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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

COP15の行方が気になる方へ

 コペンハーゲンで開かれているGOP15の模様が連日のように報道されています。主に伝えられているのは先進国と新興国の対立であり、この問題に関心のある人ほど、各国がこんなことで地球温暖化が食い止められるのだろうかと心配していることと思います。
 けれども京都議定書のときもそうでしたが、COP15で議論されているのは政治問題であって、科学的な根拠に基づくものではありません。どのような合意が採択されようとも大気中のCO2濃度に与える影響は「不明」なのです。
 シンプルに考えると、CO2を増加させる要因は次のようになります。

・動植物が排出するCO2
・自然火災などによって発生するCO2
・人類が化石燃料を消費して発生させるCO2

 一方CO2を減少させる要因としては次のものがあります。

・植物が吸収するCO2
・海水が吸収するCO2

 地球全体のCO2が増えるのか、それとも減るのかということは、これらをトータルして差引きすればわかるのですが、いずれも推定値しかわかっていません。というのは誰にも測定できないからです。
 わかっているのは、産業革命以来CO2濃度が高くなってきているということであり、その原因として、化石燃料の消費増大と森林破壊が考えられる、というものです。このことに私も異存はありません。
 地球全体でのCO2の排出量と吸収量が均衡すればCO2濃度は横ばいのままとなりますし、吸収量の方が大きければCO2濃度は減少に向かいます。逆に、排出量の方が大きければCO2濃度は高くなっていきます。
 理屈は実に単純であり、そうなると次の関心は、CO2濃度を減少させるには人類がどれだけCO2の排出量を抑制すれば達成できるのか? というただ一点に向けられます。
 ところが、このことを数値で示したものを見たことがありません。

 地球全体のCO2吸収量の見積もりは○○億トンであり、これに対し現在の排出量は●●億トンであると推定される。その差は△△億トンであり、人類が化石燃料を燃やすことによって発生するCO2の合計▲▲億トンの■■%を占める。そのため、人類が年間に消費する化石燃料の量をこの■■%分減らさなければならない。それを石油・石炭・天然ガスに割り当てると、年間に採掘できる原油量の上限は◎◎バレルとなり、石炭は**億トン、天然ガスは??立方メートルだけを採掘するようにすれば、これ以上森林破壊が進まないということを条件に、大気中のCO2の濃度は横ばいとなる。したがって、化石燃料の採掘量をこれ以下にすれば、それだけCO2濃度を低下させることができる。

※あるいは、1年間に上昇するCO2濃度からも1年間に増加したCO2の量△△億トンを求めることもできます。

 本来ならば、最初にこういう論理が提供されてそれから議論がスタートされるべきでしょう。消費できる化石燃料の総量が決まってしまえば、あとはそれをどれだけ効率的に使うによって、化石燃料がそれだけ大勢の人に行き渡ることになります。そうでないと、価格が高騰し、それに耐えられるだけの財力を持った国や企業、個人は化石燃料を使うことができますが、そうでない国や人々には行き渡らないことになります。
 そうならないようにするために、燃費のいい自動車のエンジンをつくる技術をわが国は提供しましょうとか、複数の国が共同で今よりも優れた太陽光発電の技術を開発していきましょうとか、あるいは、大量輸送機関として自動車よりも鉄道の方が優れているので、わが国は高速鉄道の技術を提供しましょうという議論がなされるべきです。理想としては。
 
 しかし、実際に政治家と官僚たちが集まって議論しているのは、自国の削減目標値を実効性のないものにしようということと、とにかくみんなで減らしましょうという根拠のない呼びかけばかりです。その結果、CO2の排出量は少しも減らないということになることは目に見えています。
 この問題は、どの国が(あるいは誰が)CO2をどれだけ削減するかという目標を設定しようということ自体無茶だということを意味しています。新興国にすれば、「自分たちにも経済的に豊かになる権利があるのだし、そもそも現在のCO2濃度は先進国が招いたことではないか。その責任を負うのは先進国であって自分たちではない。」と考えるでしょうし、先進国は先進国で「自分たちも努力をするので、新興国も協力していただきたい。そのための資金援助をするから。森林破壊はこれ以上拡大させないでもらいたい。」と主張しています。
 もはや、問題の重心が地球全体のCO2濃度から自国のCO2削減目標がどこに設定されるのかというところに移っているので、仮にそれが達成できたとしてもCO2濃度に対してどれだけの影響を与えるかは不明です。

 COP15の報道を見聞きするうちに、良心的な人ほど、早く何とかしなければならないと心配することと思います。その結果、省エネ家電に買い換えるとか、エコカーに買い換えるとか、自宅に太陽光発電の設備を設置するだとか、「自分にできることから始めよう」という意識が高まるかもしれません。
 それはとても気高い気持ちであり敬意を払うのですが、「このままだとあなたは不幸になりますよ」といわれて霊験あらたかな壺を買うのと大差ないように思います。こう申し上げると怒られるかもしれませんが、意志決定の根拠がきわめて情緒的であるということは否定できないのです。

 大事なことほど理性的に決断しなければなりません。 

 そういう意味では、COP15という会議は意味のないことを議論しているといえます。政治家も官僚も地球のCO2濃度のことは差し迫った問題ではないという意識でいるからこのような議論の展開になるのですから、普通の人である私たちが心配することはありません。
 たぶん何らかの合意書が採択されるでしょうが、それは少なくとも二十年以上先の目標を決めるものでしょうから、誰も責任を負うつもりがないことは明らかです(少なくともそのとき自分は現役を退いているという人ばかりですから)。誰も責任をとろうとしない人たちによってなされた約束がはたして約束といえるのか、甚だ疑問ですが、その程度のことしか議論していないのがCOP15という会議なのです。
by T_am | 2009-12-13 10:54 | その他