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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

効率主義にも限界がある

 ビジネスにおいて効率を追求するというのは不可欠であり、そのための手法も数多く開発されています。最近はあまり聞かなくなりましたが、かつて一世を風靡したTQCというのもそのひとつです。
 日本人の性質なのか、今自分が取り組んでいるものについてもっといいものにしようという気持ちが自然と湧いてくるように思います。これはビジネスの世界だけではなく、たとえば工芸品の分野であれば工法の改善改良となって、その結果は作品の質に反映されるようになります。
 このことは生産の現場でも同じであり、「日本の技術」を支えてきたものは、ひとえに今取り組んでいるものをもっとよいものにしようという熱意と努力なのだと思います。

 そのような思いの現れ方のひとつに効率を追求するという考え方があります。

 効率追求とは言い換えれば、変化させるということに尽きます。何を変化させるのかというと、「今までとはやり方を変える」、「人・物・金といった資源の投入先を集中させる」、あるいは「効果の見込めないところからは撤収する」などがあげられます。
 このように列挙して改めて気づくのは、効率追求という考え方が対象とするのは既に目の前に存在するものに限られるということです。まだこの世に存在しないものや目の前にないもの、あるいは目の前にあるけれども気づいていないものについては対象になりえません。ゆえに効率を追求するという考え方からは創造は生まれてこないのです。これが効率主義の限界の第一。

 限界の二番目は、効率追求の手法の中で必ず数字が用いられますが、数値化できない属性はすべて切り捨てられるというところにあります。
 たとえばこどもの学力は偏差値によって数値化できると思われていますが(実際には、その集団の中でどの位置にいるかがわかるだけ)、その子が持っている協調性や共感性あるいはやさしさといったものは数値化することができません。したがって、教育に効率追求という考え方を持ち込むと、学力や運動能力という数値化・比較化できる属性だけを対象とするようになってしまいます。
 それのどこが悪いのだと考えるのか、それはちょっと違うのではないかと考えるのかは、その人が持っている価値観によって異なるのであって、どちらが正しいということはいえません。

 効率を追求するという考え方は確かに有効です。ただし、変化させる対象が「やり方」くらいであれば効率主義の限界が害をなすことはあまりありませんが、制度までを変化させようとすると不測の弊害が起こる可能性が高くなります。だからといって、制度を変えるなと申し上げているのではありません。制度を変えるときは、効率追求とは別な視点でアプローチした方がよいと申し上げているのです。
 一般に、制度を変える必要があるのは、その制度がもたらす効果と弊害を考慮して弊害が無視できないものになった場合であると考えられます。ところが、効率追求という考え方を持ち込むと、非効率的だからという理由だけで制度の変更が提案され実施されてしまうようになってしまいます。ところが、既に申し上げたように、効率追求という考え方が対象とするのは今目の前に見えているものだけであって、そこにあっても見えていないものについては対象とはなりません。制度を改革することによって、それらの見えていないものまでもがばっさりと切り捨てられてしまうと、今までそれがもたらしていた利益を私たちは失うことになります。
 効率主義による制度変更にはそういうリスクが伴うことを理解しておいた方がよいと思うのです。
by T_am | 2011-10-12 11:54 | その他