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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

政治の役割

 菅総理が就任会見で、政治の役割は国民や世界が不幸になる要素を少なくしていく、最小不幸の社会をつくることだと述べています。ベンサムが説いた「最大多数の最大幸福」という理念と似通ったところがあるようですが、この二つは全く異なります。というのは、人間には幸福、不幸、どちらでもないという3種類の状態があって、菅総理がいう最小不幸の社会というのは不幸でないこと、すなわち必ずしも幸福でなくても構わないということも含まれるからです。

 私は、この考え方は極めて真っ当であると思います。

 人間は誰でも幸福を追求する権利があるといわれれば、何人もこれを否定することはできません。では幸福になるとはどういうことなのか、それについて、日本人は、自分が自由使えるものを今よりも多く手に入れることで実現できると考えています。日常生活の中で我慢したり、辛抱したり、諦めざるを得ない境遇というのは決して幸福ではないと考えるのです。
 就活を例にとると、いろいろな企業から内定をもらった学生と、やっと1社内定をもらった学生と、まだ内定をもらっていない学生を比較してみましょう。誰が一番幸福かといえば、いろいろな企業から内定をもらってよりどりみどりという学生でしょう。1社から内定をもらった学生に対しては、とりあえずよかったね、ということになります。けれども、この学生はさらに就活を続け、よりレベルの高い企業から内定をもらうことを目指すはすです(例外もあるかもしれませんが)。そして、まだ内定をもらっていない学生に対しては、かわいそうに、と思うのです。

 幸福かどうかを手っ取り早く理解するための尺度がお金です。よりよい生活を求めると、どうしても今まで以上に自由に使えるお金が必要になるということを私たちは経験的に知っています。お金持ちを羨ましいと思うのもそのためです。
 ところが、誰もが今まで以上のお金を手に入れることができる社会というのは、お金の流通量が常に増え続けなければならないという宿命を背負うことになります。戦後、高度成長時代からバブルが崩壊するまで、日本は一貫して経済成長を続けてきましたから、社会全体のお金の流通量は増え続けてきました。それだけ、誰もが自由に使えるお金が増え、日本は豊かになったと実感することができたのです。
 経済が成長する局面が長く続いたために、人間はそれに慣れてしまったといえます。経済が成長するのは当然であるにもかかわらず、成長しないのは何か問題が起きているからであり、その問題を解決して再び経済成長を実現させなければならないという考え方をするのです。

 そのことが間違っているというのではありません。そうでない考え方もあるのではないか、というのが本稿の主題です。

 日本の経済成長の内容をみると、政府が介入して需要を維持しているという側面がかなりあるように思います。
 たとえば自動車の車検です。自動車メーカーの技術が不安定だった頃は定期的に車検を受けるということは有効だったと思いますが、現在のように高い技術水準でつくられた自動車は何も定期的に検査する必要はないのではないかともいわれています。しかし、車検制度を廃止してしまえば自動車整備業界が困ることは目に見えています。車検制度が堅持されているのは、自動車整備業界を保護するとともに自動車税・重量税・自賠責保険料を確実に徴収する仕組みを残しておきたいからなのでしょう。
 このように、ドライに考えれば不要であるということになるものが相変わらず行われているというのは結構多いといえます。先頃行われた事業仕分けは、実は不要なことを相変わらず続けているというところにメスを入れたものであると考えられます。実はなくてもいい事業に税金が投入され、ユーザーもそのコストを負担しているという事業が多いということを、事業仕分けは明らかにしてくれました。
 消費者の視点に立てば、そういう不要なものをやめてしまえばそれだけ税負担が軽くなるのですが、残念なことに、そうやって確保した財源を別な用途に使うということが行われるようですから、結局あまり変わらないということになりそうです。

 現在の日本の社会を一言でいうと、豊かではあるけれども負担も多い、ということになります。お子さんをお持ちの方は、何でこんなに教育費が高いのだと思っておられることでしょう。医療費もそうですね。
 そういう不満を解消するために、乳幼児の医療費を自治体が負担する制度があり、また、民主党政権になってから実施された高校授業料の実質無償化とこども手当もそれにあたります。これらの補助金が不要なものであるかどうかは一概にいえませんが、高コストに耐えてもらうために補助金を支給するという形で税金を投入し、そのことによってこどものいない世帯では新たに税負担が発生します。けれども、高コストをもたらしている体制は手つかずで残るのです。
 豊かではあるけれどもその代償として負担も大きいという社会では、経済成長によって可処分所得が増え続けている限り、負担の大きさはそれほど気になりません。現在の日本の問題点は、負担は増え続けているにもかかわらず可処分所得が伸びていないというところにあります。
 多くの人は、景気が回復して再び経済成長が持続するようになれば問題は解決すると考えています。
 はたしてそうだといえるでしょうか?
リーマン・ショックが起きるまで経済は回復基調にあるといわれてきましたが、可処分所得は伸びませんでした。同じことがこれからも起こらないとは誰にも言えないのではないでしょうか?

 日本人は豊かになることを目指してきましたが、それは同時に高コスト社会の到来をもたらしました。従来と同じ発想を続ける限り、この流れは変わりません。経済が無限に成長を続けるのであれば、私たちが負担するコストが増えても心配する必要はありませんが、経済成長が止まったときに残るのは高コスト社会という現実です。
 今の日本はそのことから目をそらそうとして、新たな補助金をばらまき始めていると理解できます。そしてそのことが社会のコストをさらに押し上げる要因となりかねないのです。

 そろそろ発想を変えて、今と同じ生活が維持できればそれでいいじゃないか、という考え方が必要な局面に入っているように私には思えます。贅沢できなくてもとりわけ不便でなければそれで構わないという割り切ることができれば、世の中の流れは変わると思います。

 菅総理は、政治の役割は不幸になる要素を取り除くことで最小不幸の社会をつくることであると述べています。つまり、不幸でなければそれでいいじゃないかというものです。
 これは、国民に対して、政府は必ずしも幸福な生活を保障するものではないと宣言するのと同じことですから、政治家としては大胆な発言であると思います。その割に非難する声がまるでなかったのは意外な気がしていますが、さらっと聞き流したということなのかもしれません。
 それでも気になるのは、この発言が官僚による予算や財源獲得の口実に使われるのではないかということです。

 「地球温暖化が進むと人類は不幸になるので、その防止のために地球温暖化対策税を設けて、1990年対比でCO2発生量を25%減らすことに取り組みます。」
 「食糧自給率が低いと輸入が停止したときに国民が飢えることになるので、食糧自給率を高める対策を講じなければなりません。そのための予算組みが必要になります。」
 「肥満の人は多くなるとそれだけ生活習慣病のリスクが高くなるのでメタボ検診を実施します。メタボと診断された人はメニューに沿ってメタボ対策に取り組んでください。」
 「新型インフルエンザが発生しました。国内への侵入を水際で食い止めるために最大限努力しますので、国民の皆さんもご協力をお願いします。」

 ちょっとみると、至極もっともなことをいっているようですが、よくみると、国民に負担させるといっていることがわかります。このロジックは、「このままだとあなたは不幸になりますよ。不幸になりたくなかったらお金を出しなさい。」と脅迫する霊感商法と共通するものがあります。どちらも、まず相手を脅かして、それからお金を出すこともいたしかたないというふうに仕向けるのです。

 それが政府のやることでしょうか? しかもこれらの政策が思うような効果を上げることができなかったとしても誰かが責任をとるわけではありません。

 私は、政治の役割とは、国民の恐怖や不安を取除くことであると考えています。つまり国民が気にしないで暮らせる社会をつくりあげることです。そのために、今あるリソースをどのように使うか、それを考えるのが政治家であり、官僚は政治家が決めたこと実行するのが職務です。ついでにいうと、そのプロセスを監視するのがマスコミの役割です。
 でも実際は、政治家と官僚とマスコミが一緒になって国民の不安を煽っており、国民がそれを鵜呑みにしているのが現実です。

 菅総理が言うことは一理あると思いますが、実際にそれが実行されるかどうかは、残念ながら疑問に思います。というのは、早期に参院選挙を実施すべきだという声に押されて国会の延長をしないと決断したからです。これによって郵政改革法案が成立する見通しは消えてなくなりました(郵政改革法案が成立させるだけの価値があるかどうかは別の問題です)。
 確かに、総理大臣の決定権というのは、国会で与党が過半数を握っているという事実があって初めて有効となるものです。そのためにはなんでもするというのは、一つの見識であるかもしれませんが、権力そのものを目的として考えているということを自ら露呈したといわれても仕方ないと思います。

 政治家には2種類あって、権力を持つことを目的とするタイプと、権力は自分の思っていることを実現するための道具であると考えているタイプがあります。どちらのタイプが政治家としての実績を残すかはいうまでもありませんが、菅総理ははたしてどちらのタイプなのでしょうか?

 
by T_am | 2010-06-11 22:43 | その他