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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

事業仕分けについて思ったこと

 事業仕分けの内容が完全公開されましたが、それを逐一ご覧になった方はそういないのではないかと思います。誰でもそれほど暇があるわけではありませんよね。ほとんどの人が新聞やテレビのニュースによる断片的な報道をご覧になっていることでしょう。かくいう私もそうですが、今回はそのことを踏まえて考えてみたいと思います。

 従来の予算折衝の手法と異なるのは、次の2点に尽きると思います。

1.仕分け人と呼ばれる人たちが、予算の削減ありきで議論していること。
2.そのために議論の内容が公開されていること。

 事業仕分けという手法が法に基づくものではなく、そこでの結論も強制力を持たないとはいえ、衆人環視の下で「廃止」とか「見直し」という結論が出されればそれを無視することはできなくなります。この後どのように予算編成が行われるのかは知りませんが、財務省にすれば財政支出を削る格好の材料を得たことになります。
 また、民主党にすれば、ムダな予算を削るということで取り組んでいるのですから、正義は自分たちにあり、これに抵抗する官僚たちは悪であるという構図ができあがっている点が大きな追い風になっています。今回の事業仕分けによってどこまで概算請求の削減ができるかわかりませんが、議論が完全公開されたことで関心を集めていることは否定できません。
 しかし、鳩山総理が認めているように、事業仕分けという手法は今年限りのものと思って間違いないでしょう。来年になれば事情が変わってくるからです。というのも、今年であれば、脱官僚が徹底していない段階での予算請求なので、ダがあるという理屈が成り立ちますが、来年はそうはいきません。脱官僚を謳って、実権を大臣・副大臣・政務官に集中させる体制をつくっているのですから、その体制下でつくられた事業計画案にムダがあるはずがありません。仮に、来年も事業仕分けを実施して予算のムダを正すということが行われるのであれば、それは民主党の政権運営を自ら否定するにつながるからです。
 このように今年限りの事業仕分けなのですから、できる限り大きな成果を上げたいというのが民主党の本音でしょう。削減できる金額が大きくなればなるほど、従来の体制に問題があったということになり、それを糺すことで新しい体制の正しさがアピールできるわけです。
 それだけにあざといことも行われやすいといえます。
 今回、仕分け人たちが用いた論理は経済的合理性というものでした。その事業がどれだけ効果を上げたのかを徹底的に追求することで、事業そのものの正当性に疑問符を突きつけるという手法は、ときに説明する側の反発を招き、思わぬ「見せ場」も提供することとなりました。仕分け人たちの賢いところは、このような質問を浴びせることで、事業そのものが大して効果を上げていないことを官僚たちに答えさせ、作業を見守る第三者の中に「廃止」や「見直し」が当然であるという雰囲気をつくりあげたというところでしょう。そのために、答弁する側に対し、質問に対する回答以外の発言を許さないという姿勢を貫きました。誘導尋問であると非難されてもしかたのない進め方ですが、予算のムダを削減するという錦の御旗が仕分け人たちにある以上、実に巧妙なやり方であるといえます。

 今回多用された「費用対効果」というとらえ方は、その論理に立つ限り何人も反論できないという利点があります。しかし、よく考えてみると、その事業がどれだけの経済効果をもたらしたかということについては誰にも測定できないということもわかるのです。
 たとえば、麻生政権が実施した家電のエコポイント制度について、どれだけ経済効果があったか測定できる人がいるでしょうか? 確かに一時期家電量販店の売上高は盛り返しましたが、大手企業の業績をみると、むしろ売上高で前年実績を割っている企業が多いのも事実です。
 また、高速道路の通行料金の土日千円はどうでしょうか? 土日の通行量が増えたことで、サービスエリア施設の売上高は増えているでのしょうが、逆にCO2の排出量も増えているはずなので、CO2の削減という面での支出が増えることになりそうです。
 科学の実験であれば、その結果がどのようなものであったかについて厳密に測定することが可能でしょうが、社会科学の領域においてはそのような正確な測定というのは不可能です。唯一可能であるのは、こうだろうという「推測」であって、それが正しいかどうかを検証する術はありません。
 つまり、私たちは不確かなものを経済効果といっているに過ぎないのです。正しい稼働なのかもわからないものを私たちは鵜呑みにしてきました。本四連絡橋やアクアラインの建設は、こららの橋をつくることによって自動車の交通量はこうなるという予測が行われ、それがもたらす経済効果はこうなるということで、巨費を投じてこれらの橋を建設したのです。そのことがムダであったとはいいませんが、交通量が当初の予測よりも下回っており、そのために料金値下げする羽目になったのは記憶に新しいところです。

 仕分け人たちが、事業の正当性を判別するために、その事業の費用対効果を取り上げるというのに私は違和感を覚えます。正確かどうか誰にもわからないものを根拠に正当性を判断するというのは、アクアラインや本四連絡橋をみてわかるように、とても危険なことであると思います。
 さらにいえば、このような経済の原理だけで判断できない分野が「政治」にはあるはずだということもいえます。スーパーコンピュータは予算の大幅削減、ロケットの開発は来年度予算から見送りということになってしまいましたが、これらの事業の成果物である「ロケット」や「スーパーコンピュータ」がどのような経済効果をもたらすのかと訊かれれば、そんなものはない、といわざるを得ないでしょう。しかし、それらの先端技術を実現可能にするためには周辺技術も一緒に進歩していかなければなりません。この周辺技術が産業界にもたらす影響というのは大きなものがあるのです。
 さらにいえば、そのような技術者を育成するというのも必要不可欠なのですが、そのような視点は「費用対効果」という座標軸上には存在しません。「世界第二位で何か問題があるのですか?」という質問があったとのことですが、どこに価値を置いて考えているのかということが明白になっていると思います。
 企業の管理者や経営コンサルタントであれば、このような経済的合理性を座標軸にして判断するという姿勢が必要でしょうが、政治というのはもっと高い次元で物事をみなければならない分野です。

 事業仕分けというのは、イベントとしてはとても面白い見せ物でしたが、こんな調子で何でも決められたらこの国はずいぶんと息苦しい国になるのだろうなと思ってなりません。
 事業そのものの妥当性を議論することも必要でしょうが、日本が抱える問題は、むしろ事業を実現させる手法にあると思っています。
 今年支給された定額給付金の財源はおよそ2兆円という話でしたが、そのための事務経費はおよそ800億円とのことです。エコポイントと商品の交換やエコカーの購入補助金の支給についても事務経費が発生しているはずです。それらがスムーズに行われているかというと。どうもそうではないようです。
 政府が予算を計上して行う事業はすべて事務経費が伴います。もちろんそれも含めて予算計上されているはずなのですが、事務処理が複雑で手間のかかるものであれば、事務経費が占める割合もそれだけ高いものになり、結果として経済に及ぼす効果はそれだけ減ってしまうことになります。
 また事業によっては、外郭団体や独立行政法人を経由するものもあり、その分だけ経費が上積みされることになります。各省庁が外部に委託している調査もそうです。委託先は自分が必要な経費を確保した上で、作業をさらに下請けに出す場合があり、そうなるとなにもわざわざそんなところを経由する必要はないのではないかと思ってしまうような「調査」がずいぶんあるように思います。A省庁から某研究所に対し1千万円で発注された調査を、某研究所は民間の調査会社に三百万円で下請けに出し、そこからさらに別な会社に対し六十万円で孫請けに出す、ということだってあるわけです。
 結局それらの委託作業は、天下りしたOBの人件費を捻出するために行われているようなものです。実際に作業を行うところにもっと安い値段で直接発注すれば税金の無駄遣いもそれだけ削減できるはずだと思うのですがいかがでしょうか。
 そのためには、同期間の出世レースの中で最終的に事務次官だけが生き残り、後は全部定年前に退職しなければならないという現在のあり方を変えていく必要があります。そういうところにメスを入れないで、単に天下り禁止といったのでは誰もいうことをききません。

 政府が行う事業の中にはムダなものがあると思いますし、崇高な理念に基づいて実施されている事業でもムダな経費の使い方をしている場合があると思います。そういう実態に手をつけないでおいて、予算のばらまきを行い、そのあげくにこのままでは赤字国債が増える一方であるという理由で増税が必要であるというのは、何か間違っていると思います。 どうも財務省は自分たちの権力を強化するために増税を持ち出しているのではないか?増税によって財源が増えても、同じような税金の使われ方がされる限り、たいして効果があがらないまま再び財源不足に陥るような事態になるのだろうと思います。
by T_am | 2009-11-22 17:13 | その他

by T_am