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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

効率主義の行き着くところ

 人間の社会を人体にたとえるとお金が血液のような役割を果たしています。どの臓器もどの細胞もお金という血液なしでは活動できないどころか、やがて死んでしまいます。(例外は無人島や山奥の秘境で自給自足する場合でしょうが、それは「人間の社会」とはいえないのでこの際無視することにします。)
 お金という血液は数値化されているので、それが効果的に使われたかどうかは「効率」という指標で判断することができます。というのは、効率よくお金を使えば、より多くの成果をあげることができるからです。

 したがって経済活動において効率を追求するというのは当然のことであるといってよいでしょう。ここまではよいのです。

 問題だと思うのは、思考の出発点に効率を置くことです。藤原正彦先生は、ベストセラーとなった「国家の品格」の中で、論理には出発点が必要であり、それを選ぶのは情緒や形であると述べておられます。あるいは、価値観や文化と言い換えてもよいと思います。

 出発点(価値観や文化)が異なれば、展開される論理も変わってくると藤原先生は指摘されています。

 今年4月、フランスではブルカ禁止法が施行されました。公共の場所でブルカやニカブなどのイスラム教徒の女性の全身を覆う衣装を着用することを禁じた法律です。この法律にはイスラム教徒の女性たちも抗議していますが、すべてのイスラム教徒の女性がそうかというとそうでもないそうです。イスラム教文化では男の権利と女の権利がイコールではありません。女は男に絶対服従であるという慣習に不服を唱える女性もいるわけであり、そういう人たちはむしろブルカ禁止法を歓迎しているそうです。そもそもフランス政府がなぜブルカ禁止に踏み切ったかというと、公共の場に宗教固有の文化を持ち込むのは自由・平等・博愛の共和国の精神に反するというのが理由です。あらゆる宗教を受け入れいる代わりに、様々な人が交わる公共の場に固有の文化を持ち込むのは制限せざるを得ないということです。実際に、病院では、イスラム教徒の女性が男性医師による診察や手術を拒否した結果、治療に支障をきたしたり、場合によっては死亡するという事例が多数あったということです。
 このように、文明を論理の出発点にすれば、ブルカ禁止法は意義のある法律ということになりますし、固有の文化を出発点にすると宗教に対する弾圧ということになります。

 人間の社会には、唯一の正解(正しいのはこれで、あとは全部ダメ)といえるものが存在することは滅多にありません。結局のところはどれがベターかという選択になると思うのですが、人間は自分の方が正しいと思いがちです。その差を埋めるために議論が必要になるのですが、問答無用で自説を押し通す場合と、大多数が同意している場合には議論が形式だけのものになってしまいます。

 論点を効率主義に戻しましょう。今の大多数の日本人に共通する思いとして「もっと金がほしい」というのがあります。お金があれば欲しいものは何でも買えますし、旅行に行くこともできます。また、現在の自分の生活に不満を感じている人の多くは、もっとお金があれば自分の不満は解消されると漠然と思っています。ゆえに、思いの強さに差はありますが、誰もが「もっと金がほしい」と思うようになっているのです。
 このような思いにとって効率主義は孝行息子のようなものです。同じ費用と時間をかけるのであれば、もっと安くできて、もっと大きな成果があがる方法をとるというのが効率主義の考え方です。実際に、企業ではそのような考え方に基づいて経営が行われていますし、国の事業を民営化せよというのも、その方が効率の追求が実現するだと考えられているからです。学校や医療機関に対しても競争原理を導入しようというのも同様の考え方に基づいています。そうやって効率がよくなれば、その利益は結局住民が享受するわけなのだからこんないいことはないはずだ、というものです。

 このような考え方に対する私なりの反論はいくつかあるのですが、今回はそのうちのひとつだけを申し上げることにします。

 人間の社会のあらゆるところで効率を追求するというのはバラ色の未来をもたらすかのように思われますが、私たちはひとつ肝心なことを忘れています。

 それは、人間は誰もが聖人君子であるわけではないということです。

 福島第一原発の事故後、政府の発表を信用しなくなった人は大勢います。避難準備区域は解除されましたが、だからといってすべての住民が戻るわけではありません。また、南の区域指定もされていない福島市や郡山市から自主避難している人もいます。米や農産物の放射線検査が実施されて、国が定めた暫定基準値以下であれば問題なしとして出荷を認めるようになっていますが、それでも不安を感じている人はお子さんを持つ主婦を中心に数多くいます。
 どうしてこんなことになってしまったのかというと、行政の中に、責任が追及されるようなことをするくらいなら何もしない方がよい、と考える人が大勢いるからです。もちろん役人の中にはそうでない人も大勢います。しかし、そういう人たちは主に現場に出ており、物事を決める立場にある人の中には少ないというのが実情です。そもそもそういう人は、組織の中であまり偉くなれないといってもよいかもしれません。
 何か問題が起こったときに、真正面から取り組む人は貧乏くじを引きがちです。それよりも、自分の任期中何事も問題が起こらないように願い、問題を見つけても見て見ぬ振りをする人の方が偉くなれる可能性が高いのです。この人たちはヒラメといっしょで、常に上しか見ていないために、自分の横や下を見ることはありません。だから、暫定基準値を下回っているから食べても安全ですといって測定値を公表しないまま出荷させたり、年間5ミリシーベルト未満の地域は除染する予定はありませんといってみたりするのです。
 だから、この人は誰のために仕事をしているのかという見方をすると、その人がどちらのタイプの人間なのか、容易に見極めることができます。厳しい基準値を設ければ国民の安全は確保できるかもしれませんが、その代わり農業や畜産業は大打撃を受けることになりますし、原発から30km以上離れた地域でも人が住めない地域が広まることになりかねません。そういう事態を招く判断を自分ではしたくないというのがこの人たちに共通する考え方です。
 その根底にあるのは、今の自分の立場・地位を失いたくないというものだと思います。自分の職務はなんのためにあるのかということを自問自答しないとこのような考え方に囚われることになります。

 さらにひどいのは、この震災を千載一遇のチャンスと捉えて火事場泥棒的な動きをする輩です。この輩は、自分の利益のためにこの仕事があるとしか思っていません。他人の痛みや苦しみなど思いもよらないのです。
 今回の震災と原発事故からの復旧・復興には巨額の費用を伴います。それだけに注意しないと、過去に比類のない利権になりかねなません。しかし、野田総理の方針は復興財源のうち足りない部分は増税によって賄うというものですから、いくらでも取り放題と思っている官僚もいることでしょう。
 たとえば、医療を例にとると以下のような指摘が既に行われています。

(東北メディカル・メガバンク構想の倫理的欠陥)
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_2802.html

 
(福島県立医大の放射線医療拠点化構想を問う~事業仕分け人の視点から~)
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_2809.html


(福島県の横暴、福島県立医大の悲劇)
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_2813.html


 思えば、この国では過去に税金や公的資金を無駄に使っておきながら誰ひとりその責任をとったことがないということが何度も行われてきました。国民に信用されていない政府がいくら意気込んでも、その実態は不作為と不誠実、非効率の総本山のようなものですから、うまくいくはずがありません。
 今朝のニュースで野田総理は中断していたTPPへの交渉参加問題に対して11月のAPECまでには決着を目指す方針であると伝えられました。TPPというのは、関税撤廃により工業製品だけではなく農産物も含めた輸出入の自由化を行い、さらにはサービスや投資の自由化も促すというものです。いってみれば経済王立の追求を国際レベルで行うというものですから、外国との間の競争は今まで以上に熾烈なものになります。にもかかわらず、すでに述べたように国内の政府・行政組織は白蟻に食い荒らされたようにボロボロになっているのですから、TPPへの参加を決めるというのは正気の沙汰とは思えません。この不景気の時期にあえて増税を実施しようとしているわけですから、野田総理という人は後世日本国民を不幸にした総理といわれるようになるかもしれません。
by T_am | 2011-10-02 12:56 | その他