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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

参院は衆院のカーボンコピーなのか

 大阪維新の会では参議院を将来的には廃止も視野に入れて、首長が兼務する代表機関に改める方針という報道が「維新八策」の骨子を伝えるニュースの中でありました。

(産経新聞の記事)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120213/waf12021312210007-n2.htm

 松井知事は、「『衆院のカーボンコピー的な形はいかがなものか。首長が兼務すれば、国と地方の意思伝達がスピーディーに協議できる』とメリットを語った。」のだそうです。参議院が衆議院のカーボンコピーになっているという指摘は頷けないでもありませんが、首長が兼務するといっても、今でも忙しい知事の皆さんにそんな余裕があるのでしょうかね? 今の国会議員が片手間でできるレベルの仕事しかしていないから、自分たちが片手間にやる方がはるかにマシ、ということなのでしょうか。そういえば、過労死した平社員というのはよく聞きますが、過労死した社長、知事というのは聞いたことがありません(夜逃げした社長、自殺した社長というのは聞いたことがありますが・・・)。

 参議院が衆議院のカーボンコピーになっているというのは、みんなで寄って集ってそういうものにしてしまったからです。選挙区は各都道府県に1つという中選挙区制ですが、29の選挙区(県)では1回の選挙での当選者は1人ですから事実上の小選挙区制になっています。(参議院では3年毎に半数が改選されるので、1人区の県では参議院議員が2人いることになります。)
 また、定数96人の比例代表に立候補できるのは政党に所属する候補だけであり、選挙区とともに政党に属さない人は立候補すらできない状況になっています。つまりせっかく二院制を採用していながら、国会議員になれる人が衆議院と参議院とでは変わらないという状況になってしまっているのです。
 こういう状況では参議院が衆議院のカーボンコピーになるのは当たり前であり、そうならない方がむしろおかしいといえます。それではなぜこういう状況になったのかというと、政党が数を追求する団体だからです。国会だけでなく議会での議決は多数決で行われるのですから、議員数=政党のパワーということになります。(どんなに声望が高い人でも、それは政党に所属しているからであり、大きな勢力を持つ政党を離れて新たにミニ政党を結成したとしてもその力は大きく減殺されてしまいます。)
 政党がパワーを維持し拡大していくための大前提は新規参入を抑止することです。選挙に金がかかるのはそのためですし、ネットの活用がなかなか解禁されないのもそのためだといえます。今流行の言葉でいえば、競争原理が働かないようになっているわけです。

 そのような状況を頬被りしておきながら、参院は衆院のカーボンコピーになっているという指摘は間違いではありませんが、フェアでもありません。逆に、おなじみのねじれ現象によって、参議院はその存在価値を高めているといえるのです。

 衆参ねじれ国会の原因は衆議院の小選挙区制にあります。小選挙区制では敵(=悪者)を仕立て上げ対立軸を鮮明にした政党が劇的な勝利を収めます。郵政解散選挙や民主庁に政権交代したときの選挙を思い浮かべてください。要するに、小選挙区制とはそのときの雰囲気に左右されやすい選挙制度なのです。ところが、参議院の選挙は3年毎に行われることになっていますから、そのときの熱狂が冷めた頃に参議院の選挙が行われることになります。安倍政権での参院敗北、民主党政権の参院敗北。いずれも与党の独走を抑制する方向で票が動いています。したがって、維新八策にある参議院の廃止も視野に入れた改革というのはそのときの与党を利することになるのです。
 だいたい選挙に勝ったからといって有権者の白紙委任状を手に入れたと思うことが傲慢であるといえます。投票率によっては、有権者の3割以下の得票しかなくても当選できるのが小選挙区制です。しかし、当選者は自分に投票しなかった人のことなど歯牙にもかけなくなるのが普通です。その挙げ句、自分は民意によって選ばれたと臆面もなく公言するわけです。あのね、民意によって選ばれたといいたいのなら、選挙制度を「改革」して、有権者の過半数の票を獲得する候補者がいない場合はその選挙は無効とするとか、せめて投票率が90%以下の場合は選挙を無効とするとかしてから言ってくださいね。あなたに投票しなかった人の方が多いという事実を無視するのはおかしいのではないのですか。
 そんなわけですから、実際に支持する人が少数派でありながら政権党になることもできる以上、政権党の独走に歯止めをかける仕組みを残しておく必要があるのです。

 ねじれ国会で何も決められないのは、国民が共感する政策が打ち出されないからです。野党が党利党略に走って国民が認める重要法案をないがしろにするのであれば、世論はそれを許さないでしょう。(自民党の支持率が低迷したままであるのもそのためです。震災直後に大連立に応じていれば状況は変わっていたかも知れないのに、惜しいことをしましたね、谷垣さん。)
 それというのも自分に投票しなかった人にも納得してもらえるような説明をしようという丁寧さを持った政治家がいないからです。自分に反対する人たちを説得しようというアクションを通じて国民も納得する政策が作り上げられることになるはずです。それがそうならないのは、選挙に勝てば全権を委任されたと政治家が勘違いするからです。(これは大阪維新の会の皆様も同じであるといえます。)
 野田総理は就任直後は、反対派に対しても丁寧な説明をして同意してもらえるように努めるというようなことを言っていましたが、実際にやっていることはごり押しであり、言っていることとやっていることがかけ離れている政治家として、後世に汚名を残すことになりそうです。
 そもそも国民に納得してもらおうというプロセスを無視して法案をごり押ししようとしておきながら、何も決められないのは衆参ねじれ国会のせいだというのは責任転嫁以外の何物でもありません。大事なことは法案を成立させることではなくて、協議を重ねながら反対派にも(ということは国民にも)納得してもらえる法案を練り上げることなのです。
 民主自民公明3党協議によって法案の成立を図るというのは、政治家が数の論理に囚われているという証左にほかなりません。本当に成立させなければならない法案であれば、政党の枠を超えて可決されるものなのですから。

 仮に、大阪維新の会が掲げるように、将来参議院が廃止された場合にどうなるかを考えてみると、議院内閣制(国会で最大多数を占める政党から総理大臣が選出される)の下では、首相とそれを支える与党勢力に対し歯止めをかける機能が失われてしまうことになります。大阪維新の会が主張するように首相公選制が実施された場合、国会と首相とが互いに独立するかのようにみえますが実際にはそうはなりません。2つの選挙の間には時間をおいて、そのときの雰囲気に左右される要因を極力排除する仕組みが必要になるのです。

 小田嶋隆さんは、橋下市長は水戸黄門のようなものであるという指摘をされました。それは、大阪市民・大阪府民の間には役人に対する不信感があって、それを懲らしめる存在としての橋下市長に対する期待の大きさが水戸黄門(悪代官を懲らしめる、より上位の権力者)の構図と一致しているというご指摘です。水戸黄門は、悪代官を懲らしめて再び旅に出ることができる(後は知らない)というお気楽なキャラクターですが、橋下市長はそうではありません。任期中は「旅立つ」ことはできないのです。(それをやったのが前の横浜市長です。)
 4年という市長の任期は結構長いので、その間に当初の熱狂は冷めることも充分あり得ることです。最初は支持していた人たちも途中で不支持に回ることもあるかも知れません。
そうなったときに、それらの「民意」を反映させる仕組みを残しておく必要があるのであって、国政レベルでは3年毎に半数改選が行われる参議院がその枠割を担っているのです。

 ゆえに、大阪維新の会が掲げるように参議院を廃止するというのは非常に危険なのことであると私は思います。内田樹先生(この方も橋下市長から攻撃されています)がいみじくも指摘しているように、「国民に喝采と服従だけを求める政治家」にとって参議院という装置は邪魔なのでしょうね。
by t_am | 2012-02-27 21:27 | その他