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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

競争原理と市場原理は眉唾かもしれない(3)

4.進化論的幻想と市場原理が成立するための前提
 「競争社会では優勝劣敗のメカニズムによってすぐれた特徴を持つものが残り、そうでないものは退場させられることになる。これを繰り返すことによって経済は繁栄発展し、国民生活は豊かなものになっていく。」というのが新自由主義者たちの主張です。既に申し上げたように、自由競争が担保されている業界ではその通りになるかもしれませんが、何が豊かな生活なのかという座標軸が変われば違う結論が導かれるのではないかと思います。
 自動車を例にとってみると、今では軽自動車であってもオートエアコン、パワステ、パワーウィンドウ、キーレスエントリーは標準装備というようになっています。装備がいい車がそうでない車を市場から駆逐するという優勝劣敗のメカニズムが働いた結果このようになったわけです。たしかに軽自動車はより便利で快適な乗り物となりましたが、その代わり車体価格が百万円を超えるのが当たり前となりました。十年以上デフレ傾向が続いている中で、このような「値上げ」は、地方で暮らすユーザーにとっては痛手です。(都会であれば車を持たないという選択もできるのでしょうが…。)
 もうひとつ、パソコンのソフトを例に取ってみましょう。代表的なソフトでMicrosoft Officeはここ15年間の間に5回のバージョンアップを繰り返してきました。そのたびに機能が追加され、より便利により使いやすくなったのは間違いありませんが、Excel97を未だに使っている事務所の生産性がExcel2010を使っている事務所の生産性よりも劣っているという報告は聞いたことがありません。通常の業務に必要な機能というのは、別にバージョンアップしなくても、最初から搭載されているからです。(世の中には未だにOffice97を使っている会社もあります。)
 パソコンソフトの場合デファクトスタンダードとなることを目指してつくられているわけですが、機械と違って耐用年数というものがありません。したがって理論的には未来永劫そのソフトを使い続けることは可能となります。しかし、そんなことをされたらソフトウェア・メーカーはたちまち倒産してしまいますから、適当なタイミングでバージョンアップを行うわけです。その場合デファクトスタンダードとなっているソフトであれば、皮肉なことに自社の旧製品が競合製品ということになります。そこで、何とかして新しいバージョンのソフトを購入してもらおうとするわけです。
 最近、adobe社では、年間契約により月額5千円を払い続けることによりすべてのクリエイティブ製品を使うことができるという「サブスクリプション」制度をスタートさせると発表しました。月額5千円を払ってもらえば常に最新バージョンの製品を使い続けることができるというものです。これは無期限の分割払いみたいなものであり、自動車に喩えれば、3年のオートリースを繰り返すことで絶えず新車に乗ることができるようなものだと思えばよいのかもしれません。そういえば、コピー機もリース期間が終了するとより進化した新しいコピー機でのリース契約がスタートすることが多いようです。便利になる代わりコピー枚数が大幅に増え、コピー用紙などの消耗品の使用量が大幅に増えるという副作用もありますが…。

 すぐれた新製品の市場への投入が従来の製品を駆逐していくのは事実(同一メーカーで競合する場合旧製品の生産を打ち切るから)であり、見た目は優勝劣敗というメカニズムが働いているかのように見えます。その結果として社会全体ではより便利で快適な生活が実現されるということも事実でしょう。
 そうやってすぐれた製品やサービスが劣ったものを淘汰していくという説明が行われていますが、実際はそうでもないように思われます。むしろ、新しい製品やサービスが投入されるのは消費者に買い換えてもらうためであり、その動機付けとして新しい機能が附加されているのだろうと思います。極端ないい方をすれば、今使っているものを捨ててもらっても構わないので新しいものに買い換えてほしいというのが供給する側の本音ではないでしょうか。
 冒頭に申し上げたように、「競争社会では優勝劣敗のメカニズムによってすぐれた特徴を持つものが残り、そうでないものは退場させられることになる。これを繰り返すことによって経済は繁栄発展し、国民生活は豊かなものになっていく。」ということが実現するためには消費が停滞するようなことがあってはならないわけです。食品や消耗品のように使ってしまえばなくなるというものはともかく、耐久消費財では一定の期間が過ぎたらすみやかに買い換えてもらった方がいいわけです。ゆえに、市場原理とは旺盛な消費活動が持続的に行われる社会で成立するものであるといってよいと思います。

 時代は変わり、現代は誰もが将来の心配をしながら暮らしている時代であるといえます。資源やエネルギーの心配もさることながら、自分が年老いたときの年金はどうなるのだろうかとか、給料が上がる可能性は低いのに増税が既定路線のように語られ、社会保険料の負担は増えていく、といったのが現代の社会です。そのような社会では耐久消費財の買い換えについて誰もが慎重になります(現に自動車の買い換え年数が延びています)から、その分消費は停滞することになります。さらに、少子化も進行しているのですから、市場規模は将来に向けて間違いなく縮小していくことになります。
 そのような社会であっても競争が発生することに変わりはありません。縮小する市場での競争がどんなものか想像してみると、誰もが本来必要とするだけのパイを得られない状態、というのがまず考えられます。多くの企業で損益分岐点を下回る売上しかあげられないために、リストラや不採算事業のカットを繰り替えさえなければならないことになるでしょう。その分失業者は増えることになり、運良く再雇用された労働者もパートや非正規雇用がほとんどであり、以前のような収入を維持することは難しくなると思われます。そうなると、家計の購買力はそれだけ衰えることになるので、市場はさらに縮小していきます。

 その行き着く先は寡占です。

 自由競争が行われない産業では寡占化が進み、市場が縮小する場合でも寡占化が進むわけですから、市場原理や競争原理は限られた条件の下でのみ有効に作用すると考えた方がいいのかもしれません。
by t_am | 2012-02-05 17:37 | その他