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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

現代の魔女狩り(2)  石原伸晃幹事長の発言について

9月10日自民党の石原伸晃幹事長が盛岡市内の講演で、9.11について「産業革命から続いた西欧文明、キリスト教支配に対するイスラム圏の反逆で、歴史の必然として起きた出来事ではないか」(毎日新聞からの引用)と述べたことについて、テロを正当化するものではないかという指摘がされているそうです。
 ここで引用した毎日新聞のサイトでは「同時テロの犠牲者への配慮を欠くとの批判を浴びそうだ」という書き方もされていました。

 内田樹先生は9月11日、このようにツイートしています。

 僕が知る限り、日本のジャーナリストは「ワルモノ」ではありません。主観的には善意で、日本を正しい方向に導こうとしている人たちです。自分の善良さを信じているからこそ自分の攻撃性を抑制できないのです。
 だから、メディアを批判するひとたちがまた「自分の善良さを信じて、攻撃性を抑制できない」語法を採用するなら、結果的には合わせ鏡のように「同じタイプの言説」が社会を埋め尽くすことになる。

 これは鉢呂前経産大臣の辞任を巡るマスコミの動きについてのツイートですが、いいタイミングで発言されていますね。私も反省しなければなりません。そのうえで、石原幹事長の発言を検討してみたいと思います。

 革命家とテロリスト、またレジスタンスとテロは物事をどちらの角度から見るのかという違いにすぎません。権力の側からすれば、自分たち秩序に反抗する者はすべてテロリストになりますが、政権が覆ったときにはテロリストは革命家あるいは解放者と呼ばれることになるのです。ですから、リビアの反政府軍もカダフィ大佐からみたときにはテロリスト集団ということになります。
 別ないい方をすると、既存の秩序に挑戦しようとする者はすべてテロリストであるということになります。私たちのように、現在の国際秩序を好ましいものと考える人間にとってアルカイダはテロリスト集団ですが、現在の国際秩序を欧米による押しつけと反撥する人たちにとってアルカイダは開放戦士の集団として映っているはずです。

 こういう書き方をすると9.11でアルカイダは何の関係もない民間人を多数殺害したではないか、その中には日本人も含まれているのだと反論されそうです。
 しかし、民間人を殺害するのは正規軍による戦争も同様です。イラク戦争では「誤爆」によって大勢の民間人が殺害されました。さらに、ベトナム戦争や先の大戦での東京大空襲では意図的に民間人に対する攻撃が行われました。これらの大量殺戮の実行者はいずれもアメリカ軍です。
 民間人を殺害したアルカイダが悪であるとするならば、アメリカ軍も悪の軍隊ということになるはずです。ゆえに、テロを許してはならないというのであれば、戦争の犯罪性をも追求しなければならないということになります。

 このように考えていくと、武力紛争が起こった場合、どちらが正しいか詮索してもあまり意味がないという結論に達します。どちらの側も自分こそが正義であると信じています。どちらの正義が正しいかは、結局のところ力の強い方が相手を屈服させることによって決着がつけられてきました。すなわち「勝てば官軍」なのです。

 石原幹事長の発言は、テロを正当化するものというよりは、テロと戦争を等質のものとして考える機会を与えてくれたように、私には思えます。テロを正当化するという指摘は的外れですし、同時テロの犠牲者への配慮を欠くという指摘に至っては、著しくバランスを欠いていると申し上げないわけにはいきません。
 昨日は9.11の10周年の慰霊祭が行われ、その模様はNHKでも報道していました、9.11の同時多発テロの犠牲者の合計は2,973人とされています。そこでお尋ねしたいのですが、イラク戦争で犠牲になった民間人は何人いるのでしょうか? 戦争を仕掛けた側(米軍兵士)の犠牲者はきちんと数られていますが、イラク国民の犠牲者に対する統計はないようです。
 テロを憎み、犠牲者に配慮するという気持ちは立派であると思います。しかし、戦闘行為による犠牲者はアメリカ人や日本人のように自由主義陣営の国民だけではないという事実にも目を向けた方がよいと思います。
by T_am | 2011-09-12 21:31 | その他