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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

謝罪と和解

 平成22年8月10日管直人総理大臣が談話を発表しました。この談話を読んで思ったことをいくつか書いてみることにします。
 まず、日韓関係というのは既に「和解の段階」に入っているということです。ある事件に対して加害者の側から「謝罪」が表明され、そのことによって「和解」の段階に進みます。現在の日韓関係は政治的にも経済的にも緊密な関係になっているので、二国間の関係は「和解の段階」とあると考えるのが妥当でしょう。
 
 そのことを日本人も韓国人も認識すべきです。

 したがって菅総理が談話の中で「痛切な反省と心からのお詫び」を表明する必然性は(論理的には)ないと考えることができます。韓国が日本に対して「謝罪要求」という外交カードをちらつかせることは日本人の神経を逆なでするだけですから得策ではありません。(これは中国についても同じことがいえます。)
 現に今回の菅総理の談話について、いったい何回謝罪するのだという批判の声がマスコミや与野党からも上がっています。この問題を外交カードにされてはかなわないという重いがあるのでしょうが、こういう声が日本国内にあることが韓国で報道されると、今度は韓国の国民の間で日本に対する反発が起こることは目に見えています。

 ではどうすればいいか?

 韓国で行われている慰霊祭に日本政府の代表が出席して追悼の意を表すること。その代わり、広島・長崎で原爆記念日に行われる慰霊祭にも韓国政府の代表に出席を求めることでしょう。終戦記念日に靖国神社には行くけれども、他国で行われる慰霊祭は無視するというのは外交の対等性・相互性に反するように思います。

 菅総理が談話の中で、「痛切な反省と心からのお詫び」を表明したというのは心情的にはわからないでもありません。というのは、和解は謝罪を契機として始まるからです。管直人総理は年齢的には先の戦争に関与している世代ではありません。したがってあの戦争について責任を感じるいわれはないのですが、韓国と正面から向き合う立場に立ったときに、和解というプロセスに入るためにはどうしても謝罪というステップを避けて通ることはできないというのは、個人の意識の中ではあり得ることだと思います。
 韓国人や中国人の知り合いがいて、その人があの戦争についてわだかまりを持っているとわかったときに、その人と信頼関係を築いていこうとするならば、心理的には謝罪というステップを避けて通ることができないのはおわかりいただけると思います。
 そういう意味では今回の談話は、管直人(およびその側近)の個人としての意識が強く現れたものであると考えることができます。このような意識は歴代の総理にも働いたようであり、櫻井よしこさんによれば、日本政府が歴史に対して謝罪したのは田中角栄の日中国交正常化以来36回にも及ぶのだそうです。(【櫻井よしこ 菅首相に申す】より)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100811/plc1008112356015-n1.htm
 
 歴代総理の中には、とにかく謝罪して頭を低くしていればいずれ風向きも変わるから、と思っていた人もいるかもしれませんし、あるいは単純にお人好しであったという場合もあるかもしれません。いずれにせと、「そんなことは自分の知ったことではない」という面の皮の厚い総理大臣を持たなかったことは両国にとって幸いであったと思います。

 地理的にみて、日本と韓国は緊密な友好関係を築いていく以外にありません。そのために何をすべきかと考えるのが両国にとって必要なことでなのですから、メディアや政治家はそのことをもっと国民に対して訴えていくべきでしょう。

追記
 日韓併合というのは日本による朝鮮半島への「干渉」(これは朝鮮民族にとっては「侵略」となります)の結果であると私は思います。幕末の日本人は、清という大国が欧米列強に浸食されるのをみて、このままでは日本も同じことになるという恐怖を覚えて明治維新を行いました。その後、明治政府は李氏朝鮮政府に対して、帰国も維新をされよという助言を行いましたが、野蛮人の国が何をいうかと拒絶されてしまいました。李氏朝鮮という国は清の属国でありながら、清の高等な文化に最も近い国は自分たちであるという強烈な自負を持っていました。日本というのは朝鮮にとっては単なる野蛮人の国に過ぎなかったのです。それがいつの間にか異人の習俗に染まり、生意気にも、自分たち(日本)と同じようなことをせよといってきたわけです。朝鮮政府がこれを拒絶するのは当然だといえます(江戸幕府もそうでした)。当時の明治政府の中に、朝鮮に維新を行わせることで欧米列強による日本侵略の防波堤にしようという思惑があったかどうかはわかりません。しかし、日露戦争が起こった理由のひとつに、大陸を南下してきているロシアがいずれ朝鮮半島に達し、その後は日本に押し寄せて来るであろうという恐怖があったことは事実です。
 したがって日露戦争というのは、自分が侵略されないようにするために他国の領土内で戦争をしたということができるので、清と朝鮮の人々にとってはいい迷惑であったと思います。
 歴史に、if という仮定を持ち込むのは無意味ですが、日本が朝鮮半島に対する「干渉」(見方を変えれば「侵略」)を行わなければどうなっていたかを考えてみると、おそらく朝鮮半島はロシアに併合されていたはずですから、現在の朝鮮半島は(分断されずに)ロシアの一部になっていたものと思われます。もしかすると北方領土が奪われたように、九州もソ連によって奪われていたかもしれません。
 だからといって日本の「干渉」が正当なものであった、ということには結びつかないのですが、あの時代、国内の統治能力を持たない国はどこかの国の植民地になっていたということを理解する助けにはなると思います。
 日本は朝鮮半島を併合しましたが、南北の分断には荷担していません。朝鮮を分断国家にしたのは誰なのか、そのことに対して朝鮮民族が謝罪を要求しているのかという議論はほとんどないようにみえます。また、今更そういう議論をしても意味がないことはどなたもおわかりいただけると思います。
 それよりも、これからどうするか。それを考える方が賢いと思いませんか?
by T_am | 2010-08-12 23:10 | その他

by T_am