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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

諸悪の根源

 バブルが崩壊してから、景気がよかったという実感がありません(私の場合バブルの恩恵とも無縁でしたが)。当時よりも国民の可処分所得はむしろ下がっているので、一般消費がその分低迷するのも無理もないことだといえます。
 こういう状態が長い間続いたために、私たちの意識の中で、景気がよくなればすべてよくなるという期待があること事実です。景気がよくなれば雇用が回復するから派遣の問題も新卒者の就職難も解決するはずだし、中高年層の賃金と賞与のカットもなくなるので家計破綻による自殺者も減るはずだ。つまり、諸悪の根源は不景気にあると誰もが思っているのです。

 でも本当にそうだといえるのでしょうか?

 現在の日本社会が抱えている問題を個人レベルで表現すれば、可処分所得が減っていることによって思うように消費ができないということになると思います。つまり、私たちが抱えている不満は、欲しいものがあっても思うように買うことができず、我慢しなければならないというものです。確かに医療費や教育費は年々上昇していますし、賃金はさほど増えていません。正社員として就職できずに派遣労働者にならざるを得ない人は、充分な給料をもらうことができません。このような状況の中では、人は我慢することを強いられます。
 そこで、自分たちが我慢を強いられているのは景気が悪いからだと理解するのが無理もないことだと思いますし、そのような状況下で政府による失政や官僚による無駄遣いと、天下りという税金の横領のような制度が報道されれば、政権の交代を希求するのは当然であるといえます。

 厚生省の国民生活基礎調査室の「国民生活基礎調査」によれば、1世帯当たりの平均可処分所得金額のピークは平成9年の549.9万円(世帯人員1人当たり222.7万円、平均世帯人員2.95人)でしたが、平成19年では443.3万円(世帯人員1人当たり207.1万円、平均世帯人員2.69人)にまで低下しています。

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL02020101.do?method=extendTclass&refTarget=toukeihyo&listFormat=hierarchy&statCode=00450061&tstatCode=000001031016&tclass1=000001031845&tclass2=000001031886&tclass3=000001031893&tclass4=&tclass5=

 1人当たりの可処分所得が約15万円下がる中で、日本企業は単価を上げるために製品の高級化高額化を進めてきたので、国内消費が低迷するのは当然といえます。その分を輸出で補ってきたのですが、企業が得た利益は内部留保に回されており、製造業の利益剰余金(企業が得た利益を配当や人件費などに回すことなく留保しているお金。ただし、会社の金庫室にその分の現金が積まれているわけではありません。)は、平成10年度で87兆2千億円でしたが平成19年度では124兆2千億円にまでふくらんでいます。

http://www.mof.go.jp/kankou/hyou/g677/677.htm

 この数字をみると、製造業の経営者たちは利益を労働者に配分することなくしっかり貯め込んでいる極悪人であるかのように思いがちですが、かつて日本企業は国際的にみて自己資本比率が低いと指摘されていたわけです。したがって企業にとっては利益剰余金を増やして自己資本比率を高めてきただけのことであり、いわばグローバル化を進めてきた成果なのだから何が悪い、と開き直ることもできるはずです。さすがにそういうことを公然と口にする経営者はいませんが、これも国際競争力をつけるため、ひいては日本のためと考えているのではないかとも思われます。
 したがって、大企業を悪者にして批判する勢力がある一方で、当の大企業は頑としてこれに応じることはないと推測することもできるのです。

 消費したくてもお金がなくて我慢している国民が大多数を占めている以上、国内消費が拡大することはありません。自民党が執ってきた政策は公共事業を増やすことで通貨の流通量を増やせば末端の消費者の所得も増えるはずだという理屈に基づくものでしたが、実際には非効率で無駄の多い制度によって穴の開いたバケツでせっせと水を運ぶようなものでした。ですから国民が満足するような結果にはならなかったのです。
 これに対し、民主党の政策は、そのような無駄を廃して捻出したお金を国民の間に直接ばらまくというものです。支出に見合う原資を確保できればいいのでしょうが、そうでなければ増税して財源を確保することになります。どうなるかはやってみないとわかりませんが、自民党も民主党も総需要を増やすことを目標としていることに違いはありません。

 総需要を増やすという立場に立つ限り、少子化や高齢化という現象は頭の痛い問題となります。どちらも消費を減少させるからです。
 そこで、高齢者に対しては何とか貯蓄をはき出させるという政策が執られることになり、その一例として後期高齢者制度が導入されたのだと思います。
 また、政府内に少子化担当大臣を設けて何とか出生率を高めようとしていますが、さほど効果が上がっているわけではありません。既に人口ピラミッドが逆三角形となっている以上、寿命によって高齢者が減ればそれだけ総人口は減少することになります。少子化の要因は女性の高学歴化と社会進出にあると思われますが、今更それを制限することは不可能ですから、少子化に歯止めがかかることは実は期待できないのです。人口が減少すればその分だけ経済の規模も縮小するので、当然経済成長率もマイナスとなっていきます。
 
 このように考えると、政治が介入することによって総需要を拡大させようとする政策は長期的にはさほど効果をもたらさないということがわかります。自民党が執ってきた政策は、格差を国際水準並みに拡大させしかも固定させるという結果に終わりつつあります。民主党が執ろうとしている政策も総需要が減少していく傾向が変わらない限り、国民1人当たりの負担が増大するという結果を招くことは明らかです。
 まるで日本が出口のない迷路に入り込んでいるかのようにみえますが、それというのも私たちが消費を増やし続けるという前提に立って物事を考えているからです。今の日本(と同時に世界)は、消費が増えるという前提に立って制度設計がされています。資本主義制度というのはそういうものであり、消費が増えなくても別に構わないという考え方に舵を切ることは資本主義を否定することにつながりかねません。それでも現在私たちが抱えている問題を解決する道筋はそれ(消費が増えなくても構わないと割り切ること)以外にないように思います。(だからといって社会主義を選択しようというのではありません。社会主義が人類を幸福にしないことは既に実証されています。)
 それはお金に右往左往する生き方を見直すことによって可能になると思います。お金はないと困りますが、ではどれだけあれば充分なのか、という問いに対する解答として私たちが用意しているのは「あればあるほどいい」というものです。だから、私たちはお金があるという前提で人生設計をしています。学校を出て就職をするのは当然としても、自動車も持ちたい、何年か経てば結婚もしなければならない。そうすれば子供も生まれる。子供が生まれれば充分な教育を授けてやりたい。その間に家も建てたい。等々・・・
 これらの局面ごとにお金が必要となりますが、そのときにお金があればあるほどいいというのが私たちの正直な感情です。それに替わって、どれだけお金があれば自分は充分だと思えるのかという解答を見つけることが、今後大きく変わっていく世の中を私たちが生きていく上で重要になっていくように思われるのです。
by T_am | 2009-09-13 23:06 | その他