高速道路はなんのためにあるのか
そのことで割引のために確保していた財源が浮くので、それを高速道路の整備(4車線化する路線と関越自動車道-東名高速道路の接続のための外環道建設)に充てるとのことです。
とはいうものの、高速道路の建設をしたいという小沢幹事長の意向を受けて、このような制度になったというのが実情でしょう。今回導入される高速道路料金の上限制は、普通車であれば70km以内の区間については割引が一切なくなるわけですから、実際には値上げとなります。
周囲の人に聴いてみると、非常に評判が悪く、中には参議院選挙では民主党に投票するのをやめたという人もいます。おそらく次回の世論調査では、民主党の支持率はさらに下がることと思います。
今回の制度における最大の失敗は、実質的に値上げとなる部分をつくったことに尽きると思います。「たられば」の話で恐縮ですが、高速道路料金を終日半額にして、さらに上限を(普通車で)2,000円にするというのであれば、ここまで反発は起こらなかったものと思います。
もともと、現行の割引制度にしても、ETC利用者だけが恩恵を蒙ることができるわけで、いくらETCの利用率を拡大したいという思惑があったにせよ、実に不公平な制度であるといえます。
あたらしい制度では、ETC搭載の有無にかかわらず、すべての車両が対象となるわけですから、その点でははるかに公平になっているといえます。にもかかわらず、実質的に値上げとなる部分が盛り込まれたことで、せっかくの公平性が吹き飛んでしまったようにも思われます。
そのように考えると、今回の新制度は明らかに戦術ミスであるといえます。
「最大多数の最大幸福」という言葉があります。数値化された個人の幸福の総量が社会の幸福であるという前提に立ったものであり、政治を現実的に見つめ、なおかつ為政者に対して「誠実さ」を求めるという点で、重要な考え方であると思います。このことを別ないいかたをすると、「全員がちょっとずつ不満を抱えている状態」ということになります。
そもそも、どのような政策をとろうとも、社会の全員が満足するということはあり得ないのであって、一部の人を満足させれば、それ以外の人は必ず不満を覚えるというジレンマがつきまといます。政治家というのは、このプレッシャーと戦わなければつとまらない職業なのです(だから政治家は厚顔無恥であると思われやすい)。
それならば発想を変えて、「どうせ全員を満足させることができないのであれば、個人が感じる不満を最小化するにはどのような方法があるか」というアプローチの仕方もあると思います。内田樹先生がよくおっしゃる「三方一両損」の世界ですね。
そこでは、不満はあるけれども、全員がそれで納得しているという状況をつくりあげることに成功しています。
決して満足しているわけではないが、まあそれでしかたないか。相手にそう思わせたら、交渉はそれで成功したといえます。交渉ごとというのはそういうものです(だから外交もそうです。たぶん。)し、政治もそうなのだと思います。
ただし、今申し上げていることは手法のことにすぎません。肝心の考え方がふらついていたのでは何にもならないのです。
その点、今回の民主党政権(こういう書き方をするということは、民主党による政権が一時的なものでそう長くは続かないだろうという意識が書き手である私の中にあるということです。そういえば、「自民党政権」という言い方がされるようになったのも末期になってからでした。)が打ち出した高速道路料金制度はどうなのかを考えてみましょう。
もともとは高速道路を無料化するというのが民主党のマニフェストでした。しかし、民主党政権が実現し、高速道路無料化の財源を確保するのが容易ではないということが明らかになるにつれ、別に高速道路を無料化する必要はないんじゃないか、という声が起こってきました。それは高速道路を無料化して享受できる利益よりも、その財源を確保するために自分たちの税負担が増えることになりかねないということを嫌ったからです。
そのことがきちんと理解できれば、税負担を増やさずに、現在の割引制度による利益をより公平な形で再配分するという仕組みをつくった方が、国民の支持を得られることになります。
全員がちょっとずつ不満を抱えているけれども、まあしかたないか、と思ってもらうにはこの「公平さ」が必要不可欠なのです。
自民党政権の頃はその「公平さ」がありませんでした。ほとんどの政策が財界や特定の利益団体、圧力団体を向いたものでしたから、そのことを常に叩かれてきたのです。
そして、民主党であればそういうことはないだろうと国民の大多数が思い込んだ結果が前回の衆議院議員選挙でした。民主党が大勝した要因のひとつに労組(連合)の支持を得ることができた(それは小沢幹事長の功績です)ことがあるのは事実ですが、だからといって、労組よりの政策をとればそれは自民党がしてきたことと同じですから、たちまち世論の支持を失うことにつながります。
以前、政治とは国民の恐怖を取り除いてやることであると申し上げました。現代の日本人が潜在的に抱えている恐怖とは、自分が失業者になること、あるいはワーキングプアになることでしょう。わが子にはそうなってほしくないと思うからこそ、こどもを塾に通わせるわけです。高学歴でなければいい仕事に就くことができないと考えているからです。
政府が、国民の間に渦巻いているそのような不安や恐怖をひとつひとつ取り除いてやることができれば、日本はそれだけ安心して暮らせる国になっていきます。
その際に、国民を満足させようと思っても、それは決して実現されないということに政治家(特に与党)のみなさんは気づくべきです。
このことは経営者であればたいていの人はわかっています。従業員の給料を上げてやれば、俺よりもあいつの方が給料が高いのはけしからんといって、給料を上げてもらったことに感謝するどころか、逆に不満を持たれることだってあります。ボーナスも同様です。俺の評価は低いのは会社に見る目がないからだと、悪口を言われることもあるのです。
それならば発想を変えて、みんなの不満を最小化することの方を考えた方が、不満の総量は確実に減っていきます。
そういう社会の方が住みやすいと思うのですが、そうは思いませんか?
閑話休題。今回のタイトルは「高速道路はなんのためにあるのか」というものでした。それを考えることで、あるべき料金体系について考えようというのは本稿の趣旨です。以下、そのことについて述べていきます。
高速道路などの交通網を整備し発達させようというのは、経済成長を持続し、いっそう拡大させるという戦略に基づいています。そのことをはっきりと主張したのが田中角栄の日本列島改造論でした。現在の日本の姿は、ほぼその構想に沿っているといえます。
交通網を全国的に整備することで、その建設工事を通じて内需を刺激し、同時に地価の上昇がもたらされるので、土地を担保に資金調達をして投資を行うことが可能にあるというものでした。
誤算があったとすれば、地価の上昇はやがて暴騰という状況に陥り、バブル景気をもたらした挙げ句崩壊してしまったということ、また、公共事業を実施するにも地価の上昇によって必要とする財源が拡大する一方に陥ったということでしょう。
今日の日本経済の低迷の原因は、成長戦略をもたらしてきた制度が金属疲労を起こしているというところにあると思います。
長期的に見れば、すでに少子化という局面に突入しているのですから、今後経済は少しずつ縮小していくことになります。そのときに生じる混乱を最小限のものにするというのが政府に求められることですから、今は財政をゆるやかに縮小していくことを考えるときにあるといえます。
そういう観点からは、新規の高速道路の建設は凍結して、現在ある道路網の維持管理のための財源を確保すべきでしょう。それを高速料金から100%捻出しようとすると、地方の不採算路線は破綻してしまいます。むしろ高速道路会社から切り離し、新直轄方式でつくる高速道路のように無料開放した方がいいと思います。その維持管理は高速道路会社に委託するということも考えられます。その財源を確保するためにもガソリン税の暫定税率の廃止はしてはいけないのです(ただし、率を柔軟に変更することは大いに行うべきです)。この点でも民主党のマニフェストは誤りを犯していると思います。
次に、中期的短期的観点で考えてみます。
実は、高速道路に対する期待が高まってきたのは、人件費の上昇により時間もコストとしてカウントされるようになったからです。出張や自動車の運転に対する見なし規定(移動中は労働しているものとみなすが残業時間にはカウントしない)があるからといって、移動にまる1日費やしたのでは、その日の生産性はゼロになってしまいます。移動そのもの生産性はゼロなのですから、極力移動にかかる時間を短縮したいという考え方がでてくるのも当然であるといえます。その一例が夜行列車の利用であり、勤務時間外に移動してしまえばよいというものでした。しかし、高速道路や新幹線、あるいは飛行機の発達により、日中に移動してもそれほど時間がかからないようになったために、夜行列車は利用者が減り、今では運行本数も減ってしまいました。
時間もコストとしてカウントされるようになったことで成果を上げているのが高速道路の通勤時間帯割引(半額)です。これは、並行して走る一般道路の渋滞緩和のための社会実験という触れ込みで導入されたものですが、実態は高速道路の交通量が地方では低迷していたという事情があり、このままでは高速道路はこれ以上建設できないということになりかねなかったために、何とかして交通量を増やすために行われたのだと睨んでいます。一番最初はETCを搭載していない車でも割引してくれましたが、その後ETC搭載車のみの割引になったのは、ETCの普及率を高めたいという思惑が働いたものと思われます。
このように、政治というのは誰かの思惑によって左右されるということがあるので、絶えず監視をしていないといけません。結局割を食うのは無関係な市民なのですから。
交通体系というのは、本来は、時間というコストを社会的に下げるために設けられているものです。(道路をアスファルト舗装しているのはそのためです)。しかし、交通網が整備されてくると、なかには不採算路線というのも登場しますから、それを税金を使って運営していくというのは大きな負担となります。そこで民営化という手法が用いられます。国鉄がそうでしたし、道路公団もそうです。また、日本航空も最初(1951年)は半官半民でスタートしましたが、1987年に日本航空株式会社法は廃止されました。
それはともかく、一般の道路は自動車以外の自転車や歩行者も利用するのに比べ、高速道路は自動車専用道路ですから、受益者負担の原則からいって、自動車を利用する人にその費用負担を求めるというのはやむを得ないことであると思います。ただし、高速道路を利用するかどうかは自動車の運転者が決めることですから、その料金が高いと思えば利用者は減ってしまうことになります。
ところがそれでは高速道路を建設した目的に沿わないことになりますから、何とかしなければなりません。そのためには、高速道路の建設費を大幅に下げて料金を安く設定できるようにするのがまっとうな取り組み方ですが、どの程度実行されているのか、またどの程度成果が上がっているのかはわかりません。
もっとも、すでにできあがっている高速道路はどうしようもありません。高い建設費をかけて高速道路をつくったツケが回って来ているというこなのですが、今更愚痴を言ってもしかたがありません。そこで次善の策として、補助金を出して料金の割引を実施するということが考えられます。
現在実施されている(そして来年3月にはそのほとんどが廃止されることが予定されている)高速道路料金の各種割引制度です。これらは複雑すぎて全部いえる人はあまりいないのではないかと思いますが、そのおかげで高速道路の交通量は増えているといえます。
それらの割引のための財源が自動車を運転する人が支払う税金から捻出されているのであれば、(不満を持つ人もいるでしょうが、)ある程度の公平性は保たれているといえます。
今考えるべきことは、高速道路の交通量を増やすにはどうしたらいいかということであり、料金制度はその観点から見直しされなければ意味がないのです。
民主党政権の政策をみていると、マニフェストに縛られているきらいがあります。もともと緻密な計算に基づいてつくられたマニフェストではないということが、すでに明らかになっているわけです。だから、それを修正あるいは破棄しても国民は文句をいわない(文句をいうとすれば野党くらい)はずですが、民主党のみなさんはどうもマニフェストにこだわっているようです。そのため、つじつま合わせのようなものになってみたり、あるいはこども手当や高校授業料無償化でみられたように、準備不足のまま法案を提出しているようにみえます。
今回の高速料金の上限制という制度は何を目的としているのかがよくわかりません。この制度が対象としているのは、乗用車であれば、高速道路を70km以上走る人だけです。それ以下の距離を走る人が現在受けている恩恵を近い将来廃止しようというのですから、この人たちは政府の計算に入っていないということがわかります。極端なことをいえば、この人たちには高速道路を利用してもらわなくても構わないと考えている、と思われてもしかたないというになります。
このような意思決定のあり方を政治主導というのであれば、それは思いつきによって政策が変わっていくというふうに理解した方がいいようです。