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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

競争原理と市場原理は眉唾かもしれない(1)

 かつて日本経済は政府が介入して供給を調整するという方法がとられていました。それは、規制によって市場への新規参入を抑制し、同時に1ドルを360円に固定することで輸出を促し、輸入品の流通を制限するというものでした。敗戦後の日本経済の復興にあたり、このようにひな鳥を育てるかのような手法が有効であったことは否定できません。供給の調整が日本の経済成長に寄与したところは大きかったと思います。(その代わりマイナス面も大きかったのですが・・・。)
 その後日本の市場規模が大きくなり、アメリカも日本に対する輸入超過が無視できない水準になったことから、日本に対して政策の転換を求めるようになりました。まず、円が変動相場制に移行しましたが、日本企業は為替の変動による価格の上昇を吸収することによって相変わらずアメリカに対する輸出超過(向こうからすれば輸入超過)が続きました。
 そこでアメリカは日本に対し市場の開放を要求するようになったのです。1980年代に農産物の自由化(その象徴としてオレンジの自由化)が議論の対象になったことをご記憶の方も多いと思います。中曽根内閣では内需拡大というスローガンを掲げ、それに呼応するように豊かな消費生活がいわれるようになりました。日本人はウサギ小屋に暮らす働き蟻であるという指摘が紹介されたのもこの頃だったと思います。
 国内でも、流通業のように、規制に辟易する新興勢力の台頭もあって、自由競争の実現こそが経済社会を繁栄させるのだという思想が語られるようになったのもこの頃であり、その影響は今も強く残っています。

 自由競争とは、誰もが市場に新規参入できるという機会の平等を担保するものであり、競争原理が有効に機能するための大前提となっています。競争原理とは勝者が獲得し、敗者は得ることができない(優勝劣敗)という苛酷な原理ですが、自由競争によって新規参入が続くことによって市場は絶えず活性化され、競争の参加者たちに対し、よりよい製品やサービスを市場に供給することを促します。それができないプレイヤーは敗者として退場せざるを得なくなるからです。
 市場原理とは、政府が市場に介入するのではなく、自由競争に任せることで供給と需要のギャップが自動的に調節され、経済の繁栄と発展をもたらすという考え方のことをいいます。

 自由競争による市場原理が機能している事例として、最近ではYahoo!、Google、Twitter、Facebookなどのインターネットにおける新興企業の台頭によって私たちがその恩恵を蒙っていることがあげられます。

 このような事例が現実にあるものですから、市場原理を導入して市場の判断に委ねるべきだと主張する人の言い分にも一理あると思います。それはそれで構わないのですが、ビジネス以外の分野にも市場原理を導入するために競争状態を実現させようという主張もあります。教育に関していえば、安倍内閣のときに教育再生会議が設けられ競争原理を導入すべきだという提言が行われましたし、最近では大阪市の橋本市長も同様の主張をしています。
 この時期に競争原理の導入ということがいわれ出したのは、少子化による教育における需要と供給のアンバランス化が今後進行していくということもあったのかもしれません。戦後、こどもの人口が増えるにつれて高校や大学が新設され続けてきたわけですが、時代は変わり、少子化という局面に入っているのですから、学校の余剰問題をどうやってクリアするかという難題を抱え込むことになったわけです。そこで競争原理にお任せしようという目論見もあったのではないかと勘ぐってしまうのです。
 もちろん教育に競争原理を導入すべしと主張する人たちは、そうすることで教育がよくなると大真面目で述べているのであり、少子化時代における余剰校問題のソフトランディングということを念頭においているわけではないようです。

 いいことづくめであるかのようにみえる市場原理と競争原理ですが、ビジネス以外の分野でも導入すべしという主張には違和感を覚えます。そこで市場原理や競争原理は本当にいいものなのかをを本稿では考えてみたいと思います。

1.競争原理には前提がある
 既に述べたように、競争原理の大前提は自由競争が担保されていることです。TwitterやFacebookを興したのはどちらもアメリカ人の二十代の若者です。彼らがどれだけの資金を持っていたかは知りませんが、ほとんど徒手空拳というところから出発したからこそアメリカンドリームとしてもてはやされるのでしょう。(これはビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも同様です。)
 ところが、既に成熟している業界では新規参入が事実上不可能になっています。今から自動車メーカーを興そうという人はいませんし、一からコンビニのチェーンをつくろうという人もいません。なぜかというと、これらの成熟した業界は装置産業となっており、事業の展開には莫大な資金が必要になってしまっているからです。
 このような業界では新規参入という機会の平等が存在しません。それでも優勝劣敗というメカニズムは働きますから寡占化が進むことになります。
 売り手と買い手が対等の存在でいられるのは買い手の側に選択の自由がある場合です。買い手の側に選択の自由がなければ売り手が提示する価格で購入する以外に方法はありません。(そのことが深刻な問題として現れているのが昨今の労働市場です。)このような状況に陥ってしまうと競争が経済の繁栄と発展をもたらすというのは本当なのか疑問に思ってしまいます。

(この稿続く)
by t_am | 2012-02-04 16:34 | その他