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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

競争原理と市場原理は眉唾かもしれない(4)

5.教育に競争原理を導入したらどうなるか
 競争原理の前提は自由競争(誰でも自由に市場に参入できること)が担保されていることであると申し上げてきました。教育に競争原理を導入するというのであれば、新規参入が自由にできるように規制を撤廃するか、既存の学校の自由度を大幅に高めてやらなければなりません。その際に、教育における優勝劣敗とは何なのかという合意が明示的に成立させておく必要があるといえます。
 「すぐれた教育をする学校は生徒が集まり、そうでない学校は定員割れを起こす」という指標は有効なようにみえますが、そもそも募集定員という数字はいくらでも変えられるわけです。私が大阪市の学校の校長だったら、自分の学校を存続させるために地域の児童数よりも少なめの定員を設定し、余った教室は貸出して収入を上げる、くらいのことはやるでしょう。
 あるいは、以前も書きましたが、成績別クラス編成を断固実施して教育の効率を高めるということも行うかもしれません。その場合、算数は得意だけれども国語は苦手というこどももいるので、科目別にクラス編成が異なるということになります。そのようなやり方は教育の効率を高めることにはなりますが、こどもたちを分断するものですから、いつまで経っても友達ができない生徒も出てくるかもしれません。
 
 いささか極端な例を書いてしまいましたが、どの学校を選択するかという決定権が子供にあるわけではなく、実際には親がその決定権を持つことになります。そうなると、親の目から見て「よい学校」には生徒が集まり、そうでない学校には生徒が集まらないということになると思われます。

 親から見て「よい学校」とはどういう学校なのでしょうか? それはこどもにとっても「よい学校」なのでしょうか?

 ビジネスにおける市場では、「ものすごく売れる商品」と「そこそこ売れる商品」と「あまり売れない商品」と「まるで売れない商品」とがあります。「あまり売れない商品」を買う人というのは「ものすごく売れる商品」では満足できない人です。(ユニクロで売ってる服では満足できない人というものを思い浮かべていただいたらよいと思います。)
 さらに、市場には消耗品のように「消費者がしょっちゅう買い求める商品を扱う市場」と「一度買ったら十年は買い換える必要のない商品を扱う市場」があります。

 学校が、社員教育のように単一の目的の教育を行うところであれば、競争原理を導入しても何の問題もないと思います。しかし、すべての子供がホワイトカラーになるわけではありませんし、商社やメーカーに就職して海外勤務に従事するわけでもありません。私たちの社会は様々な職業の人によって成り立っているにもかかわらず、学校をその一部だけを対象にした人材養成所にしてどうするのかと思ってしまいます。
 こどもが学校に求めるものは、勉強したいという思いを充たしてくれるところであることはもちろんですが、それ以外に、自分の居場所がそこにあることだと私は思っています。
 こどもの居場所を守るために教師は存在するのであり、ときにはそのために身を張ることだって求められるかもしれません。

 ここまで書いて、昔読んだ星新一のショートショートを思い出しました。うろ覚えですが、だいたいこんな感じだったと思います。

 特殊な体臭(腋臭をもっと強烈にしたものを想像してください)を消し去る石鹸を製造している会社があった。それは本当にすぐれた石鹸で非常に高価なものだったが、どのような悪臭であっても消し去ることができた。ところが、どんなに宣伝しても1ヶ月に5個しかその石鹸は売れなかった。どんなに頑張っても赤字が解消できなかったので、その会社ではやむなくその石鹸の製造と販売を中止した。
 その翌月5人の女が自殺した。


 教育に競争原理を導入することは、大人にとってはよいことなのかもしれませんが、こどもにとってはどうなのでしょうね?
by t_am | 2012-02-05 17:39 | その他

by T_am