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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

東京都青少年健全育成条例改正案の否決について

 「子どもを性的な対象として描いた悪質な漫画の販売を規制する都青少年健全育成条例改正案」(東京新聞のWebサイト 2010年6月17日)が東京都議会の本会議で反対多数により否決されたとのことです。マスコミの取材に対し、石原都知事は「数が通れば道理が引っ込むという典型的な例だ。改正案の目的は間違っていないから、何回も繰り返してやる」と述べたそうです。
 この条例については、以前、規制のガイドラインが公表され、一例としてドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンはOKという紹介がされていました。覚えておいでですか?
 私は、行政がこういうガイドラインを作成すること自体がナンセンスだと思います。
 人間の活動を制限したり禁止して、違反者は処罰するという規定を設けるときは、してはいけないことが何なのかが誰にでもわかるようになっていなければなりません。殺人、窃盗、傷害、詐欺などの犯罪はいずれも明白であり、ガイドラインと照らし合わせなければ犯罪かどうか判断できないというものはありません。したがって、ガイドラインを設けなければならないようなものは、規定としては欠陥品であるいっても構わないと思います。
 そもそも、その漫画が悪質であるかどうかというのは、人によって判断が異なります。こういうものを取り締まろうというのがどだい無理な相談なのです。

-でも、東京都が示したように、ガイドラインを公表して周知すれば判断基準が統一できるのではないか?

 このように思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ガイドラインというのはいつでも恣意的に変更可能ですから、そのようなものを基準にして取り締まるというのは間違っています。
 人間が社会の中で生活していくときに、秩序を維持するためには個人に無制限の自由を与えるというのはできない相談です。お互いに何をやってもいいというのであれば、人間は野獣と同じになりますから、個人の自由を制限することが行われます。そのときの基準となるのが常識と法律です。
 法律は常識でカバーしきれない部分を補うものですから、基本的に常識と法律は矛盾することはありません。常識的にはOKだけれども、法律的にはNGだということはないのであって、この点、法律は常識と同じ平面上にあると考えることができます。
 それでは常識とは何かというと、それについて誰もが理屈抜きで納得する、そういうものをいいます。決して誰かが決めたものではありません。
 けれどもガイドラインは誰かが決めたものであり、しかも、自分以外の誰かの手によっていつでも変更することができるというものです。
 ご自分が裁かれる立場になったとき、そういう曖昧なものを基準にして裁かれることに平気でいられますか? また、あなたが他人を裁く立場になったときに、そういう曖昧なものを基準にして他人を裁くことに対して、良心の痛みを感じませんか?

 この条例に賛成していた人の意見はどうかというと、東京新聞によれば、次の通りです。


「子ども不在の政治の駆け引きで否決され、非常に残念。子どもが性的対象になる被害や風潮のまん延は危機的状況なのに」

「反対する人は自分たちへの権利侵害ばかりを主張して、子どもの環境を悪化させていることは認めようとしない。本当に権利を侵害されているのは子どもだ」

 一見もっともな言い分のようですが、実をいうと、「子どもを性的な対象として描いた悪質な漫画」と、子どもを対象にした性犯罪とのあいだで因果関係が立証されているわけではありません。因果関係というのは、その名の通り、原因と結果の関係をいいます。
 たとえば、子どもを対象にした性犯罪を犯した犯人が、それまでは善良な市民であったにもかかわらず、そのような漫画を読んだせいで理性がぷっつんして犯行に及んだ。こういうときに因果関係があるといえるのです。そうであれば、性犯罪を抑止するために何らかの規制を設けるのはやむを得ないという判断が成り立つかもしれませんが、実際にはそうではありません。
 成人男性で、アダルトビデオを見たことがないという人はまずいないと思いますが、アダルトビデオを観た人がすべて性犯罪を犯しているかというとそんなことはありません。「子どもを性的な対象として描いた漫画」も同様でしょう。読み手の理性を奪い取り、獣のような行動に走らせる、そんな漫画があるはずはありません。
 
 「子どもを性的な対象として描いた悪質な漫画」と、子どもを対象にした性犯罪とのあいだに何か関係があるとすれば、それは相関関係でしょう。相関関係というのは、2つの独立した出来事があって、片方が増えるにつれてもう片方も増えるという場合「正の相関関係」があるといい、逆にもう片方が減っていくという場合は「負の相関関係」があるといいます。
 相関関係の一例としては、「運転歴が長い人ほど、スピード違反で捕まった回数が多い」というのがあります。運転歴1年未満の人であれば、スピード違反で捕まった回数というのはゼロ回かせいぜい1回でしょう。一方運転歴10年以上という人になると2-3回捕まったという人も多くなります。けれども運転歴の長さはスピード違反で捕まることの原因ではありませんから、この2つの間には因果関係は存在しないことになります。
 つまり、相関関係というのは見かけの関係を指すのです。

 相関関係があるからといって、その片方を取り締まるというのは何の意味もありません。ところが、残念なことに、自分の頭で考えるということをしないために、そのことに気づかない人が多いのも事実です。

 思うに、石原都知事やこの条例改正に賛成している人は、このような漫画が存在することが許せないのでしょうね。ご自分が嫌いだから、この世から抹殺してしまいたいと思っているのだと思います。

 権力を持つ人や社会的影響力の高い人が、自分の気にくわないものを社会から排除しようというのは許されることでしょうか?
 その答えは、「自分の気にくわないもの」というところに、たとえば次の単語を当てはめてみれば、自ずと明らかになります。

・ユダヤ人
・イルカ猟
・捕鯨

 人間ですから、好き嫌いがあるのはやむを得ません。しかし、自分が嫌いなもの、不快に感じるものを許容できない精神というのは、いじめに通じるものがあります。いじめは社会的に非難される行為ですが、この人たちはそれを合法的に行おうとしているわけです。
 そのような人たちに、憲法が保障する表現の自由を説いても無駄でしょう。なぜならば、いじめに熱中する小中学生レベルの精神構造の持ち主だからです。


 
by T_am | 2010-06-18 00:14 | その他