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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

一極集中の弊害

 大勢の人から寄せられた「義援金」(本当は義捐金と書くのが正しいのですが、「捐」という字が常用漢字にないためか、マスコミが「援」という字をあててできたのが「義援金」です。応援や援助を連想させるので、すっかり定着しています。あと何年かすれば辞書にも載るようになるのでしょう。以上余談。)の配分基準がようやく決まりました。「ようやく」と書きましたが、これを決める委員会の初会合が8日に開かれ、その場で1次配分の基準が決まったわけですから、委員会が怠けていたわけではありません。おそらく阪神淡路大震災などの過去の事例はこうだったと厚生労働省の役人が委員に説明をし、叩き台となる案に対して委員会で修正して決めたということなのでしょう。ですから、正確にいうならば、「委員会が『ようやく』開催された。そこで義援金の1次配分の基準が決められた。」と書くべきなのかもしれません。
 枝野官房長官が義援金の配分割合を決める委員会を設置すると発表したのが4月7日ですから、それまで委員の人選や過去の事例の収集といった、「初会合を開くための準備」が行われており、それが「ようやく」整ったので官房長官が発表したというのが真相でしょうね。政府の動きに対して対応が遅いのではないかという批判があるのも頷けます。
 4月4日に、このような大災害に対してどのような対応をするのがいいのかという文章がネット上に掲載されました。表現は異なりますが、おっしゃっていることは同じです(たぶん)。

「リスクヘッジについて」(内田樹の研究室、2011/4/4)

「ネットワークによる救援活動ー民による公の新しい形」(2011/4/5、小松秀樹)


 中でも小松先生の、「市町村、県、省庁は、現場で迅速な意思決定ができる仕組みにな
っていない。責任と権限が集中している官邸に膨大な情報があげられる。意思決定の手続には時間がかかる。政治判断で強引に事を進めるには事案が多すぎる。対応すべき情報量の大きさがシステムを壊している。誰が悪いわけではない。」というご指摘は鋭いと思います。
 行政による被災者への支援が後手に回るのは、彼らには既存の枠組みの中でしか動くこごとができないからです。
 組織が大きくなれば情報の伝達に時間を要するようになりますし、また組織の内部での調整が必要になることもあります。意思決定はそれらのプロセスを経て行われるのであって、即断即決をモットーとするトップがいても、そこに上がっていくまでに時間がかかるのです。
 このことは民間企業でも普通にみられることですが、意思決定の遅さと自分の責任を回避しようとする体質は組織の規模に比例していると思ってよいかもしれません。行政府というのは日本で最大の組織ですから対応が後手に回るのは構造的に避けられないのです。

 平時であれば、そのような手続きに要する1週間や2週間という時間が気になることはありませんが、災害時にはそんな悠長なことはいってられません。この震災でも、避難所に物資が届かないという事例が至る処で伝えられました。(阪神淡路大震災のときは、区役所の中に寒さに震えている老人がいる一方で、同じ区役所の別のフロアには救援物資として届けられた毛布が山積みされていたことがあったそうです。情報が、それを必要とする人に伝えられる手段がないからこういうことが起こるのですが、同じようなことは今回の震災でも起きているのではないかと思われます。)
 一方、被災地の自治体が十分に機能しないのはインフラが破壊されているからです。電気/水道が止まっているだけでなく、情報を伝達するための電話回線も遮断されているのですからこれはやむを得ません。また、職員に犠牲者がいれば、その分機能は停滞することになります。それでも、職員たちは全力で職務に取り組んでいるのですから、彼らの努力が報われるような手助けがあった方がいいと思います。

 内田先生も小松先生も既存のシステムとは別個のシステムが非常時にこそ求められるというお考えであり、そのような取組みが実際に成果をあげていることは既に立証されています(ボランティアの活躍はその最たるものでしょう)。
 今回の震災でも、各地から寄せられた物資やサービスを需要(各地の避難所および被災者)とどのように結びつけていくかが問題となっています。供給と需要をコーディネイトしていく仕組みを今後整備していく動きは既に始まっていますが、被災地の自治体との連携がどれだけ緊密なものになるかによって、その成果が大きく左右されるのではないかと思います。

 今回のような大災害には、発生後ただちに次の2つが実行される仕組みが普段から用意されていた方がよいと思います。

1)被災地の自治体に対し大幅な権限委譲がなされること。
2)自治体の設備に対するインフラ(電気・通信・水道)の復旧を行うチームが被災者の捜索・救出・支援とは別に確保されること。

 2)については、被災者の捜索・救出・支援こそが最優先なのだから、すべての力をそこに注ぎ込むべきではないのか、という反対が予想されます。しかし、被災地に投入された自衛隊員のすべてが捜索活動に当たっているわけではありません。彼らに水や食糧を届ける部隊も必要ですし、寸断された道路を仮復旧させる工事を行う部隊も必要です。そうでなければそもそも現場で到着することもできないのですから。
 同じように、自治体のインフラを速やかに回復させることは、避難所に集まった被災者たちの支援のために絶対に必要なことです。
 そのために何が用意されるべきかは普段から研究しておくことも重要です。たとえば、避難所に指定されている施設には役所との通信手段が備えられていなければなりません。そのために、携帯電話を備えておくことも考えられます。また、避難者の名簿や必要としている物資を連絡するためのファクシミリもあった方がよいでしょうし、そうなるとその電源や通信回線をどうやって確保するかということも検討しておかなければなりません。
 このように考えていくと際限がないのでここでやめておきますが、こういうことを実行していくのもトップダウンではできません。総理大臣や官房長官がこういう指示を出せると思いますか? あるいは各省庁の次官級局長級の地位にある人がこういう指示を出せるでしょうか? できるはずがありませんよね。なぜなら現場のことを知らないからです。
 避難所のことを一番よく知っているのは自治会長さんです。町長市長ではありません。 今回津波に襲われた地域では、津波が来ないような高台を切り開いて役所などの公共施設を再建する案も浮上しているそうです。これに対して、陸前高田市(津波で市街地が消滅した)の被災者の一人は「人は山では暮らせない。大勢の人間が暮らすのであれば、平地でなければならない。だから、もう一度平地に町をつくることになるだろう。」と語ってくれました。今までそこで暮らしてきた人の言葉だけに、おそらくそうなっていくのだろうなと思いました。
 今後同じような規模の災害が起こるのは千年後かもしれませんし、五百年後かもしれません。ただし、1986年に起きた明治三陸地震による大津波から115年しか経っていないことを思えば、将来の備えを軽視するわけにはいかないと思います。
 自分がどこに住むかはその人が決めることであり、たとえそれが将来津波に襲われる可能性が極めて高い土地であっても、他人がそれをやめさせることはできません。いつか再び津波が襲ってくれば被害を受けることは避けられないにしても、その被害をより少ないものにするために、今のうちからできることはたしかにあると思います。
 私たちが地震国である日本に住む以上、このことは人ごとではありません。海沿いの平野部に人口の大部分が集中しているのですから、津波による災害に備えておくということも必要でしょう。中には、今回の大津波は千年に一度のものであり、自分が住んでいる地域にそういう巨大な津波が来ることはないだろうと思っている方もいらっしゃるかもしれません。けれども陸前高田市の人たち(そして津波に襲われた他の地域のひとたち)も同じことを思っていたのです。
 人間想定する範囲内の出来事であれば災害にはなりません。想定を超えるから災害になるのです。
 土木と治水技術の発達によって災害が起こる可能性は戦前よりもはるかに低くなっていることは事実です。また、震度6を超える地震が来ても倒壊する建物も以前よりも減っています。だからといって、災害が二度と起こらないと断言することは誰にもできないはずです。
 そのための備えに今のうちから取組んでおくことが、「自分にできること」ではないでしょうか。募金やボランティアに参加することも大事ですが、「自分にできること」はそれで終わりなのでしょうか?

 民主党の掲げる「政治主導」というスローガンは要するにトップダウンということです。それが今回のような災害時にはあまり機能しないのは、対処しなければならない課題が個人の処理能力をはるかに凌駕しているからです。
 4月9日、海江田万里経済産業相、蓮舫節電啓発担当相、鹿野道彦農林水産相の3人が相次いで福島県を視察に訪れました。しかし、視察場所の滞在時間が十数分だったこともあり、「パフォーマンス」だとか「大名行列」だとか批判されてまことにお気の毒であると思います。特に蓮舫大臣は作業服を襟を立てる独特のスタイルを「お前は宝塚か」とビートたけしに既にからかわれているのですから、エライ人というのは実績を上げなければ叩かれるのだから大変だなと思ってしまいます。
 大臣が現地に視察に行ってそれで問題が解決するような次元の災害ではないことは誰もがわかっていることです。トップが意思決定できないのであれば、その部下に権限を委譲し、自分はそのための調整役に徹する(その部下も意思決定ができないのであれば、さらにその部下に権限を委譲する。以下同じ。)という方が成果はあがりますし、何よりも本人の評価も高くなります。それなのにどうしてそういうことをしないのか不思議でならないのですが、自分がやらないと気が済まないのでしょうね。そういうトップの下にいる部下、そういう政治家を選んでしまった国民は不幸であるといえます。

 権限が集中することによってかえって機能しなくなる場合、どのようにしたらよいかという事例を最後にご紹介しておきます。それは仙台市の町内会と新潟県小千谷市の町内会とが災害時相互協力協定を結んでおり、その協定に基づいて震災後4日目で支援物資が届けられたというものです。

 
(町内会連携、救援素早く 仙台・福住町、独自の災害時協定、河北新報 2011/3/31)


 これは小松先生が行われたことと共通する点があり、今後どのように考えていったらいいのかについて、大きなヒントを与えてくれる取組みであったと思います。
by T_am | 2011-04-10 10:12 | その他