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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

市長の憎悪と限界

日本国内に限ってですが、野田総理よりも存在感のある政治家が二人います。一人は石原都知事であり、もう一人が橋下市長であることはいうまでもありません。この二人には、自分の価値観と異なるものは認めないという共通点がありますが、石原都知事には橋下市長ほどの攻撃性と執拗さはありません。その違いはどこからくるかというと、橋下市長にある憎悪が石原都知事にはないように思われます。

たとえば、怒りは人間にエネルギーを与えますが、あくまでも一時的なものであり持続させるのは困難です。ところが、憎悪はそれ以上のエネルギーを持続的に人に与えます。そのように考えると、市長の攻撃性と執拗さが理解できるように思えるのです。

橋下市長の憎悪が何に対して向けられているのかといえば、具体的には教師であり公務員です。もう少し正確にいうと、不逞教師であり不逞公務員ということであり、きちんとやるべきことをやらないで特権や既得権益にあぐらをかいている連中であるということになります。そして、大阪の庶民の間にもその連中に対して、快く思っていないという感情があります(大阪庶民の間にあるその感情は、東京などに比べるとかなり強いというのは小田嶋隆さんが指摘されています)から、市長が彼らを攻撃すると庶民が喝采を浴びせるという構図ができあがるわけです。

 既得権益をめぐる利害関係者の集団を非難することと、今後それを解体して新しい形をどのようにしてつくっていくかという「改革」はまったく異なる性質のものです。問題意識を持つことは重要ですが、問題意識を持ったから改革に成功するとは必ずしもいえません。失敗することもありますし、かえって悪くなったということもあるわけです。

 政治的なリーダーを選ぶ際に、自分が共感できる人物を選ぶというのは至極もっとも選択だと思います。ただ、橋下市長には、その根底に憎悪があるだろうと推測できる一方で、それほど単純な人ではないとも思ってしまうのです。喧嘩に勝つためには何をすればいいかという勘の良さは超一流ですし、反対意見を封じ込めるロジックの展開も見事だと思います。

 そういう能力に恵まれた人が人気を集め、権力を手にしたときに何をしでかすか分からない、という不安を持つ人は、橋下市長を独裁者と結びつけて考えるのではないかという気がしています。そういう不安も理解できますが、実際のところ、今後大阪では混乱は生じるでしょうが、破滅的な状況に陥るとは思いません。(その代わり、混乱から回復するのに長い時間を要すると思います。)
 というのは、独裁者というのはそれをさせる組織があって初めて成立するものなのですが、橋下市長はまだ組織を持っていないからです。大阪維新の会は組織じゃないのかといわれるかもしれませんが、あれは今のところ政治勢力であってまだ組織にはなっていないといえると思います。
 たしかに、次期国政選挙を視野に入れて、候補者を養成するための政治塾を開設するなど、その影響力がさらに大きくなると予想されていますが、それもあくまでも橋下徹市長個人の人気に負うところが大きいわけで、たとえていえば、一人のスーパー・プレイヤーが率いるスポーツチームのようなものです。チームとしての力がどの程度のものなのかはまったく未知数であるといえます。
 そういう視点で、この間発表された家庭教育支援条例案を巡る騒動を眺めてみると、やっていることがあまりにもお粗末です。このことは、大阪維新の会がまだ組織としてかたまっていないことを示す思いますし、今後、政治塾が本格的に稼働し、議員の数が今よりも大幅に増えたときにどうなるかを考えると、維新の会が政治をリードする組織になっていく可能性は極めて低いと思われます。

毎日新聞「大阪維新の会:家庭教育支援条例案を白紙撤回 抗議受け」5月7日
http://mainichi.jp/select/news/20120508k0000m010085000c.html


 憎悪が目指すのはとりあえず破壊ですから、「グレートリセット」というスローガンが設けられるの当然といえるでしょう。それよりも問題はリセットした後どのようなものをつくっていくのかということの方です。
 橋下市長のブレーンとしてきら星のごとく人材が集まっていますが、肝心の組織がないところにスタッフがいくら集まっても「船頭多くして船、山に登る」という諺どおりの結果になるのではないかという気がしてなりません。また、そのスタッフも、経済成長というところに力点を置いた価値観の持ち主が揃っているようです。少子高齢化による総需要が減衰している局面の中で経済成長を謳うのは、今後給料が目減りしていくのがわかっていながらこれまで以上に豊かな生活をおくりましょうといっているようなものです。誰でも今の生活水準を下げたくないと思っているのは事実であり、たとえばギリシャの状況をみれば、経済成長がなければ国は危機に瀕するといわれればそうだろうなと思ってしまいます。
 その代わり、そうやって成長戦略を進めていくことは格差を拡大させ、しかも固定化させていくという副作用を伴うことにそろそろ気づいてもいいのではないかと思ってなりません。
by t_am | 2012-05-21 06:40 | その他