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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

仙石官房長官の「暴力装置」発言について

 11月18日の予算委員会で仙石官房長官による「自衛隊は暴力組織なのだから政治的に中立でなければならない。」という発言があり、質問者の抗議により「実力組織」と訂正し陳謝しました。
 マスコミはこれを仙石官房長官による「失言」とみなし、野党もこの発言を問題としています。

 この発言が飛び出した背景には、自衛隊の式典には政府(この場合は民主党政権)を批判している人物を呼ばないように、という通達が出されたことがあります。これに対して自民党は同日の参院予算委員会でこのことを取り上げ、質問を行いました。(以下読売新聞からの引用)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101118-OYT1T00489.htm


 自民党の世耕弘成氏は、防衛省が政治的な発言をする部外者を関連行事に呼ばないよう求める次官通達を出したことを取り上げ、「民間人の自由な発言を制限する行為だ」として、防衛相を追及した。防衛相は「通達は部外の団体の言論を統制するものではなく、自衛隊の政治的中立性の確保の重要性について、理解と配慮を求めたものであり、撤回する考えは全くない」と答えた。
 これに関連し、官房長官は自衛隊を「暴力装置でもある」と述べた。長官は、自民党の抗議を受けて「実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する」と発言を撤回し、謝罪した。

 
 この記事は、仙石官房長官の発言を正確に伝えていないという問題があるのですが、北川防衛大臣の答弁に続いて、「自衛隊は暴力装置なのだから、政治的に中立でなければならない」と発言したことがわかります。
 ここで問題とされている「暴力装置」という言葉ですが、既に多くの方がネットで指摘されているように、政治学の用語に過ぎません。
 広い意味で「暴力」とは、個人の意思を無視して他人の生命・財産・自由・良心などを侵そうとする力のことをいいます。暴力は人間の欲望や本能に基づくものですから、人間の社会では暴力が発生する可能性を完全に排除することはできません。
 内乱などによって治安が乱れ、国内の至る所で無数の暴力が発生するという状態を人類は何度も経験していますが、その場合、より大きな力が弱い力を制すということが繰り返し行われていき、最終的にもっとも強い力を持った者が新しい国を打ち立てるということが行われきました。
 このことは見方を変えれば、国家が暴力を独占していると理解することができます。その目的は国としての秩序と安全を維持することであり、軍隊や警察はそのための装置として存在すると考えられます。「暴力装置」というのはこのような意味合いを持った言葉です。
 このような独占的な「力」は、その行使のしかたを誤れば国民に多大な被害を与えるのは歴史を見れば明らかですから、その暴走を許してはならないとして文民統制という考え方が登場してきました。

 ですから、そのような強大な力を持った組織は政治的に中立でなければならないという、このたびの仙石官房長官の発言は、一般論として論理的には間違っているわけではないと思います(ただし、違和感は残りますが・・・)。
 仙石長官の失敗は、唐突に「暴力装置」という耳慣れない政治学用語を用い、しかも自衛隊という個別の組織に結びつけたことです。普通の神経の持ち主であれば、政府高官として自国の軍隊のことを暴力組織と呼ぶということはありえません。そんなことをすれば、兵士たちの反感を買うことになるからです。
 こういう発言が起こるというのは、たぶん世界中で日本だけであろうと思います。その理由は、敗戦後65年間この国の防衛をどうするかという議論がまともに行われたことがないというというところに由来します。その根本となるところの議論がない以上、自衛隊に関する議論は何をやってもうわべだけのものに終わってしまいます。
 今回の官房長官の発言は、その不用意さを自民党に突かれ、新聞の紙面を賑わすことになったわけですが、どうやら官房長官による失言ということで議論が停滞し、そこから先へは進まない気配が濃厚となってきました。日本の防衛について国民の間で合意を形成するせっかくの機会なのに、惜しいことをしたと思います。昨年からの普天間基地の移設問題といい、この間の中国漁船の衝突事件といい、考え直す材料は揃っていると思うのですが・・・
by T_am | 2010-11-21 14:51 | その他