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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

投票とは白紙委任票を提出することなのだろうか

 今回も大阪のダブル選挙で思ったことの続きです。
 「勝てば官軍」という言葉がありますが、これを最大限に利用しているのが政治家ではないでしょうか。たとえば、野田総理。この人は身内である民主党の衆参議員の投票によって党代表に選ばれ、そのまま日本国の総理大臣になりました。自らをどじょうに例えてしおらしい素振りを見せていますが、なかなかエネルギッシュに行動しています。その野田総理によって任命された閣僚も国際会議に出かけて行っては独断で約束をしてきています。
 でも、よく考えてみれば民主党が衆議院議員選挙で勝ったのは2009年のことであり、2010年の参議院議員選挙では惨敗しているわけです。地方選挙でも民主党が負け続けているのですから、ここまで傍若無人に振る舞う根拠は一体どこにあるのか、普通に考えれば不思議でなりません。
 政治家にすれば、自分が当選したのは「民意」によって選ばれたからであるということなのでしょうが、世論調査が気紛れであるように、民意も移ろいやすいものであるといってよいと思います。けれども、政治家はそれを認めようとしません、自分の任期中は気ままに振る舞い、選挙になると平身低頭するということを繰り返しています。

 どうやら政治家にとって選挙とは白紙委任状を集めるための儀式であるということになっているようです。したがって、いったん当選すれば何をやってもそれは民意に沿うものだという理屈を振りかざすことができるわけです。

 平川克美さんがツイッターで興味深い発言をしておられました。以下、引用することにします。

 橋下さんがやらなくてはならないことは、自分に投票しなかった四割の大阪市民や、市役所職員に自分に従わなければ退場せよということではなく、条理を尽くして自説を説明すること。自分に同意しないものたちと、共存していく工夫をすること。(2011/11/28 22:59)

 橋下さんは、十分説明しているというご意見がありました。説明とは、反対派の同意を取り付ける努力のことです。かれは反対派を含めて代表者になったわけです。合意形成プロセスを端折れば、選挙とは白紙委任の選択となり、民主主義の否定です。反対派を切り捨てるという選択はありえません。(2011/11/29 15:41)



 ここで、平川さんが指摘されているのは、選挙とは白紙委任の選択ではないということです。けれども現実はそうでない局面があります。先に述べた総理大臣や閣僚の「国際公約」の連発や与党による強行採決などがそれにあたります。

 それではなぜ政治家は白紙委任状を取り付けているかのように振る舞うのでしょうか?

 まず考えられるのは、自分は公僕であるという自覚の欠如でしょう。自分は選挙で選ばれた特別な人間なのだというプライドが芽生えるようです。だから議員に対する敬称として「先生」という言葉が用いられるのでしょうね。
 次に考えられるのは、有権者の「面倒なことには関わりたくない。誰か他の人がやってくれればいい。」という意識であろうと思います。
 ここで、敢えて申し上げるのですが、議員に対し「選ばれた責任」を要求するのであれば、「選んだ責任」はどうなるのか? 選んだ私たちが自分の責任を放棄し、後は誰かがやってくれればいいと思っているからこそ、選ばれた方も責任を放棄して気ままに振る舞うのではないかというふうに思うのです。
 それでは「選んだ責任」とは何を指すのかというと、自分が投票した政治家がどのような行動をしているのか絶えず注意しておく、ということから始まるのだと思います。そのうえで、その政治家が立派な行動をすれば激励のメッセージを送ればいいのですし、逆に、おかしい行動をしていると思えばたしなめるメッセージを送るというのも必要だと思います。
 実際に、自分の選挙区の有権者からそういう手紙やメールがしょっちゅう届くようになると、政治家もそれらの意見を無視できないようになるはずです。なぜなら次の選挙のことを考えるからです。
 このように、重要なのは自分は絶えず見られているというという自覚を政治家に持ってもらうことだと思います。誰でも最初は初心者から始まるわけですから、その中で後世に残るような立派な政治家が育つとすれば、それは有権者が育てるのだと思います。自分は何もしないで強いリーダーを待ち望むのは、救世主の降臨を願う奴隷のようなものです。自分が何もせずに、誰かが変えてくれることによって到来する社会が自分にとって望ましいものであるという根拠が一体どこにあるのか、一度考えてみたらよいと思います。

 もっとも、そこまで大げさに考える必要はないかもしれませんが、自分が投票した政治家が当選したのであれば、「選んだ責任」が自分にはあるということを拒否するわけにはいきません。それが許されている人を「奴隷」と呼びます。有権者が「選んだ責任」を放棄しているにもかかわらず、自分が選んだ政治家に対し「選ばれた責任」を要求するというのは虫がよすぎます。誰が好きこのんで奴隷に責任を負うというのでしょうか。

 このように考えてくると、投票を白紙委任票にするかどうかは、有権者にかかっているといえます。他人を変えることは極めて困難ですが、自分を変えるのはまだ可能性があります。他人を変えたいと思ったらまず自分が変わることから始めなければならないのでしょうね。
by T_am | 2011-11-29 22:24 | その他