ブログトップ

カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

日の丸と君が代の問題(2)  教職員の皆様に申し上げる

 日の丸と君が代に反対される教職員の皆様へ。
 君が代斉唱時の起立を義務づける条例案が大阪維新の会による議員提案という形で大阪府議会に出されたのに続き、校長による教職員への起立斉唱命令は合憲であるという最高裁の判決に対してさぞ悲憤慷慨なされていることでしょうね。しかし、私にはあなた方に対し同情しようという気持ちにはなれないのです。なぜでしょうね?

 教師というのは、自分の思想信条や宗教観さえも生徒に教えることができる唯一の職業です。生徒にとって教師というのは「正しいことを教える人」なのですから、その教師の言葉は生徒にとって「そういうものなのか」と受け入れられることが多いと思います。

 「日の丸や君が代は軍国主義や侵略戦争の道具として使われたのだから、これに対して起立斉唱する必要はない」とあなた方が考えることは自由です。誰にもこれを制止することはできません。また、あなた方にはそれを生徒に教えることが許されています。

 自分の卒業式はどうだったかを思い出そうとしているのですが、なにぶん昔のことであり、よく覚えていません。たぶん君が代斉唱というのはなかったと思います。仰げば尊しを歌った記憶もありません。それでも小中学校のときは卒業式の練習をずいぶんやらされた覚えがあります。行進の練習、卒業証書の受け取りかたの練習、そういえばシュプレヒコールもありました。なんだかわざとらしいなと思っていたのですが、あれはまだやっているのでしょうか?

 そんな私ですが、オリンピックで日本の選手が金メダルを獲って日の丸が掲揚されるのを中継で観ていると、じーんと胸が熱くなります。また、サッカーやボクシングの国際試合で両チームの国家が歌われるのを聴くとおごそかな気持ちになります。テレビの前ですから流石に起立することはしませんが、自分が会場にいれば何の違和感もなしにいっしょに起立するだろうと思います。
 日の丸や君が代に敬意を払う必要はないというあなた方の信条を教わった生徒たちは、こういうときにどうしているのでしょうね? やはり不起立を貫いているのでしょうか?

 戦前の日本人を侵略戦争の尖兵に仕立て上げたのはいったい何だったのでしょうか? あなた方は、それは君が代と日の丸だというわけですが、もっと決定的なものがあったと私は思います。それは何かというと、「特定の状況に置かれたときに自分で考えることをやめる人間を量産すること」です。理想的なのは、そういう状況では自然と身体が動くようになることです。すなわち、パブロフの犬のように、特定の状況下では必ず同じ言葉を発し、決まった行動をとる人間が望ましいのです。
 そのためには訓練を繰り返すことによって身体に叩き込むというのがもっとも効果的であることはあなた方もよくご存知のはずです。具体的にいうと、小学生の私が繰り返し練習させれたように、行進や卒業証書の受け取りかたの練習を繰り返すことです。そうやって身体に叩き込んでおくと、何も考えずに身体が動くようになるのです。卒業式というのは、その格好の材料となります。かつて私が繰り返し練習させられたように、今も日本中の小学校・中学校で同じような練習が行われているのではありませんか?

 したがって、あなた方が日の丸や君が代に対して不起立や斉唱を拒否するというのであれば、卒業式のための練習すらも拒否するのでなければ筋が通らないと思います。でも、教職員の中でで卒業式の練習を拒否した方がいらっしゃるという話しは聞いたことがありません。
 それはなぜでしょうか?
 その答えは、あなた方も何らかの組織に属しているからだ、ということになると思います。つまり、あなた方が属している「組織」は、あなた方に忠誠を要求しているはずですから、そのためには「組織」の儀式の際に疑いを持たずに厳粛に行動する人間を必要とするからです。だから、あなた方も、生徒に対し、日の丸や君が代を拒否することを教えるけれども卒業式そのものを拒否しなさいとは教えないのです。

 あなた方否定する侵略戦争がなぜ行われたのかといえば、既に申し上げたように、自分で考えようとしない人間が、当時の教育によってつくりあげられたからです。そのために、日の丸や君が代が道具として用いられたかもしれませんが、それだけではないはずです。にもかかわらず、あなた方が日の丸と君が代を排除すればいいのだと考えているのだとすれば、考えが浅いと申し上げないわけにはいきません。
 むしろ、私には、現代のあなた方がやっていることは、自分で考えようとしない生徒をつくりあげようとしている点で、当時のそれとあまり変わりはないように思えます。

 自分で考える人間をつくる第一歩は、自分と異なる人間の存在を許容することであると思います。けれども皆が同じことを考え、同じような行動をして、しかもそれが正しいと考えるような社会は自分と異なる人間の存在を認めないという社会になりかねません。
 でも、あなた方が目指しているのはそういう社会なのではないか? 忠誠心の対象が天皇から他のものに代わるだけで、実質的に大差ないのではないかと思うのです。

 これが、あなた方に対し、あまり同情的になれない理由です。
by T_am | 2011-06-01 21:45 | その他