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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

マネジメントとは何だろう

 橋下前知事(というよりは、今では大阪維新の会の橋下代表というべきでしょうね)のツイッターを読んでいると、マネジメントの手法を導入することで行政による住民サービスの最適化が可能になるという考えが根底にあるのかな、と思います。マネジメントを徹底させるためには組織がシンプルかつフラットである方がいいので、行政の組織制度を改革して、広域行政は大阪都が担当するけれども地域行政は区が行うように分ける、というのはマネジメントをやりやすくするためであると理解できます。ただし、人間が行うことに完全無欠ということはないので、地域行政の責任者となる区長も選挙によって選ばれるようにして、住民の意思が反映されるようなしくみにするということになっています。これは学校運営に対しても同様であり、保護者の意見が学校運営に反映されるようにするということを教育基本条例案ではうたっています。
 要約すると、行政組織のトップ(知事や区長、校長など)はそれぞれマネジメントを行うけれども、その成果に対しては住民が評価できるようにするというしくみをつくるということになると思います。

 マネジメントというと管理とか経営と訳されていますが、もう少し正確にいうと、ビジネス用語のマネジメントというのは、所与の経営資源を活用して得られる利潤を極大化することを指します。したがって百万円の利益をあげられる経営者よりも一千万円の利益をあげられる経営者の方がマネジメント能力が長けていると判断されます。マネジメント能力の優れた人(企業により多くの利益をもたらした人)は高く評価され、報酬も大きなものとなります。(そのことのもたらす問題点については後述します。)

 それでは行政組織におけるマネジメントとはどんな尺度で評価されるべきなのでしょうか? 行政組織ですから利潤を上げることを目的としているわけではありません。したがって別の評価尺度を設けなければ、どういう人がマネジメント能力に長けている人なのか判断することができません。
 実をいうと、どういう尺度がいいのかについて私にはよくわかりません。公平に評価するのであれば、その尺度は数値化可能でなければなりません(そうでないと、その人に対する好き嫌いで決まってしまう)。利益がだめとなるとあとは経費を削るということになります。その結果、赤字を出さないようになったというのは評価されるべきなのかもしれませんが、行政サービスをそのような短期の尺度で評価してよいのかという疑問が残ります。
 企業が年度ごとあるいは四半期毎に決算を行い、利益を確定させるというのは、企業が利益を追求する組織だからです。しかし、行政による事業というのはそうではありません。たとえば、教育の成果が現れるのはその人が大人になってからであり、しかも人によって成果は異なります。さらに、社会が教育による恩恵を受けるのはそういう大人が増えてからということになります。しかし、管理者である校長の評価をそこまで待つという悠長なことはできません。では、どうするんだろうという疑問が残ります。
 あるいは、学力テストの結果によって評価すればいいという考えもあるかもしれません。すなわち、大阪全体でみたときに、学力テストの結果がよかった学校の校長はいい評価を受け、悪かった学校の校長の評価は低くなるというものです。評価対象が学力だけに偏るという批判もあると思うので、クラブ活動で優秀な成績を修めたらそれも評価するという考え方も可能でしょう。
 こうしてみると、ものすごくいいことのようにみえますが、実際にそういう評価方法が導入されるとどうなるかと考えてみると、テスト対策のための授業が行われるようになるでしょうし、そのうえで授業でもクラブ活動でも「できる子」はともかく「できない子」は切り捨てられるようになると思われます。校長や教師にすれば自分の評価に結びつくのですから、勉強のできないこどもの学力を伸ばすよりもテストを受けさせないという安易な方法に飛びつく可能性は高いといえます。そんなひどいことをするのかと思われるかもしれませんが、共同体の利益(公の利益といってもよい)よりも自分の利益の方を優先させる人というのはいつでもどこにでもいるものです。

 公共的な施設とはいえ赤字を出さないというのも必要なことですが、そのためにサービス水準が低下しては本末転倒となります。たとえば、黒字になったけれども入院患者の死亡率も高くなったというのでは困ります。
 経費を削る際に凡庸な管理者が行いがちなのは、一律に○○%カットするというやり方と、収益に結びつかない経費を優先的にカットするということです。そうなると、修繕費や清掃費は真っ先に削られる経費項目なので、施設の維持管理がおろそかになってしまいます。そのしわ寄せは職員に向かいますが、職員が対応しきれないものはほったらかしになってしまいます。しょっちゅう詰まるトイレ、いくら言っても直してもらえないエアコン、いつも溢れたままのゴミ箱。こういう状態になったら要注意です。

 評価尺度を利益や黒字化に置くことの弊害は、既に述べたように、共同体の利益(公の利益)よりも自分の利益を優先させるようになってしまうことにあります。そうなると、顧客(利用者)の利便性よりも経費(人件費)の削減という考え方が支配的になります。現に大企業では、そうすることが総需要を抑制する(景気が悪化したまま)となるとわかっていながら、正規雇用を減らすということが相変わらず行われています。それというのも今期の利益をいかに確保するかが至上命題になっているからです。(誤解を招かぬよう申し上げておきますが、私はマネジメントが悪いといっているのではありません。マネジメントはツールに過ぎないので、問題はそれを駆使する人間の方にあります。)

 行政の事業にはムダが多いといわれています。それらのムダは、「やっても効果のないことに税金が費やされている」、「他と比較して高い費用を支払っている」ということに収斂されるようです。たしかに、マネジメントを導入することでそのうちのいくらかは解消されるだろうと私も思います。けれども、だからマネジメントの手法を導入すべきだ、と結論づけるのは短絡的すぎると思います。なぜなら、そうすることによって損なわれてしまうものがあるからです。
 
 橋下代表のツイッターを読んでいると、論理の内容が強引だなあと思うことがたびたびあります。140字という字数制限があるせいもあるのかもしれませんが、言葉のイメージに頼ってそれ以上深く掘り下げようとしないと感じることがあるのです。
 橋下代表は、関空と伊丹のように、大阪府立大学と私立大学、府立病院と市立病院も一体運用することを主張しています。その理由として、狭い府域の中で大阪府と大阪市がそれぞれ独自に計画を立てる必要はないということをあげています。一見なるほどと思うのですが、それならば国立大阪大学や、公立よりもはるかに多い私立大学も一体運用した方がいいのではないかと思いますが、橋下代表はそのことに触れていません。病院についても同じです。「大阪府全体で病院の適正配置、病院間の役割分担を考えなければならない」(11/06付ツイッターから)と述べていますが、それならば民間の病院も視野に入れるべきでしょう。しかし、民間の病院までも一体運用するとは述べていません。そんなことをいえば、猛反発を喰らうことは火を見るよりも明らかだからです。したがって、大阪全体といっていながら、実は大阪全体の病院のうちの「府立」と「私立」というごく一部しか取り上げていないということがわかります。

 マネジメントという用語も含めて、ビジネスマインドというのは、目の前にある課題に対する最適解が必ず存在するという考え方をします。実際には対策案としての候補はいくつかあげられるのですが、それらのメリット・デメリットを比較すると最適解はひとつに絞られると考えるのです。
 橋下代表も同じような考え方をしているように思われます。最適解をひとつに絞るうえでマネジメントという手法が有効だと考える気持ちは理解できますが、マネジメントは管理手法に過ぎませんし、そもそもそんなにいいものだろうかという疑問が私にはあります。
むしろ、日本企業が自社の利益を最大化するという行動を追求していった結果が今の日本の姿なのではないかと思っているので、大阪が同じことをしてどうするんだろうという心配すら覚えるのです。
by T_am | 2011-11-06 15:59 | その他