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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

「リスク」と「デインジャー」に分けて考える

 内田樹先生が「リスク」と「デインジャー」について書いておられます。「リスク」というのはビジネスマンが大好きな言葉ですが、何でもかんでも「リスク」という言葉に置き換えて考えてしまいがちになるという弊害もあります。危機的状況にどう対処するかというときに、「リスク」と「デインジャー」を分けて考えるというのは極めて有効であると思います。
 まず、「リスク」と「デインジャー」の違いを明確にしておきましょう。内田先生はブログの中で次のように述べておられます。

危機には「リスク」と「デインジャー」の二種類がある。
「リスク」というのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のことである。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のことである。
喩えて言えば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、2点のビハインドというのは「リスク」である。
このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性がある。
試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。
対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。
http://blog.tatsuru.com/2011/05/07_1001.php

 いかがです。とてもわかりやすいですね。ものごとを理解するときに、自分の言葉で表現してみるという鉄則を絵に描いたような文章です。
 それはそうと、この文章から次のことがわかります。

リスク=制御可能な状況
デインジャー=制御不能な状況

 この定義に基づいて福島第一原発の事故について考えてみます。
 デインジャーというのは制御不能な危機のことですから、それに襲われるというのは仕方のないことであると諦める以外にありません。ただし、デインジャーがもたらす直接の被害に限られます。どういうことかというと、ゴジラがスタジアムを踏みつぶすというのはデインジャーによる直接の被害ですから、これはどうすることもできません。しかし、自動車に乗って逃げる途中で歩行者をはねてしまったというのは違います。これは制御可能な事故ですからゴジラのせいにすることはできません。

 福島原発を津波が襲ったことはデインジャーであるといえます。しかし、外部電源が失われたこと、非常用発電機が壊れてしまったこと、ならびに原子炉の冷却システムが作動しなくなったことはデインジャーではありません。それらはすべて「リスク」であり、本来は制御可能のはずなのです。。
 そもそも福島原発の事故の原因は津波に襲われたことだと思われていますが、実際は違います。原子炉の冷却機能が失われたことが事故の原因であり、その理由は冷却水を循環させるポンプが作動しなくなったことのほかに冷却水を循環させる配管がいたるところで破断したことにあります。配管が健在であれば、外部電源が接続された時点で冷却機能が回復していたはずですが、実際はそうではありません。さらに放射性物質に汚染された水が建屋の内外にあふれ出ているということは、圧力容器・格納容器・配管のいずれか(あるいは全部)が損傷していることを意味しています。水素爆発の起きていない2号機でも同様の現象が起きていることを考えると、これらの損傷は、津波によるものではなく、一連の地震(本震とそれに続く余震)によるものであると理解した方がよさそうです。すなわち、本震の時点ではなんとか耐えたかもしれませんが、次に起きた余震には耐えきれなくなったとも考えられるのです。(関東東北の建物被害の状況をみていると、余震が来るたびに少しずつ被害が拡大していったという事例があります。)
 水素爆発によって原子炉建屋が損壊した直後に大量の放射線が検出されていますが、この時点ですでに圧力容器と格納容器、それに原子炉建屋内の配管が損傷していたと考えれば納得がいきます。これらが健在であれば、放射線が外部に漏れることはないからです。ということは津波によるダメージだけでなく、地震によってもダメージを受けていたと考えるべきでしょう。つまり、それだけの耐震強度しかなかったといえます。

 ゴジラに襲われるというのは確率的にほとんどゼロであると考えて差し支えないと思いますが、だからといってデインジャーが「あり得ない事故」であると考えるのは早計です。平成になってから、阪神淡路大震災、中越地震、中越地震、能登沖地震、岩手県内陸地震が起きていますし、日本の各地で水害も発生しています。さらに昨年末には大雪によって各地で道路と鉄道が麻痺して車や乗客が閉じ込められるという事態も起こっています。これらはすべて「デインジャー」であると理解すべきであって、いつかは起こるものと覚悟を決めた方がよいと思います。。

 それでは、制御不能なデインジャーに襲われたときにどのように考えたらいいかというと、「今この状況で起こりうる最悪な事態」は何かを想像して、「どうすればそれを回避できるか」という発想をすることです。このようなときに「何がベストか」という発想は逆効果です。欲を言い出せばキリがありませんし、その結果難易度が高くなってそれだけ実現性は低くなります。そのようなことに囚われていると、かえって最悪な事態に陥ることになりかねません。この震災で津波がやってきたときに、車で逃げようとした人が渋滞によって動けないまま津波に流されてしまい、逆に車を捨てて逃げた人の方が助かった-その代わり自動車は失いました。この場合、最悪の事態というのは自分が命を落とすことであり、ベストは自分の命と車(+持ち出し可能な財産)の両方が無事であるということはおわかりいただけると思います。
 考えられるケースの中で最悪の事態は何か? という発想法は単純です。個人にとって最悪の事態とは「自分が死ぬ」ということですから、そういうときは逃げるということが本能の中に織り込まれています。したがって、このような発想法は人間にとってなじみ深いといえるのですが、とりあえず命の危険はないという場合は、では何が最悪の事態なのかについての判断を誤ることが往々にしてあります。まして緊急事態ということで焦りも伴いますから、普段からそういう訓練をしておかないと、正確な判断を下すのは一層難しくなります。今回は、その判断を誤るとどういうことになるかということを考えてみることにします。


 福島第一原発の場合でいえば、津波によって非常用電源まで失われた時点で「東京電力にとって考えられる最悪の事態」というのは、「原子炉が爆発する」ことでした(原子炉が爆発するケースとしては核爆発と水素爆発の2種類がありますが、地震直後に制御棒が挿入されたことで緊急停止に成功しているので核爆発の可能性はなくなりました)。
 なぜこれが最悪のケースかというと、それによって高濃度の放射性物質が無制限に放出されることになり、そうなれば東京電力という会社の存続が危うくなるからです。これは東京電力という企業にとって最悪の事態であることに違いはないのですが、福島県に住んでいる人、農業や漁業に従事している人には関係のない話です。というのは、東京電力がどうなろうと、自分たちの健康と生活の方が優先されるからです。すなわち、立場が異なれば「最悪の事態」というのは当然異なってくるのです。
 そこで、これまで原発を推進してきた日本政府にとって最悪の事態とは何なのでしょうか。これまでの政府の行動を振り返ってみると、「世論によって日本中の原発が廃止に追い込まれることが政府にとって最悪の事態」だったのではないかと思われます。(このことについては後で述べます。)

 原子力発電所の広報施設へ行くと、原子炉施設で事故が起こったときには、原子炉を「とめる」「冷やす」「閉じ込める」という設計になっていると説明されます。ご存知の通り、福島第一原発では「とめる」(核爆発の危険性を回避する)ことには成功したのですが、「冷やす」ことに失敗したために水素爆発が3カ所で起こってしまいました。しかし、原子炉格納容器の外側で起こったので、原子炉そのものが破壊される事態は免れ、とりあえず当面起こりうる最悪の事態は回避できたわけです。その代わり、原子炉建屋が破壊されたので、放射性物質が空気中に放出されるという「次に悪い事態」を招いてしまいました。それでも、原子炉の爆発は免れたのですから、多少の放射性物質が放出されてもやむを得ないと捉えていたように思われます。(何度もいうように、この考え方は原子力発電所を運営・推進する側の「都合」による判断です。周辺の住民や農家にとっては寝耳に水であり、許し難い事態であることに変わりはありません。)
 このときに放射線量が急激に上昇したという事実は、それがなぜなのかを事故調査の中できちんと検証する必要があると思います。というのは、原子炉格納容器と冷却水の配管が無傷であれば、あれだけ大量の放射性物質が外部に漏れ出るということは考えられないからです。しかし、実際に大量の放射性物質が放出されたわけですから、システムのどこかに重大な損傷が起きていたと考えるべきでしょう。
 原発で事故が起きたときの対策の指針は「とめる」「冷やす」「閉じ込める」の3つであるといわれてきました。なぜそうなっているかというと放射性物質の外部への大量放出を防止するためです。つまり、目的は放射性物質の放出を防ぐというところにあるので、このことは常に意識されるべきであり、なおざりにしていいというものではありません。
 ところが実際には水素爆発によって原子炉建屋の主に上半分が破壊されました。これは、原子炉建屋の内部で水素爆発が起こったときに、その衝撃波によって原子炉格納容器が損傷しないように力を外部に逃がしてやるため、空気よりも軽い水素が集まりやすい原子炉建屋の屋根付近が最も弱くなるように設計されていたからです。ここが頑丈だと、爆発の衝撃波は下の方に向かい、原子炉格納容器を破壊することになりかねません。つまり、原発の設計者にとって守るべきは原子炉であり、そのためには原子炉建屋の一部が破壊されてもしかたないと考えられているのです。このことは、放射性物質を「閉じ込める」という指針と矛盾します。原発には放射線漏洩を防ぐための5重の壁(燃料ペレット、燃料被覆菅、原子炉圧力容器、格納容器、原子炉建屋)が設けられていると説明されていましたが、緊急時には原子炉建屋という「壁」の一つを放棄することもやむを得ないという考えに基づいて原子力発電所は設計されているのです。
 それというのも原子力発電所の設計思想には、事故が起きても原子炉が破壊されないようにするにはどうしたらいいか? という思考法はあっても、万一事故が起きても被害が発生しないようにするにはどうしたらいいか(具体的には、放射性物質を外部に漏らさないようにするにはどうしたらいいか)? という思考法が欠落しているからです。理屈からいえば、原子炉が無傷であれば何が起ころうとも放射線が外部に漏れることはありません。だから、原子炉をいかにして守るかということにのみ神経を使い、原子炉が壊れてしまった場合はどうするのかということが検討されなかったのだと思います。
 東電も保安院も原子力安全委員会も、とにかく原子炉を守るという考え方に支配されているわけですから、汚染された大量の水を海中に投棄するということも行われました。原子炉に注水しても次から次へと漏れ出ている状況下では、漏れ出た水をなんとかしなければそれ以上の注水ができなくなると判断したために、海中への投棄が行われました。また、福島県内の小学校の校庭の土が放射性物質で汚染されている(汚染されているのは小学校だけではないのですが)ということがわかっても、東京電力は何もしようとしていません。この会社の関心事は原発の敷地内に限られているのであり、企業とは所詮そういうものだということを覚えておいた方がよいと思います。

 このような、原子炉さえ守っていればあとは何とかなるという思考法を改めない限り、他の原子力発電所で今後どれだけ地震対策・津波対策を施したとしても、ひとたび「想定外の災害」が起これば今回と同じような被害が発生することになります。私たちにとって原発事故がもたらす最悪の事態とは「放射性物質が外部に漏洩すること」ですが、彼らにとってはそうではないからです。

 原発の安全性を審査するはずの国の意識も似たようなものです。先ほど、日本政府にとって最悪の事態とは「世論によって日本中の原発が廃止に追い込まれること」だったのではないか、ということを申し上げました。そう推測した理由は、政府のとった行為の目的が被爆による犠牲者を出さないことでありながら、国民に対してはこれくらいの放射線であればたいした影響はないと繰り返し国民にアナウンスするという矛盾した行動が行われたからです。
 事故発生後、半径20km圏内の住民に対し避難勧告を出し、半ば強制的に避難させたのは犠牲者が出ては困るという政府の本音の現れです。しかし、慌てて避難範囲を決めたために、風向きなどの要因を無視してしまったので、放射性物質による汚染範囲の実態とかけ離れたものとなってしまいました。にもかかわらず、改めようとしなかったことから、自分たちの面子を優先してことがわかり、結局住民のことを真剣に考えているわけではないということがわかりました。つまり、政府の本音は「犠牲者を出さない」というのではなく、「犠牲者が出たら困る」というところにあるのです。それも結局は「犠牲者が出てしまうと日本の原発が全部廃止に追い込まれてしまう」と恐れているからでしょう。そこには、国民の安全と生活を守るという意思はみられません。その証拠をいくつか挙げておきます。

 文部科学省は、郡山市が汚染された校庭の土をすき取ったのは「自治体の判断で独自にやったこと」として、残土の処分について知らん顔をしています。むしろ「上下置換法」という工法によって、汚染された土とその下側にある土を入れ替えることで放射線の地表への影響が低くなればそれで構わないという姿勢を示しています。ご存知のように、放射性セシウムの半減期はおよそ30年ですから、放射線量が現在の10分の1になるまでには約100年かかります。その間汚染された土をそこに置いておけというのですから、ひどい話しです。もっとも文科省はこどもの被曝量の上限を20ミリシーベルトにするという暴挙も平気で行っていますから、これくらいはなんとも思わないということなのでしょう。
 政府はまた、下水道の汚泥が高濃度の放射性物質に汚染されている自治体に対しても、地下水に漏洩しないように対策を施した上で、当該自治体で保管しておくようにという指示を出しています。
 本来、低レベル放射性廃棄物であっても専用の保管施設に集めておよそ300年間厳重に保管することになっているのですが、今回の決定はこの規則をまるっきり無視するものです。こういうことが平然と行われる理由を推測すると、政府には国民の安全よりも優先して守りたいと考えるものがあるのだろうと勘ぐってしまいます。そんなことはないというのであれば、郡山市の小学校から汚染度を持ってきて、文部科学省の中庭(そんなものがあるのかどうかわかりませんが)にでも埋めてくれたら私は納得します。また、放射性物質が検出された汚泥を厚生労働省の敷地内で保管することに決めたならば、私はこれまで政府に対してさんざん悪口を述べてきた非礼をお詫びしなければならないと思います。

 でも、そんなことはあり得ません。国民の安全と生活を守るという意思が政府にあるのであれば、全然違った対応がとられているはずだからです。

 与党の幹事長が飯舘村を視察した際に、自分は防護服とゴーグルで完全防備した状態で、何の防備もしていない村長と握手をしているという異様な写真が公開されました。大事なのはわが身であって他人はどうでもよいと考えていることが一目でわかるだけに、この人に対する考え方を一変させる写真でした。幹事長氏は政府の人間ではありませんが、所詮は他人事というのが与野党の政治家と官僚に共通する意識なのだと思います。
 国民の生活を守るという意識がないことは、農産物と水産物の放射線検査をまともに実施していないことからも明かです。風評被害に困っている農家や漁師がいるのですから、検査をした結果安全であったと消費者にもわかるようにして流通させるという措置をとらなければ風評被害は収まりません。けれどもそういうことは一切行われていません。そのため日本産の農産物や水産物を輸入禁止にする国が出てくるのですが、政府がやっていることは、根拠も示さずに「安全です」「安心です」と繰り返すのみです。

 福島原発の事故の影響がこれほどまでに拡大したというのは、地震+津波というデインジャーの襲来後、東電と政府、国民にとって「何が最悪の事態であるか」が異なっているということが原因であると思います。
 原子炉の爆発を免れたのだから放射性物質が漏れたのはしかたないじゃないか、というのは原発関係者の身勝手な見解です。また、国民の安全や生活を守ろうとしない政府は、はっきりいってない方がましです。

 政府のこのような体質は一朝一夕にできあがるものではなく、民主党政権になったからこうなったというものではありません。
 原発に関しては、「事故は起きない。なぜなら原発は安全だから。」という錯覚が支配してきました。そのため、監督する立場である国のスタンスも「事故を起こさない」ということに偏っています。そのため、実際に大事故が起こると、国の対応が支離滅裂という状況に陥るのです。それというのも「万一事故が起きても被害を出さない」ということが忘れ去られているからです。
 デインジャーと呼ばれる災害はいつか必ず起こります。それでも「社会が被る被害を最小限にくい止める」という決意があって、普段からその備えをしておくというのが、必要なことではないでしょうか?
 そういう発想のできない政治家・官僚・経営者が情報を隠蔽し、世論を誘導しようと画策します。その結果、税金だけは高くなるけれどもいざというときに守ってもらえないというのが今の日本の姿です。



付記
 事故が起こっても放射性物質を外部に出さないようにする方法として、たとえば原子炉建屋やタービン建屋などの施設をまるごと巨大な建築物で覆うということも考えられます。こうしておけば、水素爆発が起こって原子炉建屋が損壊しても、その外側にもうひとつ建物があるので放射性物質が外部に漏れることはありません。また、いざというときはその内部を水で満たし巨大な水槽にしてしまえば冷却機能を回復することもできるのですから、被害が広がるということはありません。
 現状では、すべての原発を作り直して震度6強の地震にも耐えられるようにしない限り、いずれ同じような重大事故は避けられません。(浜岡原発では運転を停止すれば安全になると思われているようですが、これは錯覚です。)しかし、すべての原発を作り直すなどできるものではない(ということは事故は避けられないということを意味する)のですから、たとえそうなっても被害を出さないようにするにはどうしたらいいかを考えるべきだと思うのです。
by T_am | 2011-05-14 23:55 | その他