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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

健全な精神

 1Q84のBOOK1の最後の章で、天吾の年上のガールフレンドがかれの睾丸を愛撫するシーンが描かれています。(ちなみに、作者はこの女性の名前を明らかにすることはせずに、単に「ガールフレンド」とか「彼女」という普通名詞で呼んでいます。明確な意図に基づいていることはたしかなので、それは何かを想像するのは結構楽しいことです。)

 その「彼女」が天吾の睾丸を撫でながら会話を交わすシーンがあるのですが、決して下品ではなく、官能小説のように読者の劣情をそそるわけでもなく、むしろ、こういうのも悪くないよね、と思ってしまうところが興味をひきました。
 
 たぶん、ほとんどの女性は、機会があれば男の睾丸に興味を持つのではないでしょうか。なぜならば、それは彼女たちが持たない器官だからです。堅すぎもせず柔らかすぎもせず、触れると袋の中で動き回るのですから、女の人が触りたがるのも無理はないのかもしれません。
 それは扱い方によっては男にとって急所となることを彼女たちは知識として知ってはいるものの、純粋に好奇心によってさわりたがるようです。したがって、男が嫌がればそれ以上さわることはしなくなりますが、そうでなければ彼女たちの気が変わるまでさわり続けるのではないかと思います。
 男には彼女たちが持たない器官がそのすぐ側にもうひとつあります。彼女たちがそちらをさわるときは性欲に結びついているか、そうでなかったとしてもやがて性欲を呼び覚ますことが多いようです。したがって、この二つの器官は女性にとって異なる受け止め方をされているのではないかという気がしてなりません。
 Y染色体があるばかりに胎児は男につくりかえられる(胎児の身体の基本仕様は女です)のであって、そうでなければ睾丸は卵巣となる運命にあります。男と女の違いはY染色体の有無という単純な事実に由来しますが、その結果もたらされた変化というのはお互いの理解に余るものがあります。

 ゆえに、こう考えることができると思います。

 男の睾丸を無邪気にさわることができる女性は、とても健全な精神の持ち主である。なぜなら、それはコミュニケーションを欲する意思のあらわれであるから。
by T_am | 2009-07-10 07:01 | その他

by T_am