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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

私が原発の推進に反対する理由

 福島第一原発の事故がもたらした影響の大きさから、原発を忌避する動きが広まっています。新潟でも柏崎原発で定期点検中の原子炉の再稼働には知事が慎重な姿勢を示しており、他の地域の原発でも同様の動きがあるようです。
 原子炉は13ヶ月経つと、停止させて定期点検しなければならないそうですから、定期点検中の原子炉が再稼働されないままだと、来年中にはすべての原子炉が停止するという事態に陥るとのことです。そうなれば今年以上の節電に取り組まなければならなくなりますから、今から覚悟しておく(企業によっては対策を講じておく)ことが必要でしょう。

 政府と東電は、福島第一原発の事故は想定を超える津波に襲われて非常用発電機やバテリーが停止したことが原因だと発表しています。言い換えれば、大きな地震に襲われても津波さえ来なければ原発は安全であるということになりますから、そういわざるを得ない立場なのだということがわかります。事故がなぜ起こったのかは、今後調査委員会が解明することであり、事故の当事者である東電の発表を鵜呑みにするわけにはいきません。

 原発の危険性について、私は次のように考えています。

(1)原子炉の弱点
 普段でも放射能漏れという事故が散発的に起きており、原子炉のシステムの弱点は原子炉本体よりもむしろ複雑で繊細な配管の方にある。

(2)設備の耐震補強
 安全対策は、原子炉圧力容器と格納容器といった原子炉本体に目が向けられているが、周辺設備の耐震性がどこまで強化されているのかはわからない。建物や格納容器などの「器」には耐震基準が設けられているけれども、内部の配管や電気系統といった「設備」とその設置工事にはそもそも耐震基準など存在していないのではないか?

(3)原子炉の事故
 原子炉本体が無事でも、周辺の設備が損傷すれば原発の事故は免れない。なぜなら原子炉というのは冷却装置まで含めた巨大な装置なのだから。

(4)原子炉本体だけを守るのは本末転倒
 現在の安全設計の考え方は原子炉本体である圧力容器と格納容器を損傷させないというものである。これらを守るために、他の設備が犠牲になってもやむを得ないという「割り切り」が行われている。その結果、放射性物質を外部に放出することになる。(格納容器の圧力を低下させるために行われる「ベント」の実施は、原子炉本体を守るためには、放射性物質に汚染された水蒸気を格納容器のそとに放出することも厭わないというものです。また、水素爆発によって原子炉建屋の屋根が吹き飛んだのは、爆発の衝撃波を上部に逃がすような設計になっていたからです。そうでなければ格納容器が損傷してしまうと考えたのでしょう。原子炉本体を守るという考え方に基づけばこの設計は正しいということになります。その代わり、大量の放射性物質を原発の敷地外にもまき散らすという事態を招いてしまいました。)

(5)冷却は止められない
 原子炉は運転を停止していても、内部に核燃料がある限り常に冷却装置を動かしていなければならない。冷却装置が止まれば事故は起こる。

(6)定期点検の意味
 運転して13ヶ月経った原子炉に定期点検が義務づけられているというのは、それだけ内部の設備の消耗が激しいことを意味している。点検によって、消耗して脆くなっている配管などの部品を交換することを目的としている。原子炉の運転中に巨大地震が発生すれば、これらの脆くなっているところにダメージが集中する可能性は否定できない。そうなれば、福島第一原発のような事故が再び起こることになる。

 
 福島第一原発の事故がこれほどまでに大きなものになった理由は、地震によって配管(おそらく格納容器や圧力容器も)に損傷が発生し、そこから冷却水が漏れることで圧力容器内の水位が下がり、燃料棒が露出してしまったことによると考えられます。制御棒の挿入によって核分裂は停止したものの、露出した燃料棒は自らの崩壊熱によって高温となりました。その結果、燃料を覆っているジルコニウム合金と水蒸気が化学反応を起こし、大量の水素が発生しました。それが原子炉建屋内に漏れたところで水素爆発を起こし、原子炉建屋を破壊し、大量の放射性物質が空気中に放出されることになったのでしょう。さらに燃料被覆菅の損傷は内部の燃料が圧力容器の中に流れ出すメルトダウンを引き起こしてしまいました。一方、原子炉を冷却するために放水作業が続けられてきましたが、それらは核燃料の中に含まれる放射性物質に汚染された後、配管や格納容器などの損傷部から次々と漏れ出すことになりました。

 このように考えてくると、原子炉でもっとも脆弱な部分は配管部であることがわかります。これが損傷すれば燃料棒の冷却機能が失われてしまいます。ゆえに、原子炉の事故対策というのは、巨大地震が来ても配管や圧力容器などの「冷却水を覆っている設備が損傷しない」ように改善することが必要であるといえます。
 ところが、原子炉の運転中にこれらの作業を行うわけにはいきません。一旦停止させなければできないのです。
 そうかといって、ただちに全部の原子炉を止めるというのは早計です。原発が一斉に停止すれば経済や社会に与える影響がそれだけ大きくなるのですから、むしろ計画的に取り組んでいくべきでしょう。これまで発表された事故対策は、非常用電源の確保や津波に備えた防潮堤の建設が中心であり、そういう取り組みが無駄であるとは思いませんが、肝心な部分がなおざりになっているように思えてなりません。

 原発には構造上の弱点があって、それが軽視されている限り、同じような事故が起こる可能性は否定できないと思います。これが原発の推進に反対する理由の一つです。


 2番目の理由は、原発から発生する核廃棄物の問題です。放射性廃棄物には低レベル放射性廃棄物と高レベル放射性廃棄物の2種類があります。どちらも生物にとって危険な量の放射線を出しているにもかかわらず、ゴミのように燃やしてしまえばそれで終わりというわけではありません。
 低レベル放射性廃棄物の場合およそ300年、高レベル放射性廃棄物にいたってはおよそ2万年もの間厳重に保管されなければならないのです。(ただし、保管場所は未だに決まっていません。)
 それだけの長い期間、放射性廃棄物を保管するコストは膨大なものとなります。今はともかく、将来そのコスト負担するのは、私たちではなく私たちの子孫に他なりません。けれども、現代人の多くはそのことを知りません。今の生活水準と啓司成長を維持していくためには原発が必要なのだといわれれば、なんとなくそんなものかと思ってしまいますが、その代償としてコストを子孫に負担させることになるのです。
 さらにいえば、300年間の厳重保管というのはひょっとすると可能かもしれませんが、2万年ともなると、これまでの人類の歴史よりも長いのですから、その間に何が起こるかわからないと考えるべきでしょう。高レベル放射性廃棄物は地層処分といって、地下に大規模な保管所を設けて貯蔵する計画を進めようとしています(まだ実現はしていません)。いくら地中が安定しているといっても、地震国日本のことですから、2万年もの間地震の影響を受けないと断言できるのでしょうか。万一高レベル放射性廃棄物が漏れ出すという事故が起これば、その後始末をするのは私たちの子孫なのです。

 これらの放射性廃棄物は原発が稼働を続ける限り増え続けていきます。2万年もの間、きちんと保管できるかどうかわからないのに、高レベル放射性廃棄物を毎年出し続けているというのが原子力発電です。これはどう考えても、まともな人間のやることではありません。これが原発推進に反対する2番目の理由です。

 以上のことから、今後新しい原発をつくるのはやめて、現在稼働中の原発も耐用年数が過ぎたものから順番に廃炉にしていく(その間大きな事故が起こらないように、定期点検中に耐震補強を続けていく)という考え方がもっとも現実的であると考えます。原発は危険だからただちにすべて廃止せよという考えがあることも理解できますが、ただちにすべて廃止といっても廃炉まで10年単位の年月が必要です。その間事故が起こる危険性は残る(原子炉を停止したからといってそれで安全になるわけではない)のであり、リスク管理も含めたコストを捻出しなければなりません。しかも原発に代わる発電設備を確保しなければ社会や産業に与える影響は大きなものになります。それならば、時間をかけて少しずつ縮小していくというのがもっとも摩擦の少ないやりかたでしょう。小さな船が方向転換するのは簡単にできますが、大きな船を方向転換させるのは大変な苦労を伴うのです。

 原子力行政の問題点は、都合の悪い事実はさりげなく発表し、都合のいい事実を宣伝に使うというところにあります。その結果、本来いわなければならないことが何も伝えられていなかったという実態が今回の事故で次々と明らかになりました。
 最近になってようやく東電はメルトダウンや地震によって配管や格納容器が損傷していたことを認めました。しかし、そんなことは3.11の後で何が起きてきたかを見ていればもっと早い段階でわかっていたはずです。東電がそのことに気づいていないはずはないので、発表してもそれほど騒ぎが大きくならないタイミングを見計らっていたのだろうと思います。これに関しては政府も関与しているものと思われます。
 今回政府と東電が行っていることをまとめると次の通りです。

・国民の安全や生活よりも事故の収束を優先している。
・起こったことを淡々と発表し、それが何を意味するかについては過小評価する。
・環境に対する影響について調査しなければならないのに、数値が小さくなるような調査手法を繰り返している。または調査そのものをしようとしない。
・その結果、とらなければならない対策が不十分なものになったり、あるいは何も行われていないという事態を招いている。

 こうしてみると、政府には「(国民に)知らせなければ騒がれない」という金科玉条でもあるのではないかと思われます。(ただし、知らせなければ騒がれないという考え方は民間にも広く蔓延しているといえます。)政府を監視する役目を負ったマスコミがその点機能していないので、「大本営発表」などと週刊誌から揶揄されるわけです。
 幸いなことに、日本にも志を持ったジャーナリストたちがいて、彼らが伝えてくれる情報によって、政府や東電の発表はおかしいのではないかということに気づかされます。(これらのジャーナリストに対し、デマを流し不安を煽っているという誹謗があることも事実です。)
 これらのジャーナリストたちが伝えてくれることを受け入れるかどうかは自分で判断しなければなりません。単に鵜呑みにするだけでは今までと同じであり、鵜呑みにする対象が政府からフリー・ジャーナリストに代わっただけのことに過ぎません。

 大事なのは、自分で考えること。そうやって、自分で考えたことであれば、いろいろな考えが出てくるのは当然のことです。多様な意見がオープンになっていけば、やがてその中で必ず方向性が定まってくるようになります。時間と手間のかかる手続きですが、他人任せにするよりはよほどマシであると思います。
 私たちの気持ちの中には、政府に任せていればそれほどひどいことにはならないだろうという思いがありますが、いざというときに政府はほとんど何もしてくれないということが今回の件でよくわかりました。そこで政府を責めても日本がよくなるわけではありません。それよりも自分が変わる方が先だと思うのです。
by T_am | 2011-05-27 05:55 | その他