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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

まやかしの日本語(3)   民意と世論

 「民意」という言葉を耳にすることがあります。この言葉を使うのは主に政治家であり、自分を正当化するための方便として用いられるようです。したがって、地方自治体では、名古屋市や阿久根市のように、それぞれ「民意」を代表するはずの議会と首長が対立するということも起こります。
 「民意」というものを鵜呑みにしていると、このような事態をどう理解していいのかまるでわからなくなるのですが、選挙とは投票率がどうであれ、得票数の多い候補者から順番に当選する制度であることを考えれば整理がつきます。
 仮に、投票率50%の市長選挙(候補者2人)の場合、有効投票の過半数をとれば当選できるのですから、最低でも有権者のうち25%を超える票を集めれば当選できることになります。候補者がもっと増えればそれだけ少ない得票数でも当選できることになります。これが市会議員になるともっと低くなり、有権者の数パーセントという得票数でも当選できるのです。そうなると、組織票というのが極めて有効になるので、地方議会の議員の中には組織票によって当選した議員も少なくありません。
 「我々は民意によって選出された」というのを聞くと、「ウソでしょう。あんた、組合によって送り込まれたんじゃないの。」と思ってしまいます。

 同じことは衆議院の小選挙区でもあてはまります。小選挙区では最も得票数の多い候補者が当選するのですから、有権者のうち概ね30%の票を集めることができれば当選することは可能です。
 
 このことは見方を変えれば、有権者の大半が支持していない候補者が現実には当選しているということになります。ゆえに、政治家が民意と口にするのはおこがましいといえるのです。

 次に、これもよく聞く世論という言葉ですが、私たちは大勢の人が同じことを思っているという意味にとらえています。辞書をひいてみると、「世間一般の人々に共通した意見」と載っていますから、言葉の理解として間違いはないのですが、問題は、そういつも「世間一般の人々に共通した意見」というものが存在するのかということです。

 時節柄民主党代表選挙に関する世論調査が毎日のように行われ、新聞テレビで報道されています。それをみると管直人の方を支持する人が多いという結果になっています。
 ここで面白いと思うのは、世論調査の結果とは異なり、立ち会い演説会やニコニコ動画などの様子をみてみると、小沢一郎の生の声を聞いた人の中には小沢一郎を支持している人が多いという事実です。
 このことは世論というものを理解する上で格好の事例だと思いますので、ちょっと説明します。
 マスコミが行っている世論調査の結果と、立ち会い演説会やニコニコ動画に集まってきた人たちが誰を支持しているのか調査して結果が正反対になっているというのは、調査に回答している集団の性質が異なるからだと考えるべきでしょう。
 世論調査に回答している人は、マスコミが無作為に選んだ人たちです。一方、立ち会い演説会やニコニコ動画に集まった人たちというのは、候補者の生の声を聞きたいと自発的に集まった人たちです。これは統計学的にみれば、非常に偏った集団ですから、その人たちにアンケート調査をすれば偏った結果(圧倒的な小沢支持)が出るのは当然であるということになります。つまり、自ら足を運ぶほど政治に関心の高い人々は、小沢一郎の生の声を聞くと共感を覚える、その一方で管直人の方は彼らに対するアピール力が弱い、といえるのです。

 それでは、世論調査の方が国民の意識を正確に反映しているかというとそうともいえないと思います。

 「管直人と小沢一郎とでは、民主党の代表としてどちらが相応しいと思いますか?」

 このような二者択一の質問をされれば、ほかに適当な人がいる(あるいはどちらも不適当と思っている)場合でも、どちらかを選ばなければなりません。その結果、本心とは異なる回答を余儀なくされることがあるのですから、このような質問のしかたをしている調査の結果を世論(世間一般の人々に共通する意見)であるとするのは危険であるといえます。
 その割に、その結果を聞いた私たちが違和感を持たないのは、私たちも二者択一をしており、それ以外の選択肢を無意識のうちに排除しているからです。
 試しにこんな質問をしてみるのはどうでしょうか?


 今回の民主党代表選挙によって管直人か小沢一郎のどちらかが日本の首相になるわけですが、これについてどう思いますか? 次のうちからひとつを選んでください。

・管直人の方が総理に相応しいと思う
・小沢一郎の方が総理に相応しいと思う
・別におかしいとは思わない
・民主党関係者だけで行う投票によって日本の首相が決まるのはおかしい
・首相としてもっと相応しい人物が他にいると思う
・どちらが総理になったとしても総選挙を行うべきだ
・どちらが総理になっても日本はよくならない
・興味がない


 たぶん、最も回答数が多いのは「興味がない」ではないかと思います。それ以外の回答を選ぶ人も多いはずですから、管直人や小沢一郎を選ぶ人は全体の中では少数派になってしまうものと思われます。
 二者択一方式の質問をする場合、その回答の中には「熱烈に管直人(あるいは小沢一郎)を支持する」という人もいるでしょうが、「どちらかといえばまあ管直人(あるいは小沢一郎)かな?」という意見も含まれるのです。そこで消極的肯定をした人は、他の選択肢が明示されていればそちらを選択した可能性もあります。つまり、他に選択肢がなかったのでどちらかを選んだと理解すべきなのです。

 実際の世論調査では、先ほどの例えのような質問がされることはありません。こういう回答を集計しても何もわからないからです。
 世論調査で用意される質問と回答は、1本の座標軸にプロットされるようなものばかりです。座標軸の左端に管直人があれば右端には小沢一郎があって、その間にまだ決めていいない(わからない)という回答がプロットされます。しかし、先ほどの例えでは、「管直人と小沢一郎のどちらを選ぶか」という座標軸と「首相には誰が適当だと思うか」という座標軸と「政権党のトップが自動的に首相になることの是非」という座標軸と「管直人と小沢一郎という政治家に対する評価」という座標軸と、それらのいずれにも属さない(興味がない)という座標軸が存在しています。こういう複数の座標軸に分散した回答の数を比較するのは無意味です。
 
 しかし、人間の意識というのはそれぞれ異なるわけですから、それらを丹念に拾って集計すれば、とても1本の座標軸に収まらないということは容易に想像することができます。それでは調査にならないので、特定の情報(条件)を与えて回答を絞るということが行われるのです。
 私たちが世論だと思っているのはこういうものにすぎません。だから何か事件が起こってそのニュースが報道されると、私たちの意識は特定の方向に偏ることになります。 
 尖閣諸島付近の日本の領海内で操業していた中国の漁船が、日本の巡視艇の警告を振り切って巡視艇にぶつかりながらも逃走を企て、2隻目の巡視艇にぶつかった挙げ句ようやく取り押さえられ、船長は逮捕されたというニュースを聞いて、多くの人は「中国はけしからん」と思ったはずです。その後中国政府が日本に対して厳重抗議を繰り返しているというニュースを聞いて「これはちょっとやばいかもしれない」と心配になった人もいることでしょう。今後予想されるのは、中国政府の姿勢を批判する識者の意見がマスコミを通じて発表され、「やっぱり中国はけしからん」と思い直す人が増えるだろうということです。
 それはしかたのないことですが、報道される情報を意図的に絞り込み世論を誘導することもできる、ということも知っておいた方がいいと思います。人々の意識が誘導され一定の方向に集約されて世論となった場合、国民は不幸に向かってまっしぐら、という事例は歴史をみればいくらでもあります。その場合、自分たちに対する批判に対し耳を貸さない、という兆候が現れるのですぐわかります。それはやがて、自分たちに対する批判を許さないというふうにエスカレートしていきます。
 幸いなことに、日本の場合、まだ危険水準に達しているわけではありませんが、批判に対して耳を貸さない、無視するという兆候が少しずつ現れているように思います。どういう分野かというと、地球温暖化、エコ、リサイクル、経済成長、景気回復、財政再建、消費税増税、コンプライアンス、個人情報保護などがあげられます。
 こういうリストを見せられて意外に思われるかもしれませんが、私はこれらが無意味なことであると申し上げているのではありません。それよりも、これらの問題は硬直した発想で取り組むと弊害の方が大きくなりますよ、と申し上げているのです。

 マスメディアというのは、情報を取捨選択しなければならない宿命を負っているので、世論を誘導しかねないという危険性を持っています。そのことに気づくと、自分の考えが他の大勢の人たちと異なるというときこそ発言しなければならないということがわかるのです。
by T_am | 2010-09-11 23:12 | その他