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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

議会の役割(1)

 国会に提出され、成立する法案のほとんどは内閣から提出されています。法を執行する人を公務員というのですが、現状では、執行者が法律をつくっていることになります。
 公務員になる人は清廉潔白でしかも才能に恵まれているという性善説の立場に立てば、公務員が法案を作成した方が、現場を知悉しているだけに、効率的かつ効果的であるといえます。しかし、公務員を長く続けているとしだいに権力を濫用するようになり私利私欲を図るようになる、という性悪説の立場に立てば、官僚は自分に都合のいいように法律をつくり、都合の悪いことには頬被りするということが予想されます。
 では現実はどうかというと、残念ながら性悪説を前提にものごとを考えたほうがよいと申し上げないわけにはいきません。
 性悪説と申しましたが、公務員だけが権力を濫用したり私利私欲を図るというのではなく、人間は誰もがそのような性質を持っていると考えるべきです。私や(たぶん)あなたも例外ではないのです。

 民主主義は機会の平等を保証する制度ですから、誰でも公務員を目指すことができます。ということは、誰が公務員になっても何らかの弊害が生じるということを覚悟した方がよいということです。その上で、弊害を最小化するにはどのような制度を設計すればよいのか、そのような考え方をすべきだと思います。

 なぜ官僚が法案を作成しているのかというと、議員よりも官僚の方がその能力に長けているという単純な理由によります。官僚は入省以来その仕事一筋に取り組んできたスペシャリストであるのに対し、議員の方はそうではありません。さらに、議員と官僚とではそれぞれが属している組織(力と規模)にも雲泥の差があるので、情報量においても官僚の方が圧倒することになります。野党時代論客として名を馳せた議員先生が、鳩山内閣の閣僚として大臣になった後、なんだかぱっとしないというのはこのあたりに理由があります。
秀才ほど理路整然と説かれると案外簡単に納得してしまうものであり、それには情報量とノウハウがものをいうのです。

 都合のいい法律のつくりかたをいくつかあげると、「詳細は政令(あるいは省令)で定める」という書き方があります。法律では大まかなところだけ決めておいて、細部については後日政令や省令で公布するというものですが、これは自分たちでルールを決めておいて、いつでも好きなときに好きなように変えることができるという重大なメリットがあります。法律の決定は国会での議決が必要ですが、政令は閣議の承認があれば可能です。これが省令となると所轄大臣が決定すればよいのですから、やりようによってはやりたい放題となります。
 次に、責任回避型の例として、「努めなければならない」という書き方があります。「健康増進法」の第3条には、「国及び地方公共団体は、(中略)、健康増進事業実施者その他の関係者に対し、必要な技術的援助を与えることに努めなければならない。」とあります。
 これは努力義務規定ですから、結果を出せなくても咎められることはありません。「現在鋭意努力中でございます。」と答えておけばいいのです。(余談になりますが、第2条には、「国民は、(中略)自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。 」とあります。いったい健康って増進するものなのでしょうかね。ちょっとだけ健康。かなり健康。120%健康。そういうことがあり得ると思っているのでしょうか。わけのわからないことを義務化するこの法律は世にも珍しい法律であると思います。)
 結果を出さなくても構わないというのは、やってもやらなくてもどうでもいいということです。そのようなことを法律にするのはなぜかというと、予算をつけたいからだと考えられます。予算を確保すれば自分たちの権限はそれだけ大きくなりますし、なによりも天下り先を確保することが可能になります。その代わり、成果が出ていないと責められては困るので、「努めなければならない」という書き方をするのです。それに、こう書いた方が何だかやる気があるように思ってもらえるというメリットもあります。
 だから、こういう努力義務規定が書かれている法律というのは、実はあってもなくてもどうでもいい法律であると考えて差し支えないと思います。そういう法律の数だけ予算付けが行われており、その結果として「財源不足を解消するには増税もやむを得ない」という主張に結びついていくのです。
 しかし、どうでもいい法律が次々とつくられていき、予算付けがなされるのですから、必要とされる財源は無限に増え続けていかなければなりません。そんなことは不可能であることはちょっと考えれば誰にでもわかることです。

 本来、こういう欠陥ののある法律は国会がチェックして、どんなに立派なことが書かれていても、無条件で廃案にするということをしなければならないのです。
 理屈からいえば、議員の数と国会としてのチェック能力は正比例するはずですが、現実はそうではありません。議員は法案を成立させるため(もしくは政府のやることに反対するため)にのみ存在しているのが現実であり、強行採決はそれが事実であることを証明しています。議論を重ねても妥協点が見いだせなければ、時間切れで廃案になるか、強行採決して可決する以外ないからです。
 
 行政府は法を執行する機関ですから、どうしても強力な権力を手中にするようになります。それが公益のために適正に行使されればいいのですが、私利私欲のために行使されると国民が蒙る被害は悲惨なものになります。そのような事例はお隣の国にいくらでもあるのですが、日本もそのようになったのではたまったものではありません。
by T_am | 2010-07-08 06:30 | その他