「モンスターペアレンツに対する教師の逆襲」という構図
文科省への問い合わせに対し「保護者が学校を訴える例はあるが、逆のケースは聞いたことがない」という回答があったそうです。教師が保護者を訴えるというのは初めてのケースですから思わず記事を読み漁ってしまいました。
(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110118/stm11011812280051-n1.htm
(YOMIURI ONLINRE)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20110118-OYT8T00632.htm
(asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0117/TKY201101170419.html
(毎日JP)
http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/01/18/20110118dde041040038000c.html
(Sponichi Annex)
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/01/19/kiji/K20110119000078120.html
新聞社によって報道されている事実が微妙に異なっており、いつもの「編集」が行われたことが想像されるのですが、中にはあからさまに「モンスターペアレンツVS. 教師」という構図で記事を書いているところもあります。
そこまで露骨な書き方をしていなくても、どの新聞社の記事を読んでも、訴えられた両親がモンスターペアレントであると想像してしまう書き方がされています。全国の教職員の中には「よくぞやってくれた!」と快哉を叫んでいる人もいるのではないかと思います。
トラブルが起こってそれが民事訴訟に発展するのは、もはや当事者間に信頼関係が存在していないということを意味します。たとえわずかでも相手の言い分に耳を傾けようという気持ちが双方にあれば訴訟沙汰になることはありません。もちろん協議によって問題を解決しようという思いが片方だけにあった場合でも訴訟になることがあります。その場合、訴えるのは相手の言い分に対し聴く耳を持たないという側に限られます。少しでも話し合いをしようという気持ちがある間は訴訟に持ち込むという考えは起こらないものです。
この事件の場合、保護者の方には話し合いによって問題を解決しようという気持ちは最初からなかったように見受けられます。本当にそうだったとすれば、この保護者がモンスターペアレンツであるといわれてもしかたないと思います。(実際はどうだったのかよくわかりませんが。)
今回の事件を「モンスターペアレンツVS. 教師」という構図で面白おかしく扱うのはどんなものかと思います。訴訟の当事者は、原告である教師と被告となった保護者にすぎないのですが、現実に女児はまだその小学校に通っているのであり、訴えた教師はまだその担任を務めているのだそうですから、周囲が騒ぎ立てれば本来無関係であるはずの児童たちを巻き込んでしまうことになります。
今回の訴訟をきっかけに、おそらく同様の訴訟が今後全国で起こされるのだろうと想像されます。訴訟を起こすのが悪いというのではありませんが、どのような判決が下ろうと訴訟というのは問題に終止符を打つだけであって、破壊された信頼関係が回復することはありませんから問題を解決することにはならないのです。(ただし双方が和解に応じた場合はこの限りではありません。)
以前、教師の役割は2種類あって、ひとつは生徒に対して未知の世界への扉を開いてやること、もうひとつは生徒の居場所を確保し、最後の味方になってやることであるということを申し上げました。教師がこの役割を全うするためには、教師自身の自覚と資質が不可欠であることはもちろんですが、保護者が教師に対して白紙委任状を与えるということも欠かせません。
このことは教育の場に利害という尺度を持ち込んではならないということを意味します。利害という言葉がわかりにくければ、自分が支払っている授業料に見合うサービスを受ける当然の権利が自分とそのこどもにはあるという意識といいかえることもできます。そこにあるのは信頼ではなくて、教師に対する監視の目です。そのような状況で教師がその役割を全うできるはずがありません。
興味深いことに、モンスターペアレンツと呼ばれる親たちは、自分とわが子の権利が侵害されていると本気で思っているところがあり、他人にも同じように権利が認められているのだということに気づいていない節が見受けられます。
これは今回の事件とは切り離して一般論として申し上げるのですが、教師も人間ですから自分を守ることは認められています。(保身という意味ではありませんから、念のため。)その手段として裁判に訴えるということもあり得るとは思いますが、それはあくまでも当事者間の問題です。周囲が興味本位で騒ぎ立てることは学校に利害の対立という概念を持ち込むことになりますから、かえって教育の場を損ねることにつながると思います。
ゆえに、今回の訴訟において最善の決着は、双方が和解に応じることであるといえます。