島田紳助であるがゆえの処分
いわゆる暴対法の強化と平行して、政府では平成18年12月14日に「公共事業からの暴力団排除の取組みについて」を発表し、平成19年6月19日には「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」を発表しました。また経団連でも会員企業の企業行動憲章の中で「反社会的勢力とは断固として対決する」ということが明記されています。
このような動きを受けて、大企業や一流企業といわれるところでは独自の企業行動指針を設けて、その中で「反社会的勢力とは関わりを持たない」ということを規定するようになりました。
その後、この動きは企業の取引先に対しても同じことを要求するようになり、取引開始にあたって、「暴力団等の反社会的勢力とは関わりがない」という誓約書の提出を求めたり、契約書の中にも記載されるようになっていきました。
吉本興業も芸能プロダクションとしては超大手になりますから、この趨勢を無視するわけにはいきません。所属する芸人たちに対し、年一回コンプライアンスの講習会を開いていたというのは、その取組みの一環であるといえます。
企業としてそのような取組みを続けてきたにもかかわらず、所属するタレントで暴力団と交際している事実が発覚したわけですから、断固として厳しい処分を下さなければならない立場になってしまいました。処分を曖昧なものにしてしまえば、世間の糾弾を受けることになりますし、最悪の場合取引先から切られてしまうことも考えられます。したがって島田紳助に対し、このまま芸能活動を続けさせるわけにはいかないという結論になったものと思われますが、島田紳助が長年の功労者でもあることも考慮して、自ら引退を決めたという形にしたものと推測されるのです。
これが、吉本興業の若手芸人であったならば容赦なく解雇という処分が下されていたはずです。しかし、島田紳助であったがゆえに、引退という形にしたという温情ある処分が下されたのだと思うのです。
また、島田紳助に稼がせてもらってきたテレビ局は、島田紳助に恩義を感じている(と思われる)芸能人たちのコメントを電波に載せました。それらのコメントは、あたかも島田紳助という超売れっ子タレントに対する弔辞のようであり、結果として彼を葬り去るための儀式となったと思います。
今回の引退劇は、吉本興業という一企業の内部処分に過ぎません。法律が介入する余地はないのであって、企業の内部で通用する論理によって処分が決まりました。そのことに対し、第三者である私たちが、処分が厳しすぎるのではないかとか、もっとほかにもあるのではないか、といっても仕方のないことであると思います。
ただひとついえることは、この国で有名人になるということは聖人君子であるかのような生活を送らなければならないということであり、脇が甘いといつ何時非難を受けるかわからないということでもあります。