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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

河本某の騒動について思うこと(1)

 人気お笑い芸人である次長課長の河本某の母親が生活保護を受給していたという一連の報道は、本人による謝罪の記者会見でピークに達したようです。ハイエナのようにめざとい政治家がこの問題を取り上げたりして大きな騒動に発展したのですが、私には、自分の親の面倒を見るかどうかについては所詮は個々の家庭の事情にすぎないと思えます。

 河本某を責める人たちは、金を持っているくせに母親に生活保護を受けさせるのはけしからんという気持ちを持っているようです。そう思うのは当然だと思いますが、それを口にするかどうかはまた別の問題でしょう。「河本某はああいうことをしたけども、自分はそんなマネはしないでおこう」と考えるのは潔いといえますが、だから責めても構わないのだというのは違います。あなたがたは、この国を、「他人の財布に手を突っ込んでその使い途を監視しても構わないのだ」という国にしたいのですか?

 親の面倒を見るのが当然という考えかたがあります。だからといって、他人に対し、お前が親の面倒を見ないのはけしからん、と口にするようなことではないでしょう。それを言っていいのは、当人の親戚や家族に限られます。けれども、よく考えていただきたいのは、そういう家族や親戚からの干渉を息苦しいと感じたからこそ、大学進学や就職を口実にして親元を離れた人が多いのではないでしょうか? それが悪いと申し上げているのではありません。自分が息苦しいと感じたことを、他人に押し付けることはどうなのかと申し上げているのです。

 また、金を持っているくせに生活保護という税金を受け取るのはけしからんという思いもあるようです。これも一見もっともな考えかたのようですが、よく考えるとおかしいと思います。というのは、私たちが払っている税金はこの社会を維持するために必要な資金として払っているのであって、日本の社会のシステムがもたらす恩恵は誰もが平等に受けています。普段あまり意識しませんが、医療や教育、治安、食糧供給など国民生活を支えるために税金は使われているのであり、そういう意味で、私たちは平等に税金の恩恵を被っているといえるのです。
 さらに、さまざまな補助金や助成金という制度もあって、個人を対象にしたものと企業を対象にしたものとがあります。個人レベルでは公的機関による職業(技能)訓練もそれに該当します。これらの助成制度は、受益者が金持ちであるか(企業であれば利益を出しているか)どうかは問いません。つまり、貧乏人が税金による庇護を受けるのは構わないけれども、金持ちは税金の恩恵を受けてはならないという理屈は成り立たないのです。

 このように書くと、生活保護は支援してくれる人もなく自立できない人の生活を支えるための制度なのだから、子供が親を扶養できるだけの収入をもっていれば生活保護を受給するのはおかしい、という反論を受けると思います。これに対しては、河本某の家庭の事情ではなく一般論で申し上げるのですが、子供が親を扶養する義務と親がそれを受け入れるかどうかはまったく別の問題だと考えるべきでしょう。親の中には、歳をとれば子供に面倒を見てもらうのは当然と考える人もいますし、逆に、子供に迷惑をかけるわけにはいかないので自分の事は自分でなんとかすると考えている親もいます。したがって、親の面倒を見るかどうかは、個々の家庭によって事情が異なるのですから当人同士で話し合って決めればよいことであって、他人がこうでなければならないと決めつけるのはおかしいと思うのです。
 くどいようですが、そういう親や親戚からの干渉を息苦しいと感じて親元を離れた人も多いはずであり、そのことを忘れて河本某を非難するというのは矛盾しています。

 話が飛躍するようですが、親の面倒を見るという行為の中には、さらに介護という要素が入り込んでくるのは避けられません。介護経験のある人から、その負担(経済的な負担と精神的な負担)がいかに大きいものであるかを聞いたことがあります。けれども現行の制度では、介護する家族を支援する仕組みはまだまだ貧弱です。そういう現実に目を背けて、子供が親の面倒を見るのは当然と決めつけていいのかということもあります。

 次稿で述べますが、生活保護の支給水準を引き下げようという目論んでいる政治家たちにそういう世論が利用されかけています。河本某を責めて溜飲を下げるという気持ちも理解できないわけではありませんが、そのことが社会の弱者の切り捨てにつながっていくということも知っておいたほうがいいと思うのです。
  
by t_am | 2012-05-27 09:13 | その他