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カクレ理系のやぶにらみ

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時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

人間関係

 あけましておめでとうございます。
 正月とお盆は多くの人が帰省することから学生時代の同級会が開かれる時期でもあります。同級会に出るといつも思うことがあり、今回はそのことを申し上げたいと思います。

 同級会の様子を写真に撮ってくれる親切な人が毎回何人かいるのですが、デジカメとパソコンが普及したおかげで、後日その写真を見ることが簡単に見ることができるようになりました。従来は、写真を送るといっても郵送では切手代がかかるので、人が撮った写真を見せてもらうということも難しかったのです。今では、ネット上で写真を公開することができるの(「フォト蔵」やインターネットディスクなど)で、重宝しています。
 私の年代は、部長職に就いていたりして、それなりに重責を担っている立場の人が多く、普段の苦労が偲ばれるところです。それだけに会社では、仏頂面をしていたり、悪相をしているだろうと思われるような人でも、同級会の場ではみんなニコニコしているのです。若い頃であれば、酒に酔って口論となることもあったのですが、円満かつ穏やかな雰囲気に終始しています。それだけ歳をとったということなのかもしれませんが、仕事中には見せない顔をしているような気がしてなりません。
 それだけ無防備に接することができるのが同級会のいいところなのでしょう。回を重ねても毎回出席という人もいます。

 同級会である以上、かつての恩師にも声をかけるのですが、流石にご高齢になっているので、しだいに先生方の出席率は下がってきています。もちろん亡くなった方もいらっしゃいますし、闘病中で出席できないという方もいらっしゃいます。こちらが歳をとれば先生方も齢を重ねているのですから無理もないと思います。
 皆さんは当たり前と思うかもしれませんが、先生というのはいつまで経っても「先生」なのですね。今回初めてそのことに気がつきました。
 卒業して社会に出て数十年経つわけですから、もはや先生から教わることは何もない(かもしれない)ので、社会人としては完全に対等の立場にあるといっていいのですが、それでも先生は先生です。
 なぜ相変わらず「先生」なのかというと、こちらが「先生」として遇しているからです。それではなぜ相変わらず「先生」として遇するのかといえば、そういうふうにすることで私たちの社会はうまく回っていくということが幼い頃からの経験知として私たちの身体の中に組み込まれているからだと申し上げる以外ありません。
 すべての人間は平等であるという考え方は近代になって登場したものですが、実際にはこの社会はところどころデコボコしており、完全にフラットというわけではありません。というのは、人間は誰しも、誰かに指示することもあれば誰かに指示されることもあるからです。完全にフラットな関係ではそうはいきません。
 この社会はそうやって回っています。人間的にまるで尊敬できない上司でも、あなたがそのいうことを聞かなければならない理不尽さもこれに由来しているのです。それが理不尽であることに気づいている人、すなわち自分には他人にあれこれ言うだけの資格がないのではないかと思っている人は他人に対しへりくだった態度をとることができるようになりますし、まるで気づいていない人(それが当然であると思っている人)はどんどん傲慢になっていきます。
 それはともかく、私たちが卒業後数十年経っても相変わらず「先生」として遇するが故に、先生方も「先生」として振る舞うのですが、学生時代のように上から目線で物を言うということはありません。先生方もわきまえているのでしょう。それよりも、自分のことを相変わらず「先生」として扱ってくれることを素直に喜んでいるように思われます。だから元気でいるうちは同級会に出席してくれるのかもしれません。

 
by T_am | 2010-01-03 20:27 | その他