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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

成人式は通過儀礼なのか

 1月9日は成人の日。今朝の朝日新聞の社説「成人の日に―尾崎豊を知っているか」がツイッターで色々と取り上げられていました。

(朝日新聞社説「成人の日に―尾崎豊を知っているか」)
http://www.asahi.com/paper/editorial20120109.html#Edit2

 この社説について言いたいことはいくつかありますが、その前に成人式というものについて考えて見ることにします。
 自分の成人式の日に何をしていたかというと、スキーに行っていました。というのは、成人式に出席することに特別な意味を見いだせなかったからです。成人になるというのはそれほど特別なことなのだろうかと考えると、私には答えを見いだすことができなかったのです。
 成人式が通過儀礼であるとするならば、その前と後とでは何かが変わらなければなりません。それまで許されなかったことが許されるようになる。それが通過儀礼の持つ意味でしょう。
 入学式や卒業式も広い意味での通過儀礼であるといえます。というのも、その儀式を経ることによって、その学校の学生であるかどうかが違ってくるのですから。また、結婚式も重要な通過儀礼であるといえます。最近はあまり意識されてはいないようですが、結婚することによって大きく変わるものがあるのです。嫁や入り婿の場合は、自分が属する家が変わるということになりますし、嫁取り婿取りであればそれによって家の中での立場が変わるという意味もあります。それと、、下品ないい方になりますが、特定の女性であれば妊娠させても構わない、あるいは特定の男性のこどもであれば妊娠しても後ろ指を指されないようになる、というところも否定できない変化であるといえます。

 そういう観点から眺めてみると、成人式の前後で何が変わるのかというと何もないと言わざるを得ません。酒や煙草をおおっぴらにやることができるといわれても、十代の頃からたしなんでいる人はいくらでもいます。
 また、選挙に行くことができる、法律行為が可能になる(具体的にはローンを組むことができる)というのも、二十歳になったその日から可能なのであって、成人式を済ませなければならないというものではありません。
 したがって成人式が通過儀礼であるというのであれば、それはあくまでも個人ごとに二十歳になったときに行うのが筋であるということになります。しかしながら、実際にはその年度に二十歳になるすべての人を一堂に集めて成人式を執り行うというのですから、通過儀礼にはならないのです。
 新成人を祝うというのは大いに結構なことであると私も思います。しかし、その祝い方に問題があるわけで、何も一年に一度みんなまとめてやる必要がどこにあるのか、私にはよくわかりません。
 これが江戸時代や戦国時代であれば、成人となった者を殿様に拝謁させるための儀式として一年に一度行うというのも理解できます。そういえば、成人式には必ず自治体の首長が祝辞を述べるのですから、もしかすると市長や町長や村長が現代の殿様であるということになるのかもしれません。(昔は拝謁した者に対して殿様が声をかけるということが行われていました。)
 封建時代であれば殿様にお目見えすることは忠誠心を涵養するための儀式でした。現代で、成人式に嬉々として出席することは、さしずめお上のすることに疑いを抱かない(自分で物事を考えようとしない)人を量産することにつながっているのかもしれません。
 そんなことを考えると、成人の日を肯定しながら尾崎豊を持ち出してきた朝日新聞の社説は笑止千万であると申せましょう。
by t_am | 2012-01-09 21:56 | その他