この国の進路(8) ダウンサイジング
少子化による人口の減少は日本という国の総需要を減少させますから、長期的にみると経済規模は縮小していくことになります。それを別な言葉で表すと「経済がマイナス成長を続ける」ということになります。
このような状況に陥ることを防ぐには、2つの方法が考えられます。ひとつは、人口が減っても個人消費がそれ以上に拡大すること。これを続ければ経済は成長を続けることができるのですが、そのためには貯蓄をやめて所得を全部消費に注ぎ込むか、所得を増やし続けるかのどちらかが必要となります。今の社会状況をみると、お先真っ暗という状態ですから、国民が貯金をはたいて消費に注ぎ込むということは考えられませんし、企業が派遣社員を全員正社員にして給与をアップさせるという可能性はゼロであると申し上げざるを得ません。この先企業が負担する社会保険料率は上がり続けるのですから、その分の人件費の上昇を回避するためには非正規雇用社員の割合を増やしていくのがもっとも手っ取り早いやりかたです。(社会保険料率の持続的上昇の決定と製造業派遣の解禁が同じ2004年に行われたというのは、単なる偶然ではないのではないかと疑っています。)
このように、個人消費が増える見込みがないのですから、2番目の案として、出生率を回復させて人口を増加基調に戻そうという考え方が登場しているわけです。2003年に第1次小泉第2次改造内閣で青少年育成及び少子化対策担当特命大臣が任命され、以後歴代の内閣に引き継がれてきており、民主党政権になってもこのポストは続いています。
その甲斐あってか、2006年から日本の出生率は上昇に転じていますが、それでもなお、2008年で1.37という水準ですから、人口の減少傾向に歯止めがかかったとはいえない状態が続いています。
そこで個人消費の増加を促すために、地球温暖化対策ということが取り上げられるようになったと、私は理解しています。地球温暖化というのは環境問題であるかのように思っている方が多いかもしれませんが、実はそうではありません。それは政治問題であり、ビジネス(というよりも金儲け)のチャンスとして捉える方がリアルでクールであるといえます。
というのは、地球温暖化を防ぐために推奨されていることはどれも、お金を使いなさいということに集約されるからです。エコバッグがそうでしょ。また、ゴミ袋の有料化もそうですし、太陽光発電もそうです。エコポイント制度やエコカー減税は、今のうちに買い換えをすればいいことがありますよ、と国民を促す(というよりも唆す)ものです。
カーボン・オフセットというのは、人間が排出するCO2を吸収するために、その分植林をしたり、クリーンエネルギー事業に投資をしましょうというものです。また、排出権取引は、温室効果ガスの排出権という架空のものを取引する制度であって、排出権を買い取る義務から逃れたいのなら、省エネを可能にする設備投資をしなさいというものです。排出権取引市場は誰がどのように運営し、その費用は誰がどのように負担するのか興味がありますが、どうせ最終的には消費者が負担することになるのでしょうから、あざとい仕組みを考えたものだと思います。
本稿の趣旨は、地球温暖化対策の悪口をいうことではありませんが、このようにみてくると、すべて「今まで以上にお金を使いなさい」という文脈に沿ったものであることがわかるのです。
それというのも、善意に解釈すれば、経済成長は善でありマイナス成長は悪である、という素朴な信仰によるものかもしれません。政治家と官僚の皆さんはCO2の削減と経済成長という二兎を追うことは可能であると信じているようです。けれども、1年間にどれだけCO2が排出されたかというのは所詮は推定値にすぎず、誰も正確な数値を測定することなどできないということを忘れています。いわば感覚に頼ってものをいっているわけですから、効果測定のできない対策を一生懸命やろうとしているのです。
それはともかく、出生率低下の原因として考えられる要素はいくつかあります。たとえば、娯楽が多様化し、セックス以外の娯楽が簡単に手に入るようになったこと、特にテレビの普及が大きいと思います。「貧乏人の子だくさん」というのは、貧乏人はセックス以外に娯楽がないため必然的にこどもが増えるということをあらわしています。明治時代に生まれた祖父母の世代はこどもが4人、5人いるのは当たり前でした。そのこどもである父母の世代ではこどもが2人、せいぜいで3人という家庭が増えました。
また、女性の学歴が高くなったことも要因のひとつにあげられると思います。高学歴化が進むことによって、それだけ女性の結婚年齢が高くなるわけですから、生涯に産むこどもの数はそれだけ減ることになるからです。
さらに、夫の経済力が弱くなり、共働きする家庭が増えたというのも出生率を低下させる方向に作用していると考えられます。
これらの要因をすべて潰せば出生率は回復し、日本の人口は再び増加基調に転じるのかもしれませんが、実際のところそれは不可能です。
なぜなら、女性に高等教育は不要であると決めつけるのは許されないことですし、今の社会からテレビなどの娯楽をなくすというのも無理な相談です。専業主婦を増やすために、サラリーマンである夫の給料を上げるというのは企業が応じません。
したがって、今の日本の少子化という現象は、社会が変化してきたことによる「結果」であると理解すべきなのです。それを殊更問題視して、出生率を回復させようとしても、社会のあり方を根本から変えない限り、できるものではありません。そもそも、経済成長を維持するために人口を増加させなければならないとか、将来の高齢者を養うための十分な人数を確保するためにも出生率を増やさなければならないという考え方は、人間を道具としてみているようであり、私には与することができません。
先進国の中でもフランスは出生率が回復している希有な例です。そのためにとられた政策は子育てや教育にかかる親の負担を極力軽減するというものであり、さらには婚外子にも法的な権利を認めるということまで行いました。その結果、確かに出生率は2を超えるようにまでなったのですが、結婚せずにこどもを設けるカップルが増えた(フランスではもともと個人主義指向が強い)ことで、家族のあり方が今後大きく変わっていくのではないかと思われます。ですから、同様の施策が日本でもとられるかというと、たぶん無理だろうと思います。
こどもにかかる養育費・教育費を支援するという目的で、こども手当の創設や高校の授業料の実質無料化ということが今年から実施されます。その恩恵を受けるのは、社会全体からみれば一部の人たちですが、その費用を負担するのは国民全体です。
それでも人口減少に歯止めがかかるわけではないので、長期的には、国民一人当たりの負担は重いものになっていきます。それまでの間には消費税率も引き上げられるでしょうし、他の間接税もいろいろな理由をつけては税率が上がっていくものと思われます。すでにたばこ税の増税は織り込み済みですし、太陽光発電で生じた余剰電力を電力会社に買い取らせるために、電気料金には「太陽光発電促進付加金(太陽光サーチャージ)」が加算されることも決まっています。
何か新しいことをやろうとしたときに、その財源を広く薄く国民に負担させるというのは政府の常套手段です。新しいことをやる代わりに、従来行ってきたことを廃止してその財源を充てるというのであればまだしも、それらはそのままにしておいて、どんどん新しいことをやろうとするわけですから、国民の負担は増える一方です。
そのような状況と人口の減少が重なるとどういうことが起こるかというと、国民一人当たりの負担がますます重くなるのです。その負担に耐えるだけの所得のある人はいいのですが、ワーキングプアと呼ばれる人たちにはそのような余力はありません。そうなると、社会保険料が払えない、公共料金が払えないという人が増えていくことになります。
そういう人たちは生活保護を受ければいいじゃないかと思われるかもしれません。確かにその通りなのですが、生活保護の財源だって税金から捻出されているわけです。したがって生活保護の受給者が増えていくと、それだけ財源不足に陥ることが予想されるので、支給額の削減や支給対象となる人の基準がいっそう厳しいものになることも考えられます。
その結果、何が起こるかというと、日本にも貧困層が出現することになるのです。曾野綾子さんによれば、貧困とは「その日食べるものがない状態」のことであり、そのような人に残された選択肢は、水でも飲んで我慢するか、物乞いをするか、あるいは盗みを働くかのいずれかなのだそうです。
そうなれば治安は悪くなりますし、不衛生がはびこることから伝染病の流行も予想されます。貧困は、病気や怪我をしても医者にかかることができないということでもありますから、社会不安はそれだけ増すことになります。
そういう暗い未来を回避するには、従来から惰性で続いている事業や制度を廃止して、国民の負担をそれだけ軽減するということが行われなければなりません。ところが政治家や官僚の発想というのは、制度や事業を温存しておきながら、しかも新しい事業や制度を実施するというものでした。仕事を減らせば自分たちの存在理由がそれだけ失われることになりますし、権力もそれだけ縮小するからです。この発想は民主党政権でも変わりません。鳴り物入りで実施された民主党政権の事業仕分けも、廃止した事業の財源を新しい事業に充てるという目的で行われているので、国民の負担が減るということはありません。理屈の上では国民の負担は変わらないということになりますが、実際には事業を廃止することで生じた財源よりも、新たに行う事業の方がはるかに大きな財源を必要とするので、その分国民の負担が増えるということになります。
このように、政権が替わっても国民の負担が軽減されるということがないので、日本の未来について、希望が持てないと感じる人が出てくるのは無理もないと思います。
人口が減少する局面では不要となった制度や事業を廃止して国民の負担を減らすということをしていった方がいいと思います。税金を負担する人が減るわけですから、あれもこれもというわけにはいかないからです。ここでいう制度や事業の廃止というのは、完全にやめてしまうことであって、民間に運営を移行するということではありません。
そのためには中央政府にあらゆる権限が集中するという現在の制度を見直す必要があり、知事たちがが権限と財源の委譲を要求するというのも当然の流れであるといえます。共和制のように、中央政府では外交や防衛、金融、医療といった地方ではできない分野を統治し、それ以外の分野は地方政府が行うという形態が今後の日本には適していると思います。その権限と財源の委譲過程で、やめてしまうものを仕分けするという作業を行うのが現実的であろうと思います。
たぶん官僚と政治家は抵抗するでしょうが、それをしていかない限り、日本の衰弱が目に見えないところで進行していき、それが明らかになったときにはもはや手遅れ、ということにもなりかねないと考えられるのです。