期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。」と述べています。つまり、安全だといっているにもかかわらず、最新の知見に基づく対策がさらに30項目必要であり、その実施はまだ完了していないと認めているわけです。普通に考えれば、安全であると断言できるには、考えられる限りの対策が実行され、もはや修正すべきところはどこにもないという場合だと思うのですが、野田総理の考えはそうではないようです。

 おそらく、総理の言いたかったことは、(根拠を示すことはできないけれど)大飯原発は安全なんだけれども、念のため追加対策をやることにしたので安心してくれていいんだよ、ということなのでしょう。

 こういうのを「気休め」といい、他人を説得しなければならないときに気休めしか言えないというのは情けないと思います。


 野田総理の「再起動が必要である」という判断の2番目の根拠は、「計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避ける」というものです。これに対しては、どなたかが「消費税増税が日常生活へ及ぼす悪影響はどうなんだ」とツイートしておられたように、詭弁であると私は思います。
 すでに、東京電力では家庭や中小企業向けの電気料金を大幅に値上げすることを決めているわけですが、野田総理がこれに対して待ったをかけたという話は聞きません。電力料金の大幅な高騰が日常生活に及ぼす悪影響を本当に憂えているのであれば、東京電力に対して、電力料金の値上げはするなという発言があって当然だと思いませんか?

 「私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。」と、野田総理は述べました。感動的な言葉だと思いますが、その割に軽い感じがするのは否めません。なぜならば、野田総理が決して自分の本音を語ろうとしないからです。
 
 「(大飯原発は)実質的には安全は確保されている」、「消費税増税は待ったなし」、「福島第一原発の事故は収束した」という野田総理のこれまでの発言をみると、どれもその根拠をきちんと説明していないことがわかります。(福島第一原発の事故が収束したという判断の根拠は冷温停止「状態」にあるということでしたが、冷温停止というのは正常な原子炉に対して用いられる用語であって、破損して放射性物質の放出が止まっていない状態の原子炉に対してなぜ「事故が収束した」といえるのか不思議でなりません。)

 福島第一原発の事故以来、政府に対する国民の信頼は地に墜ちました。政府が今しなければならないのは国民の信頼を回復させることなのですが、やることなすことすべて逆の方向に作用してきたように思えます。その理由は、騒ぎをこれ以上大きくしないようにするにはどうしたらいいか、そればかりを考えて行動してきたからであり、国民を納得させる努力を怠ってきたことにあります。

 政治家の役割は国民を納得させること。これは橋下市長が以前ツイートしていたことです。私が大阪市民であれば、橋下市長に投票しようとは思いませんが、こういう指摘ができるのは流石だと思います。

 どうやら野田総理という人は、政治家であるよりも官僚であることのほうに向いているようです。官僚の世界では、問題に対する回答はあらかじめ用意されており、その妥当性はいちいち議論する必要がないという空気のようなものがあるように思います。というのは、官僚の間では判断基準となる価値観が一致しているからです。
 「自由競争」、「利益の最大化」、「コストカット」、「自己決定自己責任」、「経済成長」。ビジネス誌に出てくる用語を一通り並べると、彼らの価値観を言い表すことができるのであり、こういうところに軸足を置いて野田総理の発言をみると、これほどわかりやすい人も珍しいと思います。前任者の管直人は権力に執着するきらいが強く現れていましたし、鳩山由紀夫は現実よりも夢想によって発言する人でした。ですから、野田佳彦という人はたぶん「いい人」なんだろうと思います。そして、「いい人」というのはえてして「ものごとが見えない」という欠点の持ち主でもあります。
 おそらく野田総理にしてみれば、これらの価値観は自明のことであり、他人も自分と同じ価値観の持ち主であると思いこんでいるのでしょう。ですから、この人にとっては、自分の判断の妥当性を証明するのは苦手なのであり(したことがないから)、むしろ判断を実施することの方に関心が向けられているのだと思います。

 
 日本の原発がすべて停止した原因は、もう一度東日本大震災クラスの災害に見舞われたら安全といえる原発はひとつもないのではないか、という疑問と不安にあります。
 まずいと思うのは、原発事故のリスクをどのように理解するかが曖昧になっていることです。たとえば、福島第二原子力発電所では津波による浸水はありましたが、大規模事故を起こすまでには至りませんでした。また女川原子力発電所は津波による被害は免れたわけです。そうすると、この二つの原子力発電所は、今の日本で災害に強いことが実証されているただ二つの原発であるということになり、再稼働にもっとも近い位置にあると考えることもできるのです。
 このように、原発によって立地状況も異なれば設備の耐震性や築年数も異なるにもかかわらず、すべての原発が同じレベルで扱われているというのが現状です。ちょっと異常な状態にあると思いますが、そのような雰囲気が漂っている中では、科学者や技術者もこの原発は安全であるという判断ができるものではありません。

 実際問題として、科学者や技術者が安全を保証してくれるのであれば政治家の出る幕はありません。しかし、現実はそうではないのですから、原発の再稼働については政治家が判断しなければならないことになります。
 その際に重要なのは、結論がどのようなものであれ、国民を納得させることができるかどうか、この一点に尽きます。どうせ、どちらが正しいのかは誰にもわからないのですから。
 したがって、国民を納得させるためには、政治家自身がこの問題についてどこまで突き詰めて考えているかがポイントとなります。その点、野田総理の場合は最初から結論が出ているわけですから、他人を納得させるだけの材料を自分の中で練り上げるというプロセスが欠落してしまいました。このことは、今後山場を迎える消費税の増税問題でも同じであり、TPPへの参加についても同様です。
 国民を納得させることができないという、政治家としての資質を欠いた人がこの国の舵取りをしているというのは極めて不幸なことであると思います。

付記
 原発の再稼働に対する反対運動は、政府による安易な決定を許さないという意思をアピールしたことになったので、ある程度の効果はあったと思います。ただし、これに対する政府の対応は十分であったとはいえません。政府の事故調査委員会の最終報告がまとまっていない段階で、野田総理が「原発の安全性は実質的には確保されている」と判断したのはなぜなのかわかりません。想像するに、考えられる限りの安全対策を講じることにしたというのがその理由なのでしょう。けれどもそれらは、本来であれば、事故の発生前にやっておくべきことでした。
 やるべきことを怠り、そのままにしておいたことが、原発事故の要因となったことは、広く知られていることです。政府に対する不信感はこういうところにも根ざしているのですが、政府首脳には国民の不信感をぬぐい去ろうという気持ちは薄いように見受けられます。
by t_am | 2012-06-10 08:38 | その他