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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

震災からの復興~悲惨のなかの失望と希望

 6月25日に菅総理に提出された復興構想会議による「復興への提言~悲惨のなかの希望」について考察するつもりでしたが、その前に、昨日から取りざたされている松本龍復興担当大臣の放言について取り上げてみたいと思います。

(復興への提言~悲惨のなかの希望)全文です
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou12/teigen.pdf

(松本大臣の放言:東北放送のニュースから)
http://m.youtube.com/?rdm=4n3stpuhq#/watch?desktop_uri=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DVtUqWdbjnTk&v=VtUqWdbjnTk&gl=JP


 松本大臣の放言における問題点は3つあります。

1)知事に対し、命令口調でものをいっていること。
2)宮城県の村井知事が出迎えなかったことでキレた。
3)マスコミに対し「これはオフレコです」といい、「書いたらその社は終わりだから」と恫喝したこと。

 今日のNHKのニュースウォッチ9でもこのときのビデオが放映されていましたが、3)についてはカットされていました。カットした理由はわかりませんが、松本大臣が冗談めかして言っていたことから特に放送するまでもないと思ったのかもしれません。NHKも実際に放送しているわけであり、理屈の上では「これはオフレコです」という大臣の発言を無視していることになるからです。そういう点ではNHKの対応はしたたかであるといえますが、他局の放送と比較するとカットしていることが明らかなのですから、報道機関としての姿勢に疑問を感じてしまいます。

 1)に関しては、村井知事が会見で話しているように、国と県との間に主従関係があるわけではないので命令口調で話すというのは賛成できません。「実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな」といわれるように、やたらと威張る奴は中身が空虚であると思われかねません。
 そのうえで、2)の発言です。「お客さんが来るときは自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか。」というのは、よっぽど腹に据えかねたのでしょうね。おかげで人間の器の小ささというかケツの穴の小さい男であることを満天下に暴露する羽目になりました。ネット上では次のようにからかわれています。

(小田島 隆さんのツイート)
待つことも かなわぬ龍の 器量かな
(セキネさんのツイート)
松本大臣『私は九州の人間で語気が荒く、B型で短絡的なので思考がうまく伝わらないと思いますが・・・』って発言してたけど、今すぐ九州の人とB型の人に謝れ。それは確実にお前のせいだ


 これを呼んで爆笑してしまいました。もはやこうなると本人が何をいっても無駄という気がします。自業自得というか身から出た錆というか、本当にお気の毒な人だと思います。

 実をいうと、1)と2)については、松本大臣の人間性の問題に過ぎません。ああいうことを大勢の人間の前で言えばどうなるか、その程度のことも分からない人に復興担当大臣という職務が果たせるのかどうかは自明の理であるといえます。同時に、民主党という政党には人材が不足していることが暴露されたといえるでしょう。

 むしろジャーナリズムが取り上げなければならないのは、3)の「これはオフレコです」に始まる一連の発言です。
 オフレコには2通りあって、一切報道しない場合とニュースソースをぼかして報道する場合がそれです。よく「政府筋によれば・・・」とか「政府高官によれば・・・」という記事を目にすることがありますが、これもオフレコの一種です。取材した内容が、名前を出さなければ記事にしてもいいとうのは、その場にいる当事者間の阿吽の呼吸によるもののようです。
 また、取材する側と取材される側が一対一の場合の「オフレコ」と今回のように大勢の記者を前にした「オフレコ」とがあります。一対一の場合の「オフレコ」は、記者が裏付けを取ってから後日記事にする(ただしニュースソースは明かさない)のは別に仁義に反することではないと思います。
 今回のように大勢の記者を前に「これはオフレコですが・・・」という発言は、人の口に戸は立てられないという諺があるように、オフレコとして扱う必要はないと思います。記事にしてほしくなければ話さなければいいのです。それではなぜ「オフレコ」ということが行われるのかというと、記事にされたら困る情報を漏らすというのは、取材される側とする側の人間関係の濃密さを印象づける手段として用いられているようです。取材する側にとっては、「こんな大事なことを俺に打ち明けてくれた」と感激する瞬間なのでしょうが、それも一対一の場でのことであって、大勢の記者の前でのオフレコというのは何の有り難みもないのです。したがって、「オフレコ」というのは取材する側を籠絡する手段になりうると思った方がよいと思います。記者が相手に取り込まれないようにするには、ある程度の距離を常におかなければならないと思います。官房機密費で接待されるなど言語道断であるといえるでしょう。
 
 今回の松本大臣の発言は、「これはオフレコです」と後になって言ったこと、および「書いたらその社は終わりだから」と恫喝している点が問題です。後出しで「これはオフレコです」というのがアリならば、都合の悪い発言を書かせないということになりますから、ジャーナリズムは存在する理由がなくなってしまいます。したがって、マスコミはこのような「後出しのオフレコ」は無視して差し支えないと思います。
 松本大臣のたちの悪さは、「書いたらその社は終わりだから」と冗談めかして言っていることです。これを冗談であると解釈すれば、マスコミは自由に記事にして構わないということになります。しかし、それは松本大臣の本意ではありません。仮にそうだとすると、わざわざ「これはオフレコですから」と断る意味がないことになるからです。ゆえに、これは冗談めかしてはいるけれども、松本大臣による記者への恫喝であると理解して差し支えないと思います。

 松本大臣は以前「被災地の人に寄り添いたい」と述べていたことがNHKのニュースでも紹介されていました。私が被災者であったなら、こういう人物が寄り添って来たら鳥肌の立つ思いがすることは間違いありません。そういう人物が復興担当大臣に任命されたというのは失望を禁じ得ないのですが、その一方で、大臣の恫喝に屈せずにきちんと報道したメディアがあることは評価したいと思います。


付記
 大きな責任を負っている人がそれを果たそうとしないとき、あるいは不適格であると思われたとき、その人を揶揄し、笑い飛ばすことのできる社会はまだ健全な社会であると思います。世界にはそれすらできない国もあり、そうなると残された手段は暴動しかありません。そんな国に生まれなくてよかったと思いますし、この国をそんな国にしたいとは思いません。(今回ツイートを引用させていただいた、小田島隆さん、セキネさん、ありがとうございました。)
by T_am | 2011-07-05 00:18 | その他