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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

経済における造血細胞

 お金というのは本来、お金以外のものと交換するためのにあるので、「もの」(サービスや労働力、情報なども含みます)を提供する対価として受け取るものです。自分が提供する「もの」は、他の誰かから買い取った「もの」を原材料としてできあがっています。 あなたの目の前にあるパソコンは、部品メーカーがつくった部品をパソコンメーカーが組み立てた「もの」です。さらに、そこにはソフトという「もの」も組み込まれており、そのトータルの姿があなたのパソコンとして目の前にあるのです。
 あなたのパソコンを構成している部品の値段の合計は、パソコンの購入価格よりも低いのが通例です。10万円で買ったパソコンであれば、その部品やあらかじめ組み込まれているソフトの値段の合計は5~6万円くらいになると思われます。その差額は何かというとパソコンメーカーによる組み立て費用であったり、販促費などの経費が含まれており、さらにはパソコンメーカーの利益が含まれています(これらの総称を粗利益といいます)。それが小売店を介して購入したものであれば、さらに小売店の粗利益も含まれることになります。メーカー直販で買った方が安いというのはこのためです。小売店の粗利益(商品によって異なります)の分だけ安く買うことができるからです。
 粗利益のことを付加価値と呼ぶことがあります。
 原材料が同じであってもやり方によって付加価値は変わってきます。たとえば、ビールの中瓶の小売価格は1本250円くらいですが、普通の飲食店で頼めば1本500円くらいになります。この差額が、その飲食店が提供する付加価値です。ところが、しゃれたレストランになると1本700円くらいになります。でも、高いと思わないでしょ。
 そういうお店では、提供する料理や内装などの雰囲気、従業員の接客などが付加価値を向上させており、客にとってそういう場所で食事をするという満足感を得ることができるので、誰も高いと思わないのです。
 このことは工業製品にもいえることです。100万円の自動車と200万円の自動車と500万円の自動車を比べると、それぞれ部品が違うということがわかりますが、乗り心地も全然違っています。そういう付加価値をいかにつけられるかがメーカーの腕の見せ所となるのです。

 人間が生産し提供する「もの」は、すべて最終的に消費につながっていきます。それは川の流れのようにイメージすることができます。消費を海とするならば、小売店や販売店は河口にあたり、その上流に組み立てメーカーがあり、さらに上流には部品メーカーが存在します。もっと上流に遡ると、そこには原料や材料を提供するメーカーがあり、源流ともいうべきところまで遡ると鉱山や油田にたどり着きます。(この各段階を結びつけているのが物流です。)
 このことをまとめると次のようになります。

1.社会はたえずものが流通しており、それを媒介するものがお金である。
2.ものの流通が活発であれば、それだけ動くお金も大きくなり、社会に活気が出てくる。
3.流通の各段階で人間は労働力を提供してお金を得ており、消費の原資となっている。
4.消費があるから供給がある。
5.消費が衰えれば供給はだぶつく。

 前回も述べたように、日本社会に漂っている閉塞感は労働力の対価として得る賃金がカットされ続けてきたことによる消費の減退が企業の業績を悪化させ、さらに人件費をカットする方向に圧力をかけているという悪循環に基づきます。
 そうなった要因は二つあり、一つは海外からの輸入品による安売り圧力であり、もう一つは自己資本比率を高めるために、企業が利益の大半を内部留保にまわしてしまい、賃金を押さえつけてきたことです。
 ものを安く供給してもなお利益を確保するためにはコストをカットしなければなりません。人件費をカットするためにとられたのが派遣の導入であり、製造業派遣が解禁されたのもそのためであると考えて差し支えないと思います。日本社会全体で非正規雇用者(パート・アルバイトを含む)の割合が増えているのは、各企業が人件費を圧縮することにいかに熱心に取り組んできたかということの現れです。
 コストをカットするという圧力は仕入れ先である部品メーカーにも及んでいます。部品メーカーは販売先が限られており、納品先との力関係をみるとどうしても発言力は弱くなります。たとえば原油価格が上昇して生産コストが上昇してもそれを価格に転嫁することができない企業が多いのです。したがってここでもコストをカットする努力が求められることになり、そのしわ寄せは人件費にも向かいます。さらに、部品メーカーには中小企業が多く資金力に劣るので、新規の設備投資をする余裕がないという会社もあります。やむを得ず老朽化しつつある設備を使い回ししているのですが、そうなると生産性が向上することもなくなりますし、いずれは納品先の要求に応えられなくなってしまうことも予想されます。そうなると新しい納品先を探すか、それができなければ倒産するしかない、ということになります。

 機能としての流通は上流から下流、さらには河口(消費)までの流れが確保されなければなりません。
 極端な例ですが、中越沖地震(2007年)の際に自動車メーカーに部品を供給しているリケンの柏崎工場が被災したために、自動車各社では一時的に生産停止を余儀なくされたということがありました。
 流通の流れの中に身を置く企業は、自社の替わりがいくらでもきくというとき、その存在意義は危うくなります。逆にリケンのように唯一無二の存在であるような企業は、大小を問わずその重みを増すことになります。

 冷たいいい方になりますが、機能としての流通が確保されればものは流れていくのですから、過程がシンプルになればそれだけ最終価格は安くなります。パソコンは通販で買った方が安いというのはその実例です。
 ただし、このような流通の改革はある程度の時間をかけながらゆっくり進めないと社会に大きなダメージを与えることになります。不要となった過程では企業が倒産し失業者が溢れてしまうので、短期間で行われてしまうと影響が大きいのです。
 流通過程がシンプルになることで発生する余剰人員はどうすればいいのかというと、新たな流通を創出してそこに人員を吸収するようにすればいいのです。千人の人を養ってきた流通経路が改革によって500人の人間しか要らないようになれば、500人がはじき出されてしまいます。そこで新たに500人を必要とする流通経路を創出してやれば、人の吸収が可能となります。オバマ大統領によるグリーン・ニューディールなどはその典型的な例であるといってよいでしょう。
 ここで重要なのは、誰かがつくらないとものは存在しないということです。存在しないものは流通のしようがありませんし。また、新たにものがつくられからこそ経済活動がスタートするわけです。したがって、国の基幹産業はものをつくる産業であるということであり、国を身体にたとえると、ものをつくる産業はお金という血液を生み出す細胞のような役割を担っているといえます。
 製造業のうち大企業によって日本経済がリードされてきたというのはやむを得ないことであり、今後もその傾向は続くと思いますが、国内でものをつくる産業すなわち企業を新しく育成することに目を向けていかないと日本の未来は暗いと思います。今はそれらの分野に資金と人材を誘導する政策が必要です。
 バブルが崩壊した後に、建設業に100万人単位で人が流れていきました。それを支えるために国債を増発してまで公共事業が行われたのですが、つくったことが重荷となる箱物や採算の合わない巨大事業にも資金が注ぎ込まれ、お金の使い方としてはあまり効果のないことが行われてきました。一千億円の公的資金を注ぎ込むのであれば,その事業が稼働することによって1千億円以上の新たな経済効果が生まれなければ取り組むだけの価値はありません。そうでない事業を続けてきたから、途中で息切れをして、公共事業削減ということをやらざるを得なくなったわけです。
 そういう意味で民主党政権が主張する無駄な予算の削減というのは理論的に正しいのですが、経済効果の測定は難しいものであり、発表される経済効果の大半は支出先の変更にとどまっているといえます。
 高速道路の利用料が土日祝日は千円までとなり、各地のサービスエリアが混雑する光景がテレビで紹介されていました。当然売店の売上高も増えたわけですが、それは高速道路を利用しなければほかのことに使われたであろうお金がここで使われたに過ぎないのではないか、と思えるのです。一方でプラスの経済効果があったとしても、その分他方で広く薄くマイナスの経済効果が発生している(たとえば、旅行に出かければ普段利用している近所の食品スーパーのその日の売上げはそれだけ減ることになります)といえます。したがって、貯金を下ろして高速道路を利用するのでもない限り、社会全体の消費が増えることにはなりません。

 消費を拡大させるには、新たに流通する「もの」が増えることと支出に費やすだけの所得が確保されることが必要です。これ以外の目的で実施される施策(予算)には効果があるとは思えません。
by T_am | 2009-10-25 22:21 | その他

by T_am