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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

「民意」というものついて

 この前オーストラリア在住の知人(この人はとてもしっかりした考え方をする人で、このブログに時々登場するセイヤさん同様、この人の話を聞いていて目からウロコが落ちるという経験を何度もしています)から21日行われた選挙について教えてもらいました。労働党政権の失政が相次ぎ支持率が急降下したために、このままでは11月の選挙に勝てないとラッド首相が辞任させられ、副首相だったギラードが首相になったところで前倒しで選挙が行われたのだそうです。選挙に勝てそうかそうでないかで担ぐ御輿を変えるというえげつなさはどこも同じようです。
その選挙の結果ですが、過半数ととるために76議席必要なところ労働党72議席、保守連合73議席 、緑の党1議席、無所属4議席(合計150議席)となったそうです。
今回は、そのことについて、最近の日本の情勢も踏まえて感想を述べてみたいと思います。

太平洋の向こう側にあるオーストラリアでも過半数をとった政党がいなかったというのは、とても興味深い出来事です。
日本の場合は衆議院では民主党が単独過半数を獲得しています(その代わり、参議院で否決された法案を衆議院で再可決するのに必要な3分の2以上の議席までは確保していません)が、参議院では単独過半数ではなかったために、国民新党と社民党と連立していました。
ところがこの前の参議院選挙でで民主党が負けてしまったために、民主党と国民新党だけ(社民党は連立を離脱したので)では過半数を制することができない状態となっています。

私は、これも「民意」のあらわれではないかと考えています。

これは最近考えていることなのですが、個人の意思や行動はまちまちでも全体になると一定の方向性のようなものがあらわれることがあるように思います。選挙の場合は特にそれがあらわれやすいと思うのです。

このことについて、個人を水の分子に例えて考えてみましょう。水の分子はそれぞれ固有の運動をしており少しもじっとしていないことが知られています。水の分子が大勢集まって流れ出すくらいの量になると、それはしだいに低いところに流れていっていずれ川に合流します。川というのは、上流から下流に流れていますが、場所によっては流れが澱んでいたり、あるいは渦を巻いていたりしますし、急な流れのところもあればゆっくり流れているところもあります。それでも川は下流に向かって流れていきます。それでも分子レベルで捉えると、ここの分子は不規則な動きを繰り返しているのです。
このような現象が起こるにはいくつかの条件があると思いますが、今のところこうでないかというのは次の2つです。

1.個体が集まって一定の規模以上になること。この規模が大きければ大きいほど方向性は鮮明になっていきます。
2.個体も全体も何らかの法則の影響を受けていること(水や川の場合は重力の影響を受けています)。


 このように考えると、選挙というのはまさに個人の意思を集合させるためのメカニズムであるといえます。したがって、投票に参加する人が多ければそれだけ「全体としての方向性」ははっきりしていきます。日本におけるこの前の参議院選挙の投票率は決して低いものではありませんでした。

 そして、このようにしてあらわれた「全体としての方向性」のことを「民意」と呼んでも差し支えないのではないかと思うのです。念のため世論調査との違いを申し上げておくと、世論調査は民意の一部に過ぎないということです。

 そうすると、この「民意」をどのように理解するか、ということが次の課題となっていきます。民意に沿った政治行動を続けていれば、その政党は勢力を伸ばすことができるはずですし、逆に民意を理解せず乖離した行動をとる政党は勢力を失っていくことは容易に想像がつくことです。

 それでは、この選挙で明らかになった「民意」とは何かというと、(たぶんオーストラリアでも)「安易に政策を決定させはしない」ということに尽きるのではないかと思っています。
 日本の場合、小泉内閣時代の郵政解散選挙で圧倒的多数を獲得した自民党は、次の安倍内閣のときにエネルギッシュに様々な改革に取組み、いくつかの法案を成立させました。そのことに不安を覚えた国民は前々回の参議院選挙で自民党の勢力を削ぎ、参議院では過半数に達しないという状況をつくりだしました。この現象は「ねじれ国会」と呼ばれており、民主党に政権が交代した後の最初の選挙である参議院選挙においても同様のことが起こり、衆議院と参議院で勢力が逆転する状態が起きたことは既にご存知の通りです。
 思うに、これまでの国会運営というのは、そうたいした議論も行われずに強行採決によって法案が成立するということが続いてきました。政府与党はとにかく法案を成立させようとしていましたし、野党はとにかく反対という立場を崩していませんでした。そこには議論によって合意(手垢のついた言葉でいうと「妥協案」)を形成しようという動きはありませんでした。おかしなことに、与野党の対立がそれだけ激しいものであるにもかかわらず、国民はその法案がどんなものであるかよく知らないというのが通常でした。それだけ重要な法案であるにもかかわらず、政府もマスコミも国民に周知させようという努力を怠ってきましたし、また国民も知ろうとはしなかったのです。
 そのような状態が続くなかで重要な法案が次々と成立し、それによって国民の生活も大きく変わってきました。税や社会保険料の負担は増える一方でありながら景気はいっこうに回復しない(実は、リーマン・ショックまではゆるやかな経済成長が続いていたのですが、生活実感としては景気が悪いと感じられていました)。このまま任せていたのでは何をされるかわかったものじゃないという意識が芽生えてきたように思います。
 自民党が支持を失ったのはこのためであると考えることができますし、政権交代後の民主党が支持率を低下させたのは、普天間基地の移設と「政治とカネの問題」もありますが、やってることは自民党時代と大差ないということに気づいたからだと思います。

 そのために「民意」が選んだのは「特定の政党に対し決定力を与えない。すなわち過半数を超える議席を与えない。」というものでした。民主党を増長させないようにし、かといって自民党に力を与えるわけにはいかないということで棚からぼた餅式に議席を獲得したのがみんなの党だったと考えるとわかりやすいのです。
 そう考えると日本でもオーストラリアでも「絶妙な」議席配分になったといえると思いますが、いかがですか?

 「民意」に沿った政治というのは、重要な法案についてはあらかじめ国民に周知したうえで国会にかけることが重要になってくると思います。そんなことはとっくにやってるよ、と官僚や政治家のみなさんはおっしゃるでしょうが、それは大きな誤りです。今までは、最初から結論ありきでプロパガンダが行われてきました。「このままでは年金が破綻してしまいますよ。だから保険料を上げないといけないんですよ。」とか「国の借金が900兆円を超えてしまい、このままでは財政が破綻しギリシャみたいになりかねません。だから消費税を上げる必要がありますし、景気を刺激するためには法人税を下げる必要があるのです。」ということが繰り返し報道されてきました。ひどいものになると、結論の正当性を強調するために都合の悪い事実を隠すということも行われてきました。
マスコミがそれを報道するのは当然ですが、その際に、政府の発表は解決策のひとつの案でありそれ以外にもこのような選択肢があるのではないか、という姿勢がまるっきり欠落しています。政府の提灯持ちのような報道(最近では増税問題がそうです)が行われるか、あるいは政府案を全否定するような報道(普天間飛行場の移設をめぐる報道がそうでした)が繰り返されています。そこにあるのは政府案に対する賛成か反対かという結論であって、議論が起こりようがないのです。

この前の選挙で明らかになった「民意」はこのような政治手法に対する拒絶であると考えたらどうでしょうか。
9月には民主党の代表選挙が行われます。民主党といっても決して一枚岩ではありません。むしろ政治理念が微妙に異なるいくつかのグループ(自民党に対しては派閥というのに、民主党に対してはなぜかグループと呼んでいます。)の集合体が民主党ですから、政権獲得後始めて行われる今回の代表選挙では主導権争いが熾烈になってきています。菅総理の立候補は当然として、小沢一郎の出馬声明は党内の主導権争いが深刻なものであることを示しています。折しも国会が閉会中ですので、もはや恥も外聞もかなぐり捨てて票固めに精を出しているという感があります。
それにしても、小沢一郎が連合に支持を求めたり旧社会党系の議員に支持を呼びかけているというのも違和感がぬぐえません。政治力学からいえば不思議はないのでしょうが、政治理念はどうなのだという疑問は残ります。小沢一郎は民団に対しても外国人参政権を実現させると発言しています。小沢一郎の政治姿勢というのは、常に権力を手繰り寄せておくことを志向し、その権力を用いて自分の反対勢力に圧力をかける(自分に従わない議員には政党助成金を配分しないなど)ことによって権力を維持するというものです。まさに自民党の派閥のボスと同じやり方をしているわけです。
一方、総理を辞任するときに「次の選挙には出ない。(政界を)引退する。」と述べた鳩山前総理がしきりに動き回っているのも目につきます。いったんは菅総理を支持したかと思えば、小沢一郎を支持すると明言したのには驚きました。しかもその理由として「私は小沢氏に総理にまで導いていただいた。ご恩返しをすべきだ」と述べたのには正直いって呆れてしまいました。マンガや映画の登場人物がこういう台詞を喋れば喝采を浴びるのでしょうが、現実の政治家がこういう浪花節を口にするとは思いませんでした。もちろん修辞法としてこういう言い方をする場合はあるのですが、鳩山前総理の場合本心からいっている節があり、結局この人は理想という感情に基づいて行動する人なのだということがわかります。(人間としてそれが悪いといっているのではありません。むしろ、波長さえ合えばいい友達になれるタイプの人だと思います。ただし、そのことと政治家の適性というのは別な問題です。)
この民主党代表選をめぐる一連の動きが国民からはどのように見えているかというと、自民党の派閥争いと同じだと映っています。民主党の次期代表=日本の総理大臣ですから、当然マスコミもこのことを大きく報道するわけですが、それに反比例して国民はしらけていっているように感じます。
民主党のセンセイ方はそのことに気づいていないのか、それともそれどころではないのかはわかりませんが、どちらが新しい代表になっても民主党を見る目はさらに厳しいものになりそうです。誰かがいっていましたが、代表の任期が2年しかないというのは短すぎます。これでは総理がころころと替わることになりかねず長期的な展望に立った政策が実行できないことになるので、政権をとる前に代表の任期を伸ばしておくべきだったと意見があり、全面的に賛成です。

長くなりましたが、まとめると、今の政治手法を続ける限り内閣と与党の支持率の低下は止まらないということです。それを防ぐには、重要法案に関しては国民を巻き込んだ議論を行い、そのうえで国会で決着をつけるという手法を新たに開発する以外にないと思います。マスコミがこれだけ世論調査に熱心なのですから、重要法案に対して国民がどのように思っているかというのはただで調査してくれるわけです。その結果をふまえて修正すべきところは修正して法案を可決するというプロセスを踏むことが「民意」に沿うということになるでしょう。

与党が議会で過半数を確保していないというのは政権の基盤を弱くします。そのために連立するのですが、どうしても政策につぎはぎが発生してしまいますから、長期的には国民の不信を招くことになります。本来与党が弱いというのは、元首の指導力低下を招くので国にとっていいことではないのですが、かつての「高度成長・所得倍増」といった単純で強烈な訴求力を持った政治理念が登場しない限り、この傾向はどの民主主義国家についてもいえることではないかと思います。
国にとって最もよい結果をもたらす政策の決定には丁寧な手続きと時間がかかるのは避けられないことなので、そうなっても支障ないようにしておくために、国の安全保障について整理しておくというのも必要でしょう。
by T_am | 2010-08-29 13:00 | その他