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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

「全ては憲法9条が原因だと思っています」

 今日の橋下市長のツイートにはビックリしました。

 世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。
http://twitter.com/t_ishin/status/172897650386010112 から引用

 もともとは、今朝の産経新聞の「正論」に載った阿佐々淳行さんの、維新八策には安全保障が抜けているという指摘と提言に応えた連続ツイートの一部なのですが、こういう論理の展開をしてくるとは思いませんでした。
 この発言に対して、おちょくるようなツイートが多数登場したとのことです。

(橋下徹大阪市長の「全ては憲法9条が原因だと思っています」が爆発的ブームに)
http://rocketnews24.com/2012/02/24/186374/

 私が見かけたのは、茂木健一郎さんの「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、#全ては憲法9条が原因だと思っています」というものでした。暇な方は「憲法9条が原因」というキーワードでツイッターを検索してみてください。ツイートしている人の中には、こういうおちょくりに対して怒っている人もいることに気づくはずです。揶揄もまた庶民の気持ちを代弁する形態のひとつであること考えると、どっちも頑張れ、といいたくなります。

 橋下市長のこのツイート自体は論理性がなく、こじつけに過ぎません。多くの日本人が「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」といっていたのも本心ですし、そのうちの一部の人たちが瓦礫を拒絶するのも本心からです。こういうのを総論賛成各論反対といい、何も今回に限ったことではありません。
 前回も申し上げましたが、人間は自分に影響がないと思えば賛成しますし、その後自分に不利益が生ずるとわかった途端に反対に転じるという生き物です。人間のこの性質が憲法9条とは何の関係ないことは小学生にもわかることです。事実、憲法9条に相当する規定のない国であっても、総論賛成各論反対という現象が起こっています。
 それではなぜ、小学生にもわかることが橋下市長にはわからないのか、ということを考えると、これは推測に過ぎませんが、橋下市長にすれば、日本人が安全保障について真剣に考えようとしないのは憲法9条があるせいだと考えているからなのかもしれません。さらには、平和を求める割に何ら汗を流そうとしない日本人に対し苦々しく思っているのかもしれません。(せいいっぱい好意的に考えるとこういう可能性があるということで示しています。無論これが正しいかどうかは誰にもわかりません。)

 仮に、そうだとしても、この論理の展開は唐突すぎると思います。

 翻ってみれば、この人のロジックは常にこのパターンであるということに気づきます。すなわち、最初に誰もが問題に感じていることを指摘し、相手に認めさせたうえでその解決策はこれだ、というフレームをつくりあげて、以後はそのフレームの中だけで議論を進めるというものです。反対意見が出たとしても、問題であるという認識が間違っているわけではないので、どうしても反対意見の歯切れは悪くなります。そのうえ、そこまで言うなら対案を出せと迫ることで、議論をあくまでもそのフレームの中だけで進めてしまおうとしています。そうすれば自分が負けることは絶対にないとわかっているからです。さらに念の入ったことに、「徹底的に議論を重ねた後で決断するのは政治家の責任。その決断を有権者が気に入らなければ次の選挙で落とせばいい」とも言っています。さすがは弁護士。弁が立ちますね。ほんと、感心してしまいます。

 教育基本条例にしても、発端は大阪の学力テストの結果が全国でもワースト5に入るということでした。それが、保護者が望む教育が学校ではなされていないという指摘になり、教育委員会と教師が悪いのだという論理が展開されていったわけです。保護者が望む教育がなされていないということと教育委員会と教師が保護者に目を向けていないということは大阪に限ったことではありません。(保護者が望む教育をすることがいいかどうかは別な問題です。)どの都道府県でも似たり寄ったりの状況でしょう。にもかかわらず大阪の学力テスト結果が悪い、というのは他に原因を求めなければなりません。しかし、そのようには考えないのです。そして大阪の人たち(といっても全部がそうだというわけではないでしょうが)も橋下市長を支持しています。それはなぜかというと、小田嶋隆さんが指摘されているように、大阪の人たちの間には公務員や教師といった身分の人に対する不満と不信感が特に強いからなのだと思います。

 この手法は、小泉純一郎が自民党総裁になったときにも使われていました。社会に漂う閉塞感を代弁するかのように、その原因はこれだ、と明解に指摘することでみんながわーっと飛びつくというものです。かくいう私もそれに飛びついた一人ですから、それがどんなに危険なことかがわかるのです。

 沖縄の米軍基地の問題に決着をつけようとするのであれば、日本の安全保障をどうするのか、という議論を避けて通ることはできません。これまで通り米軍に頼りっぱなしでいき、その代償として沖縄や岩国、厚木といった基地を米軍に差し出し、治外法権ともいえる状況を継続させるのか、それとも自らの手で日本の防衛に取り組む姿勢に転じアメリカと対等の関係を築こうとするのか(そのかわり軍事費の支出は増えるでしょう。世界第6位の面積を誇る排他的経済水域を守るということはそういうことにつながるのです)、そろそろそういう議論をした方がいい時期にさしかかっていると思います。日本人の中には米軍のことを日本が金を出して雇っている用心棒くらいに思っている人もいるかもしれません。しかしながら、この用心棒が雇い主に忠誠心を持っているかというとそうではありません。用心棒にはボスがいて、そのボスのいうことしか聞かないのです。そのうえ素行が悪く、雇い主の家族といざこざを起こすこともしょっちゅうあるのですが、雇い主の方でも見て見ぬふりをしています。内心では、「自分が金儲けだけ考えていられるのは用心棒がいるからなのだ。だから少しくらい嫌な思いをしても我慢しなければならない。」と考えているからです。

 憲法9条は「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という第一項と、「2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という第二項の規定によって成り立っています。これらの規定は、日本の自衛権までも放棄したものではなく、自衛のための戦力の保有も認めないというものでもありません、その傍証として、憲法66条には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定されています。(一切の戦力を認めないというのであれば、大臣を文民に限るという規定は意味を持たないことになるからです。)
 このように考えてくると、日本が自国の安全保障を自前で行い、アメリカと対等の関係を築こうとしたとしても憲法9条の規定とは矛盾しないことがわかります。橋下市長の今日の連続ツイートは憲法9条の改正を前提に安全保障についての議論を行うというものでした。自衛のための戦力を持つことが憲法9条と矛盾しない以上、憲法9条を改正する理由を示さなければならないはずですが、橋下市長の論理は「全ては憲法9条が原因だと思っています」という突拍子もないものです。

 橋下市長が好んで使ういい方は、「議論を徹底的に尽くし、そのうえで政治家が最終判断する。その過程で、マスコミによるチェックと議会によるチェックと選挙によるチェックを受ける」というものです。字面を見ればまことに民主的な手続きに則っているかのようですが、はたしてそうなのでしょうか?

 被災地の瓦礫の受け入れを拒絶する住民の気持ちは、私には情緒的すぎると思えます。これ以上放射性物質の拡散を認めてはならないという主張は理解しますが、それならば瓦礫の持込み反対する前に、今も続いている福島第一原発からの放射性物質の拡散についてただちに止めさせろという主張の方が先でしょう。福島県や隣接する茨城県や栃木県の一部に放射性物質が飛来するのは構わないというのは単なるエゴに過ぎません。しかも実際にはそれ以上に広い範囲に放射性物質のチリが飛来しているのです。
 新潟県でも下水道の汚泥から放射性物質が検出され、それら汚泥を持っていく場所が決められないために、今も処分場の敷地内に仮置きされたままという状態が続いています。空気中を漂う放射性物質はごくわずかな量ですから空間線量を測定してもほとんど検出されないというのが実態でしょう。それらが地上に落ちても状況は同じです。けれども雨水と一緒に下水道に流れ込むと、それらの放射性物質は汚泥の中で濃縮されていくので、結構な濃度の放射性物質が検出されることになるのです。
 この状況は新潟県だけでなく、関東も含めた東日本に共通することだろうと思います。そもそもこんな狭い国土で原発事故が起こったわけですから、その影響が福島県だけにとどまっていると考えてよい根拠はどこにもありません。幸か不幸か、その影響とは人が住めなくなるほどには汚染されたわけではないけれども、かといって汚染が皆無であるというわけでもないと考えた方がよいと思います。そうなると、考えられる方針としては、環境中に薄く広く拡散してしまった放射性物質をあらゆる手段を使って集め、二度と拡散しないように封じ込めてしまうというのがもっとも現実的でしょう。そのためには、放射性廃棄物の保管場を確保することが不可欠なのですが、遅々として進みません。地元の住民の反対があることもわかりますが、既に下水道処理施設の敷地内には放射性物質を含んだ汚泥が大量に仮置きされているという事実にも目を向けるべきでしょう。

 そうかといって、被災地からの瓦礫の持込みを拒絶するという圧力が行政に勝手なマネはさせないという効果を上げていることも事実です。表だった反対がなければどんどん事を進めていってしまうというのが政府や自治体のやり方ですから、それに対する歯止めとなっている効果は大きいと思います。
 それではどうしたらいいのかというと、反対派の人たちを説得すること、および反対派の人たちを納得させられるだけのプランを提示すること、このふたつを繰り返し行うことにつきるといえます。
 人間が大勢集まって社会をつくりあげている以上、何をやるにしても反対意見はつきまといます。意見や利害の対立による紛争を回避するためのシステムとして民主主義ができあがったと私は思います。専制国家が紛争や弾圧も辞さないということを考えれば、意見や利害の対立する人たちといかにして折り合いをつけていくかを探るのが民主主義の根幹であることがわかります。意見や利害の対立に決着をつける制度として、多数決や投票、裁判などがあります。これらの制度が有効であるのは、結論を出す前に意見が出尽くしている、それほど議論がなされているということが前提となっています。
 橋下市長は民意という言葉が好きなようですが、選挙に勝った候補者が民意を反映しているというのは強弁です。反対候補に投票した有権者もいるはずですし、棄権した有権者もいます。さらに投票率も考慮すると、当選者に対し投票した人というのは有権者全体のせいぜい3~4割程度にとどまるのが普通です。これは大阪市長選挙であっても同じことであり、橋下候補に対し消極的に投票しなかった有権者および積極的に投票しなかった有権者の方が投票した人よりも多い以上、自分は民意を代表するものだと思いこむのは間違いのもとだといえます。
 さらに、この候補者ならば4年間の任期中白紙委任状を託してもいいと考えて投票する有権者などどこにもいません。今は橋下市長を支持している人でも、今後不支持に回るかもしれないという可能性は否定できないのです。
 思い込みによって余計なことをされては迷惑だと考える市民が今後増えるとすれば、それこそ総論賛成各論反対そのものでしょう(小泉政権がそうなりました)。それを「全ては憲法9条が原因だと思っています」と決めつけるのは質が悪いといえます。橋下徹という政治家が稀に見る実行力の持ち主であるだけに、その弊害もこれまでの無能な政治家の比ではないと懸念されるのです。
by t_am | 2012-02-25 00:08 | その他