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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

鳩山総理の施政方針演説

 ちょっと前の出来事になりますが、鳩山総理の施政方針演説を聴いて唖然とされた方が多いのではないでしょうか? それほど型破りな演説であったといえます。

 政治とは何かをひと言でいってしまうと、社会で生み出された富を再分配することです。それには大きく分けて税金を通じた再分配、そして制度設計という2種類の手法があります。
 政府は、社会が生み出した富を税金という名目で強制的に集めて、社会に還元していく役割を担っています。道路や橋・上下水道などのインフラの整備と運用、教育や医療などの公共サービスの提供は税金によって賄われています。住民が少なくこれといった産業もないという地域では、税収も少なくなるので十分な公共サービスを提供するだけの財源確保が難しくなるのですが、人口と企業の密集した地域で集めた税金を地方に配分することによって、全国どこでも一定レベルの公共サービスの提供を可能にしています。
 さらには、「公共事業」「補助金(助成金)」という名目で税金をつぎ込む場合もあります。昨今では公共事業が悪者にされていますが、効果のないところに資金を注ぎ込むためにでたらめな需要予測をでっち上げてきたことが問題なのであって、やらなければいけない公共事業はたくさんあります。
 第2の手法である制度設計というのは、社会で生み出された富を特定の方向に誘導する仕組みづくりのことを指します。特定の産業を育てたいという場合、その産業に関係する分野で減税を行ったり規制を緩和したりするということが行われます。最近ではIT減税というのがありますし、住宅減税も住宅の着工数を伸ばす目的で実施されています。
 戦後日本でこのことが最も大規模かつ効果的に行われたのは、都市部への人口集中政策でしょう。これは重工業を育成するために働き手を農村部から都市部へ移動させる目的で行われたものです。その結果、関東から東海・近畿・山陽・北九州といったベルト地帯での工業の発達が実現しました。百万人以上の人口を抱える大都市のほとんどがこの地域に集中していることをみれば、この政策が戦後日本の復興と繁栄に大きく寄与したことがわかります。

 このように、政治というのは富の再分配を行うためのものですが、それがどのように実行されるかは政府と政権党の考え方によって左右されることになります。それが万人を幸福にするものであれば理念と呼ばれますし、特定の人々の利益を追求することを目的としていれば利権漁りと呼ばれることになります。

 私たちの不幸は、利権のための政治(特定の利益団体のための政治)が長く続けられてきたことにあります。

 そのような観点で鳩山総理の施政方針演説を点検すると、この人は利権にはあまり興味がないように見えますが、かといってどのような理念を持っているのかというと、これがよくわからないのです。
 鳩山総理は施政方針演説の中で「いのちを守りたい」と何度も述べていました。しかし、そのことと現実の政策との間にはギャップがありすぎて、「いのちを守る」政治とはどんなものなのか具体的なイメージを思い浮かべることができないのです。
 
 ギャップが生じる原因は、鳩山総理が「いのちを守る」という聞こえのいいフレーズに固執しているところにあります。
 施政方針演説の冒頭で鳩山総理は次のように述べています。


 いのちを守りたいと、願うのです。
 生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
 若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。



 これのどこが「いのちを守る」ことになるのでしょうか? 日本の衛生・医療水準が劣悪で新生児やこどもの死亡率がずば抜けて高いというのであればわかりますが、実際はそうではありません。
 また、「経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう」と述べていますが、地方へ行けばこどもが三人いる家庭というのはざらにあります。そういう現実が一方にあることも知らないで、何事も決めつけて理解している傾向がこの総理には強すぎます。
 また、「働くいのちを守りたい」といいながら、


 経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたいと願います。
 いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません。
 一人暮らしのお年寄りが、誰にも看取られず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。



 などと、脈絡のないことを蕩々と述べる神経が理解できません。むしろ、問題の一面的表面的な部分のみを取り上げて、それを「いのちを守りたい」というカッコイイ言葉に強引に結びつけて得意になっている、そんな気がしてなりません。

(鳩山総理の施政方針演説は以下のサイトで全文を読むことができます)
http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201001/29siseihousin.html

 施政方針演説の中で、「年金の再生」というタイトルで年金記録問題に対し「国家プロジェクト」として取り組むと表明しています。しかし、いわゆる「消えた年金記録」の問題は運営上の瑕疵にすぎません。重大で看過できない問題であることは否定しませんが、過ちを正すことがなんで「再生」になるのか私には不思議でなりません。しかもそのために膨大な事務経費を費やすことになるのです。
 消えた年金記録の問題が解消されたとしても年金が財源的に破綻の危機に瀕しているという事実に変わりはありません。出生数の減少によって年齢別人口構成が逆ピラミッド型に陥っている日本において、若い世代ほど年金の負担が重くなっていきます。そういうことに頬被りしておいて「年金の再生」と強弁する神経はたいしたものだと思います。よほど鈍感であるか、あるいは聞こえのいい言葉でごまかしてやろうという悪意によるものだと理解しています。


世界のいのちを守りたい。
 これから生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。
 世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。
 今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。



 このこと自体決して間違っているとは申しませんが、それよりもまず年間に3万人以上の自殺者が発生している現実をなんとかすべきでしょう、と思います。よその国の心配をするのも結構ですが、あなたは日本国の総理大臣ではないのですか? それともあなたは国連事務総長にでもなったつもりでいるのか?
 自分の国の悲惨な現状を直視しようという姿勢がこの施政方針演説からは微塵も感じられません。
 ですから、鳩山総理がガンジーの「七つの大罪」を引用しても、感銘を受けることはありません。むしろ、この人は「七つの大罪」について述べているけれども、人ごとのようにしか聞こえないのです。(総理が「労働なき富」と述べたときに、野党から「それはあんたのことだろ」という野次がとんだそうです。)

 他にも指摘すればきりがないのですが、この人の特徴はやたら「格好つけたがる」けれども深く物事を考えない、というところにあります。思ったことを口にするものですから、言葉に説得力がありませんし、以前の発言と矛盾することを平気で話すということもたびたび起きています。自分だけは満足しているけれども周囲には失望を与えるというタイプであり、こういう人はやがて誰からも相手にされなくなるものです。
 
 訥言敏行とは、君子は口数は少なくとも行動を起こすのが早いという意味です。ですから、君子でない人(すなわち小人)とは口ばかり達者で結局何もしない人を指します。

 アメリカでも同じ時期にオバマ大統領による一般教書演説が行われました。これを読んで、アメリカと日本とでは国民に対する訴え方がまるで違うということに気づきました。
 アメリカでは大統領は国民が選んだリーダーですから、大統領は国民に対し、ことあるごとに団結とときには忍耐を呼びかけます。それは確かに苦しいことであるけれどもアメリカ人は過去にもそのような経験をしたきたのだから、今回もきっとうまくいくという励ましともとれる演説が行われます。それだけに大統領が説明する政策は具体的であり、投入する金額も明言します。
 一方、日本の総理大臣は国民の意思とは関係ないところで決まります。そのせいか、総理大臣というのはリーダーとして国民を引っ張っていくというよりは、いかに失点を抑えるかに力点を置いているように見受けられます。歴代総理の施政方針演説を聴いても、「何々に取り組む」とか「何々を検討する」といういい方が多用される傾向が見られます。
 今回の鳩山総理の施政方針演説は中身が乏しいという批判を受けており、事実その通りなのですが、中身のなさと借り物の言葉でしか語ることのできない識見のなさでは歴代総理と大差ないのですから、これはちょっとかわいそうかなという気もします。

 それよりも、この人の問題点は、浮世離れした理想を臆面もなく口にするというところにあります。もしかしたらこの人は自分の手を汚したことがないのではないでしょうか?

 以前この欄で、麻生前総理のことを史上最低の総理と書いたことがありますが、今回の施政方針演説によって、ワースト記録があっさりと塗り替えられたように思いました。それというのも、鳩山総理には軽々に理想論を口にする傾向があるからです。
 政権のトップは浮世離れして現実を見ようとしない、さらに政権党の最大の実力者である小沢幹事長の判断基準は選挙に勝てるかどうか(その意味でもっとも自民党的体質の持ち主であるといえます)ですし、連立政権のパートナーとして参加している社民党も国民新党も、先の投票では国民から無視されたに等しい議席数しか獲得していないにもかかわらず、外交や防衛などの国政の重要な分野に口出しをして憚りません。
 「一票の格差」という問題が指摘されており、違憲判決も出ていますが、選挙に敗れて下野したとはいえ、社民党と国民新党を足したよりも遙かに多くの議席数を持つ自民党の発言力よりも国民新党や社民党の発言の方が影響力が強いというのはどうみても異常な事態です。
 そのことの弊害のひとつが普天間基地の移設を巡る議論の紛糾としてあらわれています。鳩山総理は5月末までに移設先についての結論を出すと大見得を切っていますが、誰も彼もが好きなことを言い出した現状では、5月末までという短期間で国内の合意形成が成立するとは思えません。アメリカの態度はむしろ、「できるものならやってみろ」と冷たく突き放したものに変わってきているように思われます。
 鳩山内閣の特徴は、閣内の不統一であり、しかも党の幹事長に政府が引きずり回されているということにあります。閣内の対立は連立内閣の宿命とはいえ、総理大臣の指導力のなさが目立ちます。
 この内閣のことを後世の人は巧言令色内閣と呼ぶのではないか? そんなことを考えさせられた施政方針演説でした。
by T_am | 2010-02-03 22:31 | その他

by T_am