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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

大相撲の八百長について思うこと

 大相撲の八百長に関する報道が続いています。今朝の新聞には、世論調査によれば「以前から八百長があると思っていた」と回答した人が76.1%になったとのことです。(聞き取り数1,445人、うち回答数1,013人。)また、今回は興味深い調査も行われており、それは「大相撲はスポーツ競技だと思うか、それとも伝統文化だと思うか。」という質問です。
 その回答状況は次の通りです。

・スポーツ競技だと思う   15.9%
・伝統文化だと思う     57.2%
・どちらともいえない    25.3%
・わからない(無回答)    1.6%

 もう三十年以上も前になるでしょうか、「大相撲はスポーツではなく芸能である」という意見が文藝春秋誌に掲載されたことがありました。意見を述べたのがどなただったかは忘れてしまいましたが、当時も大相撲の八百長疑惑があり、それに対する意見として述べられたものだったと記憶しています。その要旨は、「大相撲はスポーツ競技ではなく芸能であり、八百長があったかどうかという詮索をしても意味がない」というものでした。(違ってたらごめんなさい。)
 こういう気分は今もあって、今回の世論調査の中でも、

・八百長は絶対にいけない  58.7%
・性格上やむを得ない    27.8%

 このように、八百長をいけないことだと考える人の割合は減ってしまいます。残りの人たちは、八百長を肯定しないまでもある程度はやむを得ないと考えているように思われます。その一方で、日本相撲協会に対し「公益法人として存続しなくてもよい」と回答した人が62.3%(公益法人として存続した方がよいと回答した人は28.1%)いましたから、日本相撲協会のあり方に疑問を持つ人が多いことがわかります。
 見逃してはならないのは、大相撲をもともと見ていないと回答した人が40.5%おり、その人たちが相撲協会が公益法人であることに否定的であるのは理解できます。ところが大相撲が再開されたら見たいと回答した人は42.5%いましたが、日本相撲協会が公益法人として存続することに賛成であると回答した人は28.1%しかいません。このことは大相撲のファンでありながら、日本相撲協会のあり方に対して批判的である人もいるということを示しています。

 私自身の意見としては、大相撲が芸能であることは理解できるものの、現在の15回戦って最も勝ち星が多い力士を優勝とするという制度とは両立しないというものです。芸能ということであれば、これはショーなのですから、プロレスのようにその日の勝ち負けに一喜一憂していればいいことになります。
 しかし、15日間の勝ち星によって優勝者を決めるというのはスポーツ競技の発想であり、それが成立するには、出場者の実力が拮抗しており、全員真剣勝負をしているということが前提となります。 大相撲の場合、優勝争いに絡む力士はごく一部であり、大多数の力士はそうではない(それほど力の差がある)というのが現実です。どうせ優勝争いに絡むのは一部の力士だけなのだから、それ以外の力士は幕下(十両に比べると待遇が全然違う)に陥落しないようにした方がいいという意識が力士たちの中に生まれるのだろうと思います。
 このように考えてくると、十両以上の力士の人数が多すぎること、しかも実力に差がありすぎる力士を対戦させているということに問題の根源があることがわかります。
 プロ野球はセ・パ両リーグとも6チームしかありません。また、JリーグではJ1に18クラブが所属していますが、下位2チームはJ2と入れ替えになるという仕組みを取り入れています。
 参加するチームの実力を拮抗させるための手段としてこれらの仕組みが設けられているのであり、その理由は、そうでなければ試合が面白くならない、ということに尽きます。

 かつてプロ野球で八百長が問題視され、関係者が厳しく処分されたのは野球賭博が絡んでいたからです。プロ野球の八百長は一部の選手の関与ということで決着しましたが、大相撲の八百長は制度に根ざすものだけに、プロ野球とは比べものにならないくらい広い裾野を持っているように思われます。それだけに、大相撲の八百長が万一賭博との関わりがあるようであれば、日本相撲協会の存続問題に発展することになるといえます。
 幸いなことに、今のところ賭博との関わりはないようであり、その限りでは八百長は内部の問題ということになります。
 大相撲が芸能でありながら、スポーツ競技の面白さも取り入れるのであれば、現在の仕組みを大幅に改める必要があります。問題は、相撲協会の指導者たちにそのような改革の必要性を感じている人が見当たらないことです。そのためにも、この八百長問題を究明し、今までの膿を全部出すということをした方がいいと思います。その過程で過去に八百長に関与した親方・協会幹部がいることも発覚するものと思いますが、それもやむを得ません。
野球賭博に関与した力士と親方に対しては解雇という厳しい処分を科したのですから、今回だけ甘い処分をするというのでは誰も納得しないでしょう。
 八百長問題の調査というのは、自分自身を告発することにつながりかねないだけに、協会幹部のどこまで踏み込んで調査するのかという意志の強さが試されていると思います。適当なところでお茶を濁すような形で幕引きをはかるようであれば、大相撲の持つ曖昧さと面白みのなさは依然として残ることになります。したがって、大相撲はこのまま衰退していくか、それとも改革に取り組むことによって再度隆盛を目指すのかの二者択一を迫られているように思われます。
 相撲を相撲道と呼ぶ考え方があり、その象徴として横綱がいます。その地位に相応しい品格と力量を備えていることが求められているというのが、相撲協会の説明です。横綱審議会という機関を設け、外部から委員を招致しているのは、大相撲の頂点に立つ横綱の人選が正当かつ公正であることを強調するためです。朝青龍が事実上追放されたのは、彼の言動が横綱の権威を傷つけるものだったからです。
 八百長に関与する力士がはるかに多く、現在の協会幹部の中にもかつて八百長に関与した者がいる(多くの日本人はそのような疑いを抱いています)とするならば、今まで相撲道と呼んできたものはウソで塗り固められた虚構であることが露呈してしまいます。
 それならそれで構わないので、大切なことは真実を包み隠さず申し述べることであるといえます(とても勇気の要ることですが)。その上で謝るところは謝って、再出発したいという強い決意を述べるのであれば、国民というのは案外素直に受け入れるのではないかと思います。(もちろん責任をとって何人か辞任する人たちは必要でしょうが。)
 そういうけじめをつけずに、いつまでも地位にしがみつくことをしていると、民主党政権のように世間から愛想を尽かされることになるわけです。
 「人の振り見て我が振り直せ」という諺があります。菅総理が毎日あれだけ攻撃されているのですから、その理由を分析して、「自分はそういう羽目に陥らないようにしよう」と考えてもよさそうなものですが、富と権力を握ってしまうとそういう想像力が枯渇するのが人間の性なのかもしれません。(あるいは、そういう想像力がないからこそ富と権力を手にすることができるのだ。田中芳樹さんだったらそれくらいいいそうですね。)
by T_am | 2011-02-13 11:37 | その他