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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

ベーシックインカム(1)

 橋下市長のツイートを読んでいたら2月15日には「ベーシックインカム」という言葉が登場しました。このツイートに関連して茂木健一郎さんもツイートをしていたので、どんなものなのか調べてみることにしました。

(橋下市長と茂木健一郎さんのツイート)
http://togetter.com/li/258030

 まず、Wikipediaによれば、ベーシックインカムとは「国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想」という説明がなされています。つまり、毎月いくらかの現金を老若男女を問わずすべての国民に対し支給するというものであることがわかります。
 この世の森羅万象はもとより、人間がやることにも有益な面と有害な側面とがあります。有益な面の方が優勢だと判断されれば、その構想は実現されますが、時代や社会情勢が変わることによって有害な側面が強く出てくるようになると改革や廃止がなされるわけです。
 そのことを踏まえながら、以下ベーシックインカムという構想について考えてみたいと思います。

 橋下市長がベーシックインカムに興味を持つ理由は、行政組織をスリム化しコストを劇的に削減することができるというところにあるようです。たとえば2009年12月31日に廃止された社会保険庁の定員は18,622だったとのことです。(翌日設立された特殊法人である日本年金機構の職員は設立時22,000人であり、その内訳は正規・准職員12,000人、有期雇用職員10,000人。)要するに国民から集めた保険料を年金(ただし国民年金と厚生年金。公務員の共済組合は対象外)として配るためにこれだけの人員が必要だとされているわけです。仮に、ベーシックインカムが実現し、年金が生活保護や他の補助金や助成金と一本化されたとすると、これまで別個の事務処理をしていたものがすべてひとつに統合されることになります。したがって事務経費が大幅に削減できるという効果が期待できるわけです。

 この点に関して、堀江貴文さんがそのブログの中でこのように意見を述べておられます。「農業革命で人々は飢えることからある程度開放された。
産業革命で人々は労働時間からある程度開放され、余暇の時間を持つことができるようになった。
実は、多くの人はもう働かなくてもよくなった状態にあるのかもしれない。

でも働かないといけないという古い倫理観は残り、実は社会全体の富を増やす労働ではなく、社会全体の富を食いつぶしている負の労働があるのではないか、と思っている。

月20万の給料を貰って、実は社会全体は、その労働を作り出すのに月30万のコストをかけている、というような。だったら、ダイレクトに20万渡せば10万円セーブできるんじゃないかと思う。例を挙げるのはここでは控えるが、いくらでもあると思う。」

(堀江貴文さんのブログ)
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10178349619.html
 
 「月20万円の労働を作り出すために社会全体は月30万円のコストをかけている」という意見は、私も全く同感であり、特殊法人への公務員の天下りはその典型的な事例であろうと思います。
 ベーシックインカムによって事務経費が削減されるということは大いに歓迎すべきことでしょうが、同時に公務員の余剰が発生するということでもあります。行政コストを削減するという目的からすれば、これらの余剰人員を別な部署で吸収するというのは許されるものではありません。ゆえにこれらの余剰人員となった人たちにはいったん失業していただいて、再就職は自己の努力と責任で行っていただきたいということになるのでしょう。

 同じようなことは、かつて明治政府により秩禄処分という形で行われました。徴兵制の実施により、士族の存在理由がなくなったことを契機に、士族に対し金禄公債を与え、その利息で生活するかそれを元手に事業を興すかして後は自力でなんとかせよ、というものでした。背景には財政難もあったのですが、要するに退職金を与えて一斉にクビにしたわけです。この政策によって士族の生活が苦しくなったことは事実であり、それが直接の原因というわけではありませんが、一連の不平士族の反乱(西南戦争など)が起こる要因のひとつになったと考えてよいと思います。
 私は、行政のスリム化に反対しているわけではありません。むしろ、野田総理がことある毎に強調しているように、(現状のやりかたを続けるためには)増税が不可欠であるというのも理解できます。その代わり、増税によって財源を確保できたとしても、そう遠くない未来に再び増税する必要に迫られる状況に陥るだろうということも目に見えています。ゆえに行政をスリム化することに賛成し、消費税の増税には反対する立場なのですが、あまり急いでや改革を進めるとと痛みが大きくなりますよ、ということを申し上げているのです。

 橋下市長が指摘するようにいろいろな補助金や助成金といった制度があり、それぞれ所轄している官庁も違えば部署も異なるわけです。ということはそれらの事務コストを削減しようとするならば、制度をシンプルなものにする以外にないということは私にもわかります。
 だからといって、セーフティネットをベーシックインカムというただひとつの制度に絞ってしまうのは弊害の方が大きくなると思います。なぜならば、生活していくのに必要最低限の金額というのは人によってまるで異なるからです。にもかかわらず、一律に支給するという硬直した発想では、それこそ餓死者が大量に発生することにもなりかねません。人によって支給額を変える(ということはそれを査定する)仕組みと人員を残しておかなければならないはずです。(これについては別稿で詳しく述べます。)

 バブル崩壊以降、コストというのは経営者にとってガン細胞に等しい存在になってしまったかのように思われます。利益=収入(粗利益)-経費(コスト)という単純な数式があるわけですから、コストを削減すればそれだけ利益を増やすことができるという考え方が間違っているとは思いません。しかし、そのような考え方で突っ走ってきてやがて二十年が経とうとしている現在、そろそろ弊害の方が大きくなってきているように思われてならないのです。
 別に人件費は聖域であるとは申しませんが、従業員を人件費(=コスト)という数値に置き換えて処遇してきた結果、自分がいつリストラされるかわからない、病気になったら医療費をどうやって捻出しようか、などの将来に対する不安が払拭できない社会になってしまったと思います。そういう社会では、宵越しの金は持たないという脳天気な消費行動をとる人がいるとは思えません。
 だからこそ、安心してお金を使い切ることができるようにするためにセーフティネットとしてのベーシックインカムが必要なのだということになるのかもしれませんが、生活保護や雇用保険、年金(国民年金は不十分ですが)といったセーフティネットは既に存在しています。それでも消費が伸び悩んでいることに現代社会の深刻な問題があるわけです。橋下市長を始め、多くの人たちは経済成長を達成することでその問題を解決することができると考えているようですが、ベーシックインカムを導入しても経済成長に寄与することはありません。消費に対して補助金を出しても効果はないのです。
 これまでも地域振興券や子ども手当、エコカー減税と補助金などさまざま制度が行われてきましたが、一部の企業の収益に貢献したという例はあっても経済成長に結びついたという成功例はありません。いや、それは今までの制度が一時的な支出にとどまっていたからであって、ベーシックインカムのように毎月支給するという制度であれば状況は変わるはずだといわれるかもしれません。けれども、公的年金として1年間に48兆円ものお金がが支給されている(平成21年度、厚労省の統計から)にもかかわらず、経済成長は達成されていないのです。
 ベーシックインカムも含めセーフティネットのための資金を企業に喩えると、運転資金を企業に融通するようなものです。運転資金を融通されたら企業が成長するかといえばそんなことはないのであって、企業が成長するには投資に充てる資金が不可欠なのはいうまでもありません。
 セーフティネットがなぜ必要なのかといえば、それがないと餓死しかねない人たちがいるからです。セーフティネットを経済成長に結びつけて考えるのは間違っています。

 余談となりますが、明治政府があれほど弾圧的な統治スタイルをとったのは、不平士族の反乱に懲りたからだともいえます。民衆というのは放っておけば何をするかわからないのだから、強権によって抑えつけなければ秩序を維持することができない。最悪の場合は政権が転覆しかねないという発想が出てくるのは当然でしょう。現代でも、海の向こうを始め、そういう国はいくらでもあります。
 明治政府に学ぶところがあるならば、急激な改革にはそれだけ大きな軋轢がつきまとうのであり、それを放っておけば政権の転覆につながりかねないのですから、政府に対する不平や不満を抑え込んで秩序を維持しようとするのであれば、国家は強権を発動する道を選択するということです。
 総論賛成各論反対という言葉があるように、人間は自分に直接影響がないと思えば改革に賛成しますが、実際に改革の内容が具体化されてきて自分に不利益が生じるとわかるとただちに反対に転じるという生き物です。明治維新は、政府がそのような反発に対し、不退転の決意で臨み、これを抑えつけて完成させた革命だったといえます。
 橋下市長が率いる大阪維新の会も同じ「維新」を名乗っています。そこには、いかなる反対があろうとも、断固としてやり遂げるという強い決意を持っているのでしょう。今、橋下市長を支持している人たちが将来反対する立場にまわるということも十分考えられることですが、そのとき橋下市長がどのような態度に出るのか、敵対する勢力に対する市長のこれまでのやり方をみていると既に答えはでているにように私には思えます。
by t_am | 2012-02-23 21:32 | その他