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カクレ理系のやぶにらみ

tamm.exblog.jp

時間のある方はお読みください。軽い気持ちで読み始めると頭が痛くなります。

人間は自然を改造する

 私たちは田舎や森林を自然そのものであると思っていますが、厳密にいうと、これらは人間の手が入った自然に過ぎません。自然そのものに接したいのであれば、大海原に漕ぎ出すか山奥の人跡未踏の地に行くしかありません。この二つは全く異なるものなのです。

 私たちが環境という言葉を使うとき、その対象は多くの場合「人間が手を加えた自然」を指しています。「自然の恵み」という言い方をすることがありますが、生物にとって自然とは本来苛酷なものなのです。
 先進国で生まれた子供がほぼ100%成長して大人になることができるのは、人間が改造した自然の内側に暮らしているからです。改造の度合いが強ければ死亡率は低下します。 その典型的な例が都市です。地面はアスファルトで覆われ、ビルが建ち並び、自動車が走り回るわけですから、大都市になればなるほど自然は失われていきます。そして、都市化が進むほど人口密度は高くなっていきます。逆に田舎になればなるほど人口密度は下がっていき、過疎化が進んでいる地域では手つかずの自然が残されているのです。
 このように、人間はひ弱な生き物なので、むき出しの自然の中では大勢の人口を養うことができません。そこで自然を改造してその内側で暮らしているわけです。その意味では、田んぼや畑も改造された自然になります。原野で米や野菜を育ててもあれだけの収穫を得ることはできません。開墾した農地で組織的に農作物を育てることで多くの収穫を上げることができ、それだけ多くの人口を養うことができるようになります。採集生活をしていた縄文人が耕作をしていた弥生人に追われていったというのも当然であるといえます。
 人間がぎゅうぎゅう集まって生活していると、次第にストレスが溜まっていきます。私などは田舎の人間なので、都会に行って人混みの中にいるだけで疲れを覚えることがあります。それはともかく、都会の人ほど休みの日には自然を多く残しているところに行きたがるように思います。ただし、意地悪な言い方をすれば、快適な自然を求めていることも事実です。景色がきれいで空気が澄んでいる。ただしトイレは水洗でなければダメですし、空腹や喉の渇きを我慢しなくてもいいように飲み食いする施設が適度に配置されていなければなりません。また交通のアクセスのいいことも必要です。
 皮肉なことに、そういう「快適な自然」には大勢の人が押しかけているというのも事実です。
 こうしてみると、一度快適な生活に慣れると、人間はもはや後戻りできなくなるということがわかります。私自身、いまさら汲み取り式のトイレに戻ったり、真冬に冷たい水で顔を洗うというのは嫌ですし、暑いときはエアコンをつけ、寒ければ暖房をつけるのが当然だと思っています。したがって、人間が身の回りにある自然もできるだけ快適な状態に改造しようとすることはしかたのないことであると思います。ただし、それは私たち人間のエゴに過ぎないことも知っておいた方がいいと思います。

 私たちが見ている自然は様々な力のバランスがとれている状態を見ていることになります。ですから何かのきっかけでバランスが崩れると、自然はたちまちその姿を変えてしまいます。火山の大噴火が起これば、大気中のチリが増えて日照量が減り気温は下がります。その結果農作物の出来が悪くなるということも起こります。また、大地震や洪水は人命を奪い地形を変えることがあります。
 このように、自然がその姿を変えることは今までに何度も起きていますし、これからも起こるだろうと思います。ただし、その中には人間にとって都合の悪い変化もあるでしょうから、それを食い止めたいと考えることは当然です。しかし、それは見方を変えればしょせんは人間のエゴであるともいえるのです。
 人間は万物を司るために神によって創造されたという考えは、このような内省を否定し、自然に対して傲慢に振る舞ってもよいという免罪符となります。
 しかし、人間も自然の中で生きている以上、自然にとっては影響力の一種に過ぎません。人間の影響力が強まると自然界のバランスが崩れ、それが自分に返ってきて思わぬところで被害が発生することがあります。
 たとえば、無計画な森林伐採は森の保水力を損なうので、大雨が降れば洪水の原因となります。そうなると下流域では表土が流されますから、農作物を育てることができなくなってしまいます。あるいは地下水による強制的な感慨を行っていると、地表面での水分の蒸発により塩類の濃度が高くなっていき塩害が発生します。
 また、特定の動物だけを盲目的に保護すると、その個体数が異常に増えるので生態系のバランスを崩すことになり、人間の生活にも被害を及ぼすことがあります。
 重金属などの汚染物質の含まれた排水を河川や海に垂れ流しにすることで公害が発生したこともあります。
 
 月並みな結論となりますが、人間が生活するためにある程度自然に手を加え、これを改造するのはやむを得ないと思います。ただし、そこにはある種の謙虚さと知性が伴わないと、災厄となって我が身に降りかかるのだということがわかるのです。
by T_am | 2009-04-01 07:01 | その他

by T_am