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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

この国の進路(10) 国の役割

 工学実験探査機「はやぶさ」が無事帰還したことで国民の関心が高まったせいか、事業仕分けで減額された「はやぶさ2」の予算を復活させようという動きがあることが報道されました。
 高度な技術を伴うプロジェクトに対し予算がつくことは喜ばしいことですが、政治が国民に迎合するのをみると、定見のなさが暴露されたようで、いささか鼻白む思いをしています。国民の人気取りのためには臆面もなく振舞う(国民栄誉賞もその道具につかわれているように思います)くせに、薬害訴訟では突っ張るのですから、政府というのは一体何を考えているのかよくわからないところがあります。「どーせ人ごとだから」、そんな意識があるのかもしれませんね。

 よくいわれることですが、天然資源もなく、狭い国土に1億2千万人の国民がひしめいている日本にとって最大の財産は人間と人間が生み出す技術です。したがって教育と技術開発に対する支援が政策の重要課題としなければならないのは明白です。しかし、現実はどうかというと、政治家は経済成長率には関心があっても、技術の支援についてはさほど興味がないようです。事業仕分けの様子をみても、仕分け人といわれる人たちはビジネス理論に基づいた考え方には長けているようですが、ビジネスセンスには欠けているようです。といっても、別にバカにしているわけではありません。ビジネスセンスというのは特別な才能なので、それを持っている人は限られているからです。100mを12秒で走ることができないからといって、人間的に劣っているとはいえないのと同じことですから。

 ところで、新たに開発された技術をビジネスに結びつけるというのは、また別な才能が必要になります。新しい技術がビジネスになるかどうかの判断にはビジネスセンスが必要ですが、それを実現させるのは別な人材だということです。
 したがって、政府は技術の支援に資金を提供しても、ビジネスには手を出さない方がいいのです。どういうことかというと、そういう才能を持った人はそもそも役人になろうとは思わないからです。その証拠に、グリーンピアなどのように政府・官僚がビジネスに手を出したものは悉く失敗したではありませんか。これは、いわゆる「事業」も同様です。
 国が取り組むべき事業は次の3つの条件を満たしているものに限られると思います。

1)それが社会から必要とされている
2)その事業から利益をあげることができない
3)国民の大多数が利用することができる

 こういう視点で眺めると、東京にしか施設がないとか、全国でも8つしか施設がないなどという事業はやる意味がないということがわかります。具体的な名前をあげて恐縮ですが、京都府にあった「私の仕事館」(2010年3月閉鎖)がその典型的な例ですね。Wikipediaによれば、「若者を対象に職業体験の機会、職業情報、職業相談等を提供する施設である」とのことですが、関西以外の地域に住む若者はどうやって利用したらいいのでしょうか?
 こういう博物館的な施設をつくっても、しょせんはその地域に住む人しか利用できないのですから、意味がないのです。つくるのであれば、全国にある職業訓練校の講師や職業相談を行っているカウンセラーに対し、情報や技術を提供するための拠点として設けるべきでしょう。個人では集めきれない新しい情報や技術を収集蓄積し、研修などを通じてこれらの人々に伝えていくという仕組みを備えた組織であれば必要だと思います。サービスを提供する実務は国民が対象なのですから、その施設は全国になければなりません。だから地方自治体がそれをやるわけであり、国がそれをサポートする体制を整えるのならともかく、地方自治体と同じことをやる意味はないのです(同じことをやればそれを維持する費用の分だけ財政を圧迫することになります)。
 閉鎖されてしまいましたが、私の仕事館で働いていた人は真面目に一生懸命勤めていたことと思います。そういう人たちに間違った努力をさせるというのはいかがなものでしょうか?

 先にあげた3つの条件を満たすものは何かというと、図書館、ハローワーク、郵便局、病院、鉄道、バスなどの公共交通機関があります。サービスを提供する実務の部分は地方(民間を含む)で行い、国はそのサポートに徹するというふうに割り切って考えた方が、コストパフォーマンスは高まっていくはずです。
 たとえば行政の窓口は、所轄官庁ごとの縦割りになっています。住民票は市町村役場の窓口ですが、雇用保険の受給申請をハローワークに行かなければなりません。また、パスポートの申請は都道府県が窓口になります。細かいことをいえば、同じ市役所内でも住民票は市民課、課税証明は税務課というふうに窓口が分かれます。コンピュータがこれだけ発達して、役所の中でもLANが設置されているのは当たり前という状況になっているのですから、これらの窓口をすべて一本化した方が、住民にとっても便利ですし、行政の側も維持費を抑えることができるのではないかと思います。

 話がだいぶ横道に逸れてしまいました。技術支援の話に戻します。
 昨年行われた事業仕分けの祭に、スーパーコンピュータの開発費に対して、「世界で1番目にならなくてもいいのではないか」という仕分け人の発言が物議を醸していました。発言者はその後反省されたようですが、議論のきっかけにはなったと思います。
 思うに、技術開発を支援するための予算組が密室の中で行われているところに問題があるのだといえます。事業仕分けはそこにメスを入れたわけですが、そういつもいつも事業仕分けをやるわけにもいかないでしょう。そうなれば、予算のつけ方の仕組みを変えてしまわなければなりません。
 これは一つの提案ですが、研究機関から研究費を申請する形にして、それを認めるかどうかを審議することにしたらいいと思います。その際に、しがらみを排除するために、裁判員のように民間人を委員に抜擢し、研究者は審議委員に向かって「素人にもわかるように」自分の研究の意義を説明するわけです。ただし、なんといっても素人ですから、舌先三寸で丸め込まれる心配もあるので、企業の経営者にも加わってもらって、その研究がビジネスに結びつくかどうかを(直感的に)判断してもらう方が安心できると思います。
 誤解のないように書いておきますが、「はやぶさ」が小惑星の砂を持ち帰ったからといってそれがビジネスに直接結びつくわけではありません。(博物館に展示すれば、物珍しさで見に来る人から入場料を取り立てることは可能ですが、それでは費用対効果が小さすぎます。)むしろ、ビジネスに結びつくのは、「はやぶさ」を無事に帰還させた技術の方なのです。世界で追随を許さないような高い技術が民間に活かされれば、それだけ生産性と国際競争力が高まることになります。
 そういう研究を見いだして支援する仕組みが必要だということを申し上げているのです。現状のように、密室で予算付けが決まる状況では御用学者が増えるばかりであり、社会のためにはなりません。
 ギリシャ危機以来、財政再建が喫緊の課題とされるようになりました。その議論をみていると、財政再建が目的であるかのように思っている人も多いようです。目的であると位置づけてしまえば、単純に予算を削って増税すれば財政再建は達成できます。
 しかし、財政再建は結果であると考えることもできるのです。つまり、この国をどの方向に導いていくのかという青写真が最初にあって、それに基づいて仕組みをつくりかえていくというプロセスを経るうちに、財政構造の再建が達成されるのです。たとえば、国と地方の役割を明確に区分し、どちらが何をするか、それに対して他方がどのようなサポートをするか、というアプローチのしかたもあるでしょう。
 私には、日本中が、いつまでも経済成長を続けていかなければならない、そのような幻想にとらわれているように思えてなりません。それが通用したのは高度成長時代のことであり、人類史の中ではかなり特殊な状況であったと理解すべきです。現在は、ご存知のように、少子化が進み人口が減少する局面にありますから、従来とおなじ発想をしていたのでは、いくら努力をしても報われないということが起こるのです。
 今回消費税率を10%にしようという提案がなされています。それに対してやむを得ないと感じている人も多いようです。けれどもはっきり申し上げておきますが、消費税率を10%にしても「財政再建」は達成されません。いつの間にかうやむやになって、あと何年かすればまた、消費税を上げなければ財政がどうにもならない、といわれるようになるのは目に見えています。
 なぜかというと、私たちの発想法が、経済成長を持続しなければならないというところにとらわれているからです。

 いいかげん、その思い込みから脱却しないといつまでも同じことを繰り返すことになります。そのための手段として、国の役割について考えてみるのはとても有効であると思います。
by T_am | 2010-06-19 11:34 | その他