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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

この国の進路(6)     選挙制度

1996年に実施された小選挙区制は、その利点として、候補者が選挙区を重点的に歩き回ることが可能になり、選挙運動の費用が低くなるという効果があると思っていました。
 しかし、今回の北海道4区の小林千代美議員の違法献金事件を見る限り、相変わらず選挙運動には巨額のカネがかかるということが浮き彫りになりました。このような現実がある限り、カネを必要とする政治家と資金提供をする代わりに見返りを要求する団体とが結びつくことは避けられません。
 その見返りにかかるコストは誰が負担するのかといえば、そのような団体とは縁もゆかりもない一般の納税者たちです。このような構図が存在する限り、そのコストを捻出するために果てしなく増税が繰り返されていくことになります。
 亡くなった青島幸男さんは、参議院議員選挙に立候補した際に、選挙運動をまったくせずに当選したことがあります。けれどもそれは青島幸男という抜群の知名度があったからこそできたことであって、普通の政治家、特に新人の場合はそういうわけにはいきません。そこで芸能人やスポーツ選手などが「タレント候補」として擁立されることになるのですが、このことは有権者の投票行動が、候補者の名前を知っているかどうかに左右されるということに由来しています。
 現在の選挙運動のあり方は、選挙カーを使い、候補者の名前を連呼したり、大量のポスターを貼るというものです。それは結局、有権者に対し、とにかく名前を覚えてもらうということを目的としています。名前さえ覚えてもらえれば、投票用紙に自分の名前を書いてもらうことが期待できるという、ただそれだけのために、莫大な費用をかけているのが現状です。また、残念ながら、選挙公報や政見放送は、どの候補者に投票したらいいかという判断材料になっていないのが現実です。
 したがって有権者の投票行動は、次の3通りに集約されることになります。

1.自分が名前を知っている候補者に投票する。
2.自分が所属する組織や団体が応援する候補者に投票する。
3.政党に投票する。

 前回の衆議院選挙では、2と3によって民主党が大勝することができました。自分がこの前の選挙で誰に投票したか、名前がいえる人はそう多くはないのではないか? このように思います。その場合、政党に投票したといえるのですが、同時に、自分が投票した議員がどのような活動をしているのか知らないということでもあります。それは、有権者が知ろうとしないか、議員が知らせようとしていないか、あるいはたいした活動をしていないか、そのいずれかの理由が考えられます。
 自分の選挙区の議員がどのような活動をしているのかについて、有権者が無関心であれば、議員は有権者に配慮するということをしなくなります。逆に、有権者が強い関心をもっていることが議員にわかれば、その議員は有権者の方を向いた政治を心がけるようになります。議員が自分の支持基盤に配慮した行動をとるのはこのためです。
 問題となるのは、その議員が自分の支持基盤という全体の中では少数派にすぎない集団の利益のために行動することによって、そのコストをそれに無縁な大多数の人たちが負担することになるという場合です。組織票に依存する議員が増えれば、それだけ少数派に貢献するという議員が増えるわけですから、そのツケは残りの大多数の納税者が支払うことになってしまいます。

 そのことを防ぐには2つの方法が考えられます。

 まず第一に、自分の選挙区の議員がどのような活動をしているか、私たちが関心を持つことです。幸いなことに、現代ではたいていの議員(とその候補者たち)は自分の公式ホームページを開設しており、それをみれば、その人がどのようなことをしているのかがだいたいわかるようになっています。
 実際には、活動報告といっても、どこを視察してきたとか、どのような会合に出席したとか、表面的なことしか書かれていないことが多く、議員自身の考え(自分は何をしたいのか)が載せられていることはほとんどありません。議員の抱負が載っていても、その多くは選挙公報にあるような抽象的な美辞麗句が並べられているにすぎないので、結局何がやりたいのか、何を考えているのかわからない場合が多いのです。わからないということは、その人が実はたいしたことをしていないということでもあります。
 現職の議員であれば、自分が関わった議員立法の趣旨を公式ホームページでわかりやすく説明するという丁寧さがあってもいいと思います。会社勤めをしている人であれば、自分がやったことを上司に報告するのは当然、ということになっています。議員の場合、上司というのは存在しませんが、その代わり自分を選んでくれた人に対して、自分がやっていることを報告するのは当然と考えることができます。その際に、表面的形式的な報告で済ませるというのは、その議員の職務に対する誠実さがどれほどのものであるかがかえってわかるのです。

 二番目の方法は、小選挙区制をやめることです。一選挙区一当選者というのが小選挙区制の大原則です。仮に、投票率が6割であるとすれば、そのうちの4割の票を得ることができれば、その候補者は当選することができます。ということは、0.6×0.4 ということですから有権者の24 %の意思が活かされ、残りの76% は切り捨てられるということです。それだけ組織票が存在感を増すことになるのは当然といえるでしょう。
 中選挙区制を復活させて、当選者を各選挙区2名以上とすれば、その選挙区の死に票はそれだけ少なくなります。その分だけ組織票のウェイトは少なくなります。
 さらに、議員定数を減らすことで、組織票は意味を失います。衆議院の場合480人の議員がいるわけですが、それを大幅に減らすことによって選挙区が拡大することになりますから、組織票に依存する議員が当選する可能性はさらに低くなります。また、議員歳費の総額を維持してやれば、議員はそれだけ充実したスタッフを抱えることができるようになります。
 一方、選挙区が拡大すればそれだけ選挙活動の資金が増大してしまうという心配もあります。確かに従来の選挙運動(選挙カーと大量のポスター)という手法をとる限り、その心配はつきまといますが、現代はインターネットというツールがあります。選挙のために統一されたフォームのサイトを候補者に用意してやれば、現職も新人も同じ土俵で戦うことができるようになります。もっとも選挙公報や政見放送のように無味なものでは、有権者もそっぽを向くことになるので、工夫が必要でしょう。

 民主党の支持率が下がりながらも自民党の支持率が上がって来ないというのは、政権交代の受け皿が存在しないということでもあります。具体的には、次の選挙でどの政党に投票したらいいのかを考えたときに、投票する政党がないということにつながります。
 けれども、すでに述べてきたように、そのような事態が起こるというのは、私たちが議員個人の活動に関心を払ってこなかったということの帰結でもあります。だから陣笠議員が増えるのであって、議員の顔が少しも見えてこないのです。
 仮に、地方分権が実現し(それは道州制の導入であってもいいのですが)、国政が外交・防衛・金融などの地域にとらわれない分野に絞られるようになれば、国会議員の選挙は全国一選挙区でも差し支えないのではないかとも思います。その中で、得票数の多い人から順番に上位100人が当選するという制度も考えられるのではないでしょうか。
 そんなことをすれば国会はタレント議員ばかりになってしまうという心配をされるかもしれませんが、私はそうは思いません。知事選挙を勝ち抜いたタレント議員をみると、単なる有名人ではなく、有権者から見て、こいつは何かやりそうだという人が当選しています。議員定数を極端に減らし議員の重みが増すと、単なる有名人では選挙に勝てないのです。有権者の中にはおもしろがって投票するという人もいるでしょうが、決して多数派にはなりません。そのことは東京都知事選挙をみればわかります。

 最高裁判所の裁判官に対する国民審査が衆議院議員選挙と同時に行われることがあります。不信任とする裁判官に×をつけるこの制度は、有権者にとって裁判官に関する情報が皆無に近いために、実質的に形骸化しています。このように、その目的を達していない制度であっても実施するには巨額の経費がかかっているはずです。投票用紙の印刷や運搬、集計だけを見ても相当の金額が支出されていることが予想されます。
 だからやめてしまえというのではなく、制度の目的が達成されるようにやり方を改めるべきではないでしょうか。

 有権者が議員や裁判官に関する活動の情報を知りたいと思ったときに、いつでも手に入るという状況をつくりあげることは重要です。それは県議会・市議会のレベルであっても同じことです。
 名古屋市で河村市長による市議会議員を半分に減らし、議員報酬も半分に減らそうという案をめぐって市長と議会が対立しています。名古屋市の人口は2,252,249人(平成22年3月1日現在)であり、市議会議員数は75人ですが、これを38人にまで減らそうというものです。また、議員報酬1,600万円を半分の800万円にし、一人あたり年600万円支給されている政務調査費を廃止しようとしています。ちなみに市長自身の報酬は就任直後に800万円に減額しているとのことです。
 議員が活動しようとすれば、どうしても通信費と交通費は発生します。また人を雇う必要もあるでしょうから、議員報酬と政務調査費に手をつけるのはちょっと行き過ぎのような気もしますが、議員数を半分に減らすことには賛成です。
 名古屋市民の皆様、市会議員の名前をどれだけいえますか? ちゃんといえたとしても、せいぜい一人か二人が限界ではないでしょうか。大半の市民は一人の名前も知らない(というよりも覚えていない)のではないかと思います。
 その理由は、すでに述べたように、市民に関心がないか、議員が知らせようとしていないか、あるいはたいした活動をしていないか、そのいずれかです。
 乱暴な言い方をするようですが、市民に名前を覚えてもらえない市会議員とはいったい何なのか、と思います。もちろん、市政に無関心な市民はどこにでもいます。それにしても、名前を覚えてもらえないというのは情けないと思います。
 「ザ・選挙 JANJAN全国政治家データベース」というサイトがあります。2007年に行われた名古屋市議会議員選挙の結果が掲載されているので、そのデータを加工してみました。


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 その結果いえることは、議員定数に対して立候補者数がそれほど多くないために競争倍率が低いこと、さらに最下位当選者の得票数が低いことです。これは投票率が低いことも影響しているのですが、それにしても一番少ない人で3,593票ですから、これならば組織票をきちんと固めれば当選する可能性は極めて高くなるといえます。得票数をその選挙区の有権者数で割ってみると、一番高い人で18.09% ありますが、一番低い人になるとわずか2.63% しかありません。にもかかわらず、18.09% の議員も 2.63% の議員も議会では同じ一票を行使できるわけですから、いくらなんでも差がありすぎるように思います。
 少数の有権者の信任しか受けられない議員でも当選することができるという仕組みを排除していかないと、いつまで経っても特定の団体や組織に対する利益誘導はなくなりません。議員定数を思い切って減らした方がいいというのは、このためなのです。
by T_am | 2010-03-28 01:44 | その他

by T_am