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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

「自分にできること」という呪縛

 この震災以降、「自分にできること」というフレーズをよく耳にするようになりました。被災地の困っている人たちのために自分に何ができるか、という発想はとても尊いことであり、私などがとやかく言うことはないのですが、これほど頻繁に耳にするようになると正直言って違和感を覚えます。それは一体何なのかについてずっと考えていたので、今回はそのことについて書くことにします。

 「自分にできることをしよう」ということが最初に言われ出したのは、地球温暖化などの環境保護に対する意識を啓発するためだっとように記憶しています。それは、決して無理なことをするのではなく、持続することを目的としてちょっとだけ努力する、という意味を持っていました。その精神は今でも受け継がれていると思います。
 「自分にできることをする」というフレーズには、それ以外にも、他人に対して同じような努力を促すという呪力があると思います。日本人は付和雷同する民族ですから、「自分にできることをする」と表明する人が周囲に増えてくると、「自分も何かしなければいけないのではないか」と思うようになります。それがいいことであるとか、悪いことであるとか一概に決めつけることはできないのですが、そういうふうに思ってしまう人が増えてくると、「普段やっていないことをしなければならない」という方向に考えが行ってしまう場合もあると思います。
 そういう考え方をしてしまうと、「自分はこれだけのことをやった。だからもう義務は果たしたのだ。」と思わない限り、心のもやもやはいつまで経っても晴れることはありません。

 本当にそれでいいのでしょうか? 私がそう思う理由は2つあります。

 AさんにできることがBさんにはできない。BさんにできることがCさんにはできない。これが普通なのですから、何も人と同じことをしなければならないというわけではないだろうというのが一番目の理由です。無理なことはしないというのが一番です。
 二番目の理由は、「自分にできること」というのは一つではないだろうということです。たとえば、「花見の自粛はしないでほしい」と岩手県の造り酒屋が訴えていました。岩手県や宮城県、福島県の地酒を持って花見に行くというのも被災地の応援になることはおわかりいただけると思います。
 現在、岩手・宮城・福島の内陸部にあるビジネスホテルはどこも満室に近い状態が続いています。これは被災した建物の診断や修繕のために全国からゼネコンの社員が現地入りしているからです。県外から大勢の人が入り込んでくれば、宿泊費や飲食費、あるいはタバコ代などそれだけ地元にお金を落とすのですから、これも被災地に対する応援になるといえます。
 こうした動きは、寄附やボランティアによる労働力の提供に比べると即効性は低いかもしれませんが、じわりじわりと効果を及ぼしていきます。だからといって、用もないのに被災地に行きなさいというのではありませんが、そのような支援の方法もあるということを申し上げたいのです。

 ついでに申し上げると、茨城県や福島県産の野菜を購入しようという動きがあります。これは風評によって茨城県・福島県の農家が迷惑しているので何とか助けてあげたいという善意による運動です。それは立派な行いであると思いますが、行政の失態を民間人が身体を張って補っているように私には思えます。
 露地栽培の野菜から基準値を超える放射性物質が検出された。その場合、その野菜を出荷停止にするのは当然のことです。ただし、今回の場合その後が悪かったと思います。というのは、放射性物質が検出されていないはずの野菜まで、同じ茨城産・福島産ということで出荷停止にしてしまったからです。これでは茨城県産・福島県産の野菜に対して消費者が不安に思うのは当然ですし、それを察した流通業者が買取を拒否することを止めることはできません。このようなときに、政府やマスコミが「冷静に行動してください」と呼びかけても効果はありません。有効な対策は、茨城県産・福島県産の野菜に対して,基準値を超えているのかどうかを消費者に知らせる仕組みをつくるということです。すなわち放射性物質が検出された野菜は出荷させないが、基準値以下である場合それをきちんと表示して出荷するというものです。
 ところが、行政というのは責任を追及されるのが嫌なものですから、安易な手法をとりがちです。その結果、茨城県産・福島県産の野菜に対して出荷停止措置をとるということが平然と行われるのです。
 こういうバカな行為に対して異議を唱えるというのも、被災地の人たちを応援するために「自分にできること」であるといえます。

 「自分にできること」というのは、その人が置かれている立場によって異なります。被災地に出店しているスーパーマーケットの従業員であれば、自分の店の営業を早く再開して地域の消費者に食料品を提供できるようにするというのもその中に含まれます。また、以前このブログにも書きましたが、被災地の近隣のガソリンスタンドが、余震による停電の中でも手動でポンプを動かしてガソリンを販売するというのも「自分にできること」になります。

 こういうふうに考えていくと、自分の仕事や与えられた役割を誠実に果たすこと,および自分と関わりのある人との間で信頼関係を築くことの積み重ねが、巡り巡って被災地の人たちを応援するために「自分にできること」であるということがわかります。このことは、せっかく「自分にできること」を行って被災地の人たちのために貢献したとしても、自分の仕事や役割に対し不誠実に取り組めば他人に迷惑をかけることになるのですから、台無しにしてしまうかもしれないということにもなります。このことは社会的に大きな影響力(すなわち大きな権限)を持つ人に自覚していただきたいと思います。わが社は社会貢献しています、といっていても便乗値上げや内定取り消し、取引中止などを行えば何にもならないのですから。
 これは官僚や政治家、団体職員も同じです。被災者を救援しようという取り組みに対し、つまらない縄張り意識を持ち込めば、誰が迷惑するかは言うまでもないでしょう。
 「自分にできることをする」というのは、このような愚かな行いに対する免罪符にもなりかねないという危うさも秘めていると思います。わずかな善行によって大きな不誠実を隠蔽するというのが人間という生き物です。(それでも何もしないよりはまし、という考え方もあるかと思いますが、そこまで論じる余裕は今はありません。)

 この問題を考えていて、ノーベル平和賞を受賞したときのインタビューで「世界平和のために何をしたらいいでしょうか?」と尋ねられたときのマザー・テレサの回答を思い出しました。


(早く)家に帰って、家族を大切にしてください。


 「自分にできること」というのは結局こういうことであり、決して特別なことを指すのではないと思います。
by T_am | 2011-04-12 00:11 | その他