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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

映画「ブラックスワン」に見るアメリカ社会

 私には師匠がいて、その師匠が勧めてくれた映画「ブラックスワン」を観てきました。シネコンはゆったりと映画を観ることができますが、特に、ユナイテッドシネマはシートがいいですね。ソロシートでふんぞり返って観ることができました。

 映画を見終わって考えたのは、この映画が成立する(別のいい方をすれば「嘘っぽくない」)背景には、いくら才能があっても成功するにはそれだけは足りないという常識がアメリカ人の間にはあるのだろうということでした。

 師匠によれば「白鳥の湖」という作品は、「バレエ関係者にとっては、やはり、最終的な目標となる偉大な作品」であり、「特に、プリンシパル(主となるダンサー)にとっては、バレエのあらゆるテクニックを使いこなし、白鳥、黒鳥という全く反対のキャラクター二役を演じるという難題を試される」のだそうです。したがって、「一人のプリンシパルが、これをどう踊りきるか」が最大の見所であるだけに、逆に演じる者にとっては大きなプレッシャーになります。「ブラックスワン」ではさらに、ナタリー・ポートマン演じる主人公を自傷行為という疾患の持ち主として設定しています。つまり、それだけ難しい役柄であるということになりますから、ナタリー・ポートマンがアカデミー主演女優賞を受賞したのも頷けます。
 
 この映画には主人公を巡る重要なキャラクターとして4人の人物が造形されています。

 一人目は、かつてのプリマであり、肉体の衰えによって後進にその座を奪われることになったベス。
 二人目は、主人公のライバルで野心的なリリー。
 三人目は、かつて群舞のダンサーのまま主人公を妊娠したことによって、バレエを諦めてしまった母親。
 四人目は、バレリーナを道具としてしか見ていない監督のトマス・ルロワ

 映画では、この4人の人物との接点を通じて主人公の複雑な性格がしだいに明らかになっていくのですが、この種の映画の常として主人公の内面の変化が主題であることはいうまでもありません。そのため、この映画では様々な伏線が張られています。それらを注意深く見ていくのも楽しみ方の一つとしてあってもいいのではないかと思います。

 実をいうと、日本にもブラックスワンを扱った作品があります。山岸涼子さんの「黒鳥 ブラックスワン」という短編の少女マンガで、こちらの方は主人公の嫉妬が中心に描かれていますが、基本的な設定は映画「ブラックスワン」とよく似ています。ベスや主人公の母親を登場させ、さらに主人公を自傷行為という疾患の持ち主とした分だけ映画の方が複雑になっています。それらは作品の長さの違いですから、どちらがすぐれているということはできません。強いていえば、「黒鳥 ブラックスワン」は短編ですから。あれもこれもと詰め込むわけにはいかないのにくらべ、映画の方は108分という長時間の作品ですからそれだけいろいろな要素を盛り込むことができたということでしょう。それにしてもつくられた国も違えば時期も異なる作品でありながら、主人公がブラックスワンを完璧に演じることができるようになるには同じような「きっかけ」を必要としたという展開が描かれているのは興味深いことです。

 映画「ブラックスワン」では、成功者から敗残者かという2種類の価値基準でしか人間を見ることができないアメリカ社会の不健全さと孤独が根底にあります。これを否定することはアメリカという国の存在理由を否定することになるので、その犠牲となる個人が後を絶たないことになります。ナタリー・ポートマンはそれを見事に演じきったということでオスカーを手にしたのだと思います。

 こういうサイコ・ホラー的な映画は生理的に好かないのですが、黒鳥のグランフェッテ(片方の足で32回転する-これは師匠に教えてもらいました)は、私のような素人がみてもすごいと思いました。また、最後のシーンはいろいろと考えさせてくれるので観ておいて損はないと思います
by T_am | 2011-05-29 19:38 | その他