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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

霊は本当にあるのか(2)

 霊魂の存在について考えていくと、巷間伝えられている考え方には辻褄が合わないものがあるということを前回申し上げました。
 しかし、人間には他の動物と違って、霊を感じる能力が備わっているという事実は否定できないと思います。
 確かに霊魂というのは現代の機器では観測することができません。だからといって直ちに霊魂など存在しないのだと断定するのは科学的ではないといえます。観測する手法がない以上、否定も肯定もできないというのが正しいのです。
 私の霊に対する立場も、同様に、よくわからないというものです。といってもわからないなりに少し整理しておこうということで本稿を書いているわけです。

 よく、仏壇やお墓に手を合わせて(あるいは写真に向かって)死んだ親兄弟・こどもに語りかけるということを人間は自然に行います。それは、自分の中で思い浮かべたその人のイメージに向かって語りかけているわけですが、そのような芸当ができるのは人間だけです。その証拠に墓をつくるのは人間だけであり、チンパンジーが死んだ家族のために墓をつくったという話は聞いたことがありません。

 死者のイメージを自分の中につくることができる。似たようなことを私たちはしょっちゅうしています。
 私たちが手紙を書くとき、相手のことを思い浮かべながら手紙を書いていますよね。これはケイタイのメールでも同じだと思います。また、ブログで自分の日記を公開するというのも具体的ではないけれども誰か読んでくれる人のことを思う浮かべながら文章を書いているのです。
偉い人が亡くなると葬儀の際に弔辞を読み上げることがあります。これは弔問客が耳を傾けていることを承知の上で、死者に向かって語りかけるというものです。
 手紙であれば返事が返ってくることもあり(片思いのラブレターのように無視されることもありますが)、ブログであれば読者がコメントを書き込むこともあります。弔辞の場合は死者が答えるということはありませんから、その意味ではコミュニケーションとはいえませんが、ここにあげた例はどれも自分以外の誰かに向かって自分の気持ちを述べるということに目的があるといえます。
 その相手が死者である場合、私たちはそれを霊として意識しているのだとはいえないでしょうか? よくいわれるのは、亡くなったあの人は今も私の心の中で生きている、というものです。それはあなたの心の中にあるイメージにすぎないんですよ、といってしまえばそれまでですが、当人にすれば、それは単なるイメージなどではない、自分にとってもっと大切なものなのだという思いがあるのです。
 霊というのは生きている人の中にある、そのように考えることができると思います。私たちは自分の中にある霊に向かって語りかけることで、自分の気持ちを整理することができます。あるいは自分の決意を述べるということもあるでしょう。
 そういう意味で霊はあるといってもよいと思います。そのような形で存在する霊が私たちに対して悪意を持ち祟るということは考えられません。
 もっとも、自分が意識しないまま、その霊に縛られるということはありうると思います。その典型的な例が、生まれてこなかったわが子を供養したいという女性の思いでしょう。あるいは誤って事故などで人を死なせてしまったという人がかられる悔恨の思いもそれに該当するといえます。
 霊を感じる能力の乏しい人であれば、このような思いをいつまでも引きずるということもなくすぐに忘れてしまうでしょうが、そうでない人も世の中にはいます。宗教はそういう人を救うためにあるのだと思います。ただ、宗教の場合どうしても教義に縛られるのであらゆる迷いあらゆる人を救済するということはできません。そのような隙間を埋めるために霊能者(俗に言う「拝み屋」)が活躍するというのはありだと思います。ただし、霊能者も万能ではありませんから、なんでも頼ってしまうというのは身を誤る元となります。また、そこにつけ込もうとする悪い人間も世の中には多いことも事実です。

 自分の中にある霊。友達にするならば、そのような霊的感性を持った人の方がいいと思いますが、そのような感性を持っているが故に苦しむということもあります。それは最終的には自分で解決するしかないのですが、宗教や霊能者はそれを助けてくれることがあり、そのためにあると理解してもよいと思います。
 繰り返すようですが、どのような宗教であろうとあらゆる迷いや苦しみを救済することはできません。だからこそいろいろな宗教が存在するわけですし、霊能者(拝み屋)といわれる人たちもいるのです。
 私たちは、一度信じてしまうとあたかもそれがすべてであるかのように思い込む癖があります。いわゆる「かぶれる」という状態です。そうなっていいことはひとつもありませんから、心の状態は常にニュートラルでいたいものです。
 
by T_am | 2010-04-25 18:30 | その他

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