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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

懲りない人たち

 新しい総理が誕生して、いろいろな人がコメントしています。それらを見聞きしていると、「総理大臣になったからにはすみやかに結果を出せ」という文脈が共通していることに気づきます。

 この前、大阪市立大学の増田聡准教授のツイッターをご紹介しましたが、私たちはすぐ結果が出ることに対しては熱心であり、すべての課題をその範疇で考えてしまいがちのようです。
 野田新総理に対して、普天間基地の問題をどうするのかという問いかけがありましたが、これなども、ただちに取り組むべきことと五年十年のスパンで取り組んでいくこと、というふうに分けて考えなければならない問題が混在しています。にもかかわらず、すみやかに結果を出せと迫るのは無理というものです。

 自分一人でできる作業であれば、その進捗は完全に自分でコントロールできます。しかし、他人と力を合わせなければできない仕事や大きな仕事をしようと思ったら、それなりの準備と時間が必要であることはどなたも経験的にご存知のはずです。しかし、識者もマスコミも、なぜか総理大臣に対してはそのような猶予を与えようとはしません。そういう声を繰り返し聞かされる国民の側も、しだいにそんなものかと思うようになっていまします。
 まして、国会がねじれの状態にあるのですから、法案を成立させるために与党は野党との間で妥協を繰り返さなければなりません。このような状態では誰が総理になっても、自分が思うことを実現させるのは不可能であるといえます。

 その挙げ句、「対応が遅い」とか「もう任せておけない」といわれるのですから、日本の総理大臣というのは割の合わないポストだと思います。安倍晋三は身体をこわし、福田康夫は嫌になって途中で政権を放り出しました。また、麻生太郎と鳩山由紀夫、管直人は早く辞めろといわれ続けました。

 このように、激務に加え(大平正芳と小渕恵三は任期途中で亡くなりました)、過大なストレスを受ける仕事であるにもかかわらず、総理になりたい人が後を絶たないのが私には不思議でなりません。誰でも権力を手にしたいと思うのは当然ですが、その代わり責任を負い、代償を支払わなければなりません。そういう損得勘定をしたときに総理大臣というポストは割に合わない(つまり負債の方が大きい)と私は思うのです。

 それでも総理になりたい人の気持ちを推測してみると、次の2つのことが意識の底にがあるのではないかと思います。

1)なんでも総理の責任にする風潮が当たり前であると思っていること
2)そのうえで、自分ならばもっとうまくやれると思っている。

 総理大臣というのは、ときとしてその人格さえも否定されるポストでありながら、自分ならばもっとうまくやれると考える根拠がどこにあるのか私にはわかりません。どんなに批判されても屈しないようにするには、「それがどーした」と開き直ることが唯一の方策だと思うのですが、それは独裁者にしかできないことです。日本では、独裁者というのは全否定される存在ですから、総理大臣というのは最高権力者でありながらもっとも批判される政治家であるという宿命から逃れることはできません。

 短期的なスパンで成果を求めるのであれば、期限を区切って一時的に独裁的な権力をひとりの人間に与える制度の導入が日本にも必要であるという結論が必然的に導かれます。ひとりに人間に対し短期間で結果を求めるのであれば、それを可能にするだけの権限と責任を与えるべきです。
 しかし、日本の現状はそうではありません。総理大臣というのは日本の最高権力者ではありますが、数多くの制約としがらみにとらわれています。
 総理に対して、できもしないことを要求しておきながら、それができないと明らかになったら「早く辞めろ」と足を引っ張るのは、どう考えてもフェアではありません。いったい政治家というのはなんのために存在しているのだという根本的な疑問を抱いてしまいます。

 以上申し上げたのは一般論であり、現状の制度が抱える問題点を解決し、制度そのものを延命させるための方策として考えられる、というものです。今の制度が維持されることで社会全体が享受するメリットと甘受しなければならない苦痛とを比較して、メリットの方が大きいと判断されれば、そのような手を打つのもよいでしょう。しかし、たとえば毎年の自殺者が3万人を超えるという状況がすでに十数年続いているわけであり、どうみても今の制度がもたらす苦痛の方が大きくなってしまっていると私には思われます。
 ゆえに、経済成長はいいことだからこれを堅持しなければならないという信念に基づいた近視眼的な政策は放棄して、新しい価値観に基づいた制度を模索するという長期的な視野に立った政策の立案を求めるというふうに、自らの視点を移行していくことが必要だと思うのです。
by T_am | 2011-09-02 21:28 | その他